17. 懺悔の日
数日後のある日、公爵家の屋敷は重い空気に包まれていた。使用人たちの足音も静かで、誰もが口を開かず、まるで何か大きな影が屋敷を覆っているようだった。テオはその異様な雰囲気を不思議に思い、さらには朝から部屋から出ようとしないリリアーナのことが気になって、彼女の部屋を訪ねた。
扉の前で、テオは小さく声をかけた。
「リリアーナ、入っていいか?」
すると、中からリリアーナの声が返ってきた。
「帰って、テオ。また明日」
その声は冷たく、突き放すようだった。だが、テオはその言葉を無視し、そっと扉を開けて部屋に入った。
「ちょっと……!」
リリアーナが驚きと焦りが混じった声を上げたが、テオが既に部屋に踏み込んでいるのを見て、彼女は諦めたように肩を落とした。
「全く…随分反抗的になったわね」
そう言って、彼女は泣き腫らした顔でぎこちなく笑ってみせた。赤く腫れた目と乱れた髪が、彼女のいつもの傲慢さとはかけ離れた脆さを露わにしていた。
テオが心配そうに尋ねた。
「どうしたんだ?」
リリアーナはテオから顔を背け、ぽつりと呟いた。
「今日は母上の命日なの。私が母上を、殺した、日」
その言葉に、テオは少し考えてから言った。
「じゃあ、今日はお前の誕生日なのか?」
リリアーナは苦しげに頷き、声を絞り出した。
「そう、私が生まれてしまった日。1年で一番、自分のことが嫌いになる日よ」
テオは彼女の背中を見つめ、静かに言った。
「お前が殺したんじゃない」
しかし、リリアーナは首を振ってそれを否定した。
「ううん、私が、殺した。否定するつもりはないわ。この罪は、消えない」
彼女の声は震え、自己嫌悪に満ちていた。そして、続けた。
「今日だけは、父上やお兄様たちの視界に入らないようにするの」
テオはしばらく黙って彼女を見ていたが、やがて口を開いた。
「…俺だけはお前のそばにいるよ」
リリアーナが驚いて顔を上げると、テオは真っ直ぐに彼女を見つめて続けた。
「俺はお前の母さんを知らない。今日は俺にとってはお前の誕生日でしかない」
そして、照れくさそうに付け加えた。
「……誕生日、おめでとう」
その言葉に、リリアーナの目から抑えていた涙が溢れ出した。彼女は両手で顔を覆い、声を震わせて呟いた。
「ありがとう、テオ……」
涙が止まらず、彼女の肩が小さく揺れた。テオはそっと彼女の隣に腰を下ろし、無言で寄り添った。公爵邸にはリリアーナの誕生日は存在しない。あるのは、公爵夫人の命日だけ。リリアーナにとって、母の命日は罪と孤独の日だったが、テオの言葉は初めてその日に別の意味を与えた。
部屋の中には、リリアーナの静かなすすり泣きと、テオの穏やかな気配だけが漂っていた。重い空気を纏った屋敷の中で、2人の小さな空間だけが、わずかに温かさを帯びていた。