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23. 独占欲の対象は

 それからというもの、リリアーナとテオは頻繁にテオの母のもとを訪れるようになった。週に二度も三度も、衛兵の目を盗んで屋敷を抜け出し、村の外れの小さな家を目指した。夜の闇に紛れ、冷たい石畳を踏みしめるたび、リリアーナの心は軽やかに弾んだ。テオの母はいつも温かく二人を迎え入れた。玄関の軋む木の扉が開くと、彼女は煤けたエプロンを手に笑顔で現れ、「いらっしゃい、テオ、リリアーナ」と柔らかい声をかけた。


リリアーナはその家での時間が愛おしかった。テオの母に料理を教わりながら、彼女は慣れない手つきで鍋をかき混ぜた。ある日、テオの母が「スープは弱火でじっくりね」と言いながら、古びた木べらを手に持つ姿を見たとき、リリアーナは目を輝かせて頷いた。スープが煮立つ香りが小さな台所に広がり、彼女の手元から湯気が立ち上る。リリアーナが失敗して塩を入れすぎた時には、「次は大丈夫だよ」と笑って肩を叩いてくれた。


また別の日には、テオの小さい頃の話を聞かせてくれた。暖炉の前で干し果物を並べた皿を手に、テオの母が語り始めた。「テオが4歳の頃、川で転んでびしょ濡れになってね。ズボンが泥だらけで、泣きながら帰ってきたんだよ。私、思わず笑っちゃってさ」リリアーナは「ふふ、可愛い」と声を上げ、テオは顔を赤らめて「やめろよ、恥ずかしいって」と呟いた。母がさらに「それで私が抱っこして、暖炉で乾かしてやったんだ」と続けると、リリアーナは目を細めてその光景を想像した。


リリアーナはテオの母に夢中だった。公爵邸に戻ると、彼女は自室で次はいつ行こうかと計画を立てる。窓辺の椅子に座り、手帳に日付を書き込んでは消し、完璧なタイミングを模索した。またある時は、テーブルの上で母への手紙の下書きに没頭する。便箋に「次はおかあさんに何かお菓子を作って持っていきたいです」と書き、しかし「いや、失敗したら恥ずかしいかしら」と呟いて丸めてしまう。テオとの会話も、ほとんどが母のことばかりだった。「おかあさんのスープ、どうやってあの味になるのかしら」「次はおかあさんに編み物を教わりたいわ」と、リリアーナの口から母の話題が尽きることはなかった。


ある日、リリアーナの部屋で、テオはいつものように手紙の下書きに夢中な彼女を見ていた。テーブルの上には丸めた紙がいくつも転がり、彼女がペンを手に持って何かを書き、眉を寄せては消しゴムで消す姿があった。…あ、失敗したみたいだな、とテオは心の中で呟いた。リリアーナが「ううん、これじゃ駄目だわ」と小さく独り言を言い、紙を丸めて投げ捨てる様子を見て、彼は少し笑いそうになった。


だが、そんなリリアーナが、テオには少し面白くなかった。母がリリアーナに取られたような、リリアーナが母に取られたようなーーそんな複雑な気持ちが胸の中で渦巻いていた。リリアーナにそんなつもりはないと分かっていても、彼女の瞳が母の話をする時に特に明るく輝き、自分にはまるで興味がないように思えてしまう瞬間が、彼を不安にさせた。あいつ、前から俺の話す母さんの話に夢中だったし…テオは心の中でぼやき、膝の上で拳を軽く握った。



ある日の夜、倉庫の部屋は薄暗い灯りに照らされていた。テオはベッドの端に座り、リリアーナは小さな椅子に腰かけて、手紙の封筒を手に持っていた。彼女が「次はおかあさんにミートパイを教わりたいわ」と呟いた時、テオはついに我慢できなくなった。彼は少し乱暴にベッドの上で膝を立て、彼女を見据えて言った。

 「お前、本当に母さんのこと好きだよな」

リリアーナは封筒から目を上げ、当然のように笑顔で答えた。

 「ええ、大好きよ!おかあさんって本当に素敵な人だもの。優しくて、温かくて、私もあんな女性になりたいわ」

テオは少し目を細めて言った。

 「母さんもお前のこと実の娘のように可愛がってるし…何かお前、母さんの前で猫被ってるし…」

リリアーナは即座に反論し、そして勝ち誇ったように言った。

 「別に猫被ってなんかないわよ!私とおかあさんは相思相愛なの!何よ、羨ましいの?」

その自慢げな態度に、テオはムッとして言い返した。

 「言っとくけど、母さんは俺の母さんだからな!」

リリアーナは呆れた。

 「分かってるわよそんなこと!全く、貴方って独占欲の強い人ね」

彼女はそう言って、手に持っていた封筒をテーブルに置いた。

テオはさらに不機嫌になり、膝を抱えてベッドに座り込んだ。膝に顎を乗せ、ぶすっとした顔で呟いた。

 「ふん、お前は母さんにさえ会えればいいんだろ…俺がいなくてもいいんだろ、いいよ別に……」

声は小さく、いじけたように掠れていた。彼は膝に顔を半分埋め、リリアーナの反応を待った。彼女が黙ったままなのを感じ、否定くらいしろよと内心で苛立ちながらそっと顔を上げると、表情がごっそりと抜け落ちたリリアーナがじっとこちらを見つめていた。彼女は微動だにせず、青い瞳からは何の感情も読み取れなかった。いつもは傲慢さや優しさ、時には寂しさが宿るその目が、今はまるで空っぽのようだった。テオはその異様な雰囲気に思わずゾッとした。背筋に冷たいものが走り、彼は小さく息を呑んだ。

 「貴方がいなくても……?」

リリアーナが小さく呟いた。彼女の声はかすれ、ほとんど聞き取れないほどだった。彼女は目を伏せ、指先でテーブルの木目をなぞった。それから、は、と小さく笑いをこぼし、

 「ありえない、ありえないわ」

言い聞かせるように、ゆっくりと繰り返した。彼女の唇は微かに震えていた。

リリアーナ、と心配したテオが彼女に呼びかける声に被せるように、リリアーナが無理やり笑みを張り付けて言った。

 「もう寝ましょう、テオ」

彼女は立ち上がり、テオの手を引いてベッドに潜り込んだ。いつものように彼の隣に横になり、彼の手を握った。だが、その手は小さく震えていた。指先が冷たく、彼女の不安が伝わってくるようだった。テオは自分の何気ない言葉が彼女を傷つけ、不安にさせてしまったのかもしれないと感じた。

テオはそっと彼女の手を握り返し、その震えが収まるのを待った。余計なこと言っちゃったか、と申し訳なさが胸を刺し、同時に、彼女が自分を必要としてくれていることへの喜びも感じていた。暗い部屋に二人の静かな呼吸が響き、テオは彼女の横顔を見つめた。リリアーナの長い睫毛が灯りに照らされ、わずかに揺れているのが見えた。

 「…俺もお前が必要だからな」

テオは小さく呟いた。声はかすれ、彼女に届くかどうかも分からなかった。リリアーナは眠りに落ちる寸前だったが、その言葉を聞いたのか、唇がわずかに緩んだように見えた。彼女の手の震えが少しずつ収まり、テオも目を閉じた。部屋には、二人を包む穏やかな静寂だけが残った。

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