市谷綾乃は困惑する
週明け、月曜日の朝。
俺はいつものように、1人で登校する。親父がよく聴いていた曲、バングルスってバンドだったかな? マニックマンデーという曲があったが、確かに月曜日は憂鬱だ。
一葉、いるかな…。
何だかバイトの帰りに話をしてから、ずっと一葉のことを考えているな…。
「桐弥、おはよう! 昨日はありがとう! すごい楽しかった!」
「うお! びっくりした! 一葉か。おはよう」
「ねぇ桐弥。レース用のバイクってすごいね! ブーン! ってやるとさ! なんかこう…お腹の下の方が震えるみたいな感じがして!」
楽しかったか? 俺はその後の、一葉との会話の方が楽しかったけど…。昇降口付近で、一葉と話をしていると突然、俺の肩に平手打ちが来た。
「邪魔だ嗚咽谷!」
「痛て! 胡桃テメエ!」
「聞こえなかったか? 邪魔だ嗚咽!」
コイツ! 市谷の市どころか、谷まで無くなっているじゃねえか!
「おはよう一葉。嗚咽と一緒にいると、一葉まで嗚咽顔になるよ」
そう言って、胡桃は 一葉の手を握り、下駄箱へ引っ張っていく。
「ちょっと胡桃! もう…。ごめんね桐弥」
一葉は俺に手を振り、胡桃と下駄箱に向かった。何で一葉が謝るんだ? 悪いのは胡桃だよな…。
上履きに履き替え、教室に向かう俺。2階に到着すると、バッグを持ったままの一葉が、友達と何やら話をしている。アイツは確か、化学部の部長をやっている、笠原だったか?
1年の時、同じクラスだったけど、テンションのアップダウンの激しいタイプだったような…。一葉って、笠原と仲が良かったのか? 笠原って、ガチのBL好きだったよな…。もしかして、一葉も同じか?
そんな事を思い、二人をチラチラ見ていると「あ! 来た!」と言いながら、一葉が俺の所に駆け寄って来た。
「胡桃の事だったら、いつもあんな感じだから、気になんてしていないぜ」
俺がそう言うと、「あはは! そうだよね。って、違くて!」
「ん?」
ナニナニ? そんな真っ赤な顔をして。
「今日、一緒に帰れるかな…と思ってさ…」
「え?」
突然のことで、驚きを隠せなかった俺。ガチで情けなぇな…。
「やだ! そんなに驚かないでよ!」
「別に…。驚いていないし…。それじゃ、一緒に帰ろ」
俺は平静を装ってはいたが、恥ずかしながら、心臓はバクバクだ。これは来たか? アオハルか? 俺にも来ちゃったか?
「一葉、チャイム鳴るよ。」K組の入り口で、笠原が言った。
「やべ! 俺も教室行かねぇと! それじゃ放課後、下駄箱で待ってるよ」
「うん。ありがとう」
俺たちは 各々の教室に向かった。すると。
「市谷君? 男女交際は禁止ですよ」
美梨さんだ…。いちいち、うざったいな…。
「先生。別に交際してませんが?」
「もう冗談よ。そんなに嫌な顔をしないで? さあ、教室に入りなさい。今日は私が、福田先生の代わりです」
ああ。そう言えば先週、福田が月曜は休むって言っていたな。
「はい」
◇
放課後…。ホームルームが終わり、教室を出た俺に、美梨さんが話しかけてきた。
「市谷君、ちょっといいかしら?」
美梨さん。最近、何かと話しかけてくるな…。
「はい。何でしょうか?」
「生徒指導室に来てもらってもいい?」
マジか?
「あの…。帰宅してからじゃ、ダメでしょうか?」
俺は小声で言った。
「親にお話しをする前に、市谷君、本人から聞きたい事があるんだけど」
ああ。今週末のレースの事だな。岩手って、嘘ついたからな…。
「わかりました。それでは 一緒に帰る友人に、一声かけてから、すぐに行きます」
「樋口さんかな?」
「はい」
何なんだよ、うざいな!
「わかりました。それじゃ私は先に生徒指導室に、行ってますね」
俺は先生と別れ、一葉のクラスへ向かう。
K組はまだホームルームだ。良かった。廊下で1人、外を眺める。なんだか、彼女を待っているみたいだな…。
しばらく待つと、椅子を引きずる大音量が聞こえた。
ホームルーム終了だ。引き違いの扉が開く。
ざわざわと出てくるK組の連中が、俺を見る。俺がいる事に、興味津々な女子たち。そんな中、一葉が、足早に教室から廊下へと出てきた。
そして、俺を見つける。
「桐弥?」
一葉が、俺に話しかけると、女子たちのヒソヒソ話が始まる…。
「一葉、悪い。市谷先生に、生徒指導室に呼び出されちった。一緒に帰れねえや」
教室の入り口から、ニヤニヤと俺たちを見る、K組の女子たち。
「じゃあ、待ってるね。LINE交換しよ。終わったら連絡ちょうだい」
「え? 待っててもらっても、いいの?」
「うん待ってる! だからスマホだして! はい、ふるふる!」
おおー! 初めて女子とLINEでつながった。
「それじゃ、しっかりと先生に指導されてきてね」
「嫌な事を言うなって…」
はぁ…。生徒指導室、か…。
マジで嫌だな。と思いつつも、扉をノックをする。
トントン。
「2-Gの市谷です」
「どうぞ」
部屋に入ると、隣の部屋からは 大声というよりも、怒鳴り声が、こちらの部屋まで飛び込んでくる。隣は 生活指導室。ピアスでも見つかったのか? さすがの先生も、「すごいわね」と言うくらいだ。
いわゆる、ドン引きのようす。だが、すぐに先生の目つきは変わった。
「ところで。今週末に学校を休むそうね? あと、名古屋なんでしょ? なんで私に嘘を言ったの?」
なんて言おうかな…。何を言ってもダメだろうな…。そんな事を考えていたが、先生の話は続く。
「名古屋での開催は 佐原から聞いたんだけどね。たぶん、佐原は 住んでいるアパートの隣の居酒屋。砂川君の所に良く行くみたいだから、開催地は砂川君から聞いたんだろうけど。でも、綾乃は知っていたのは 何でかな?」
妹は知っていて、自分が知らなかった事に対して、ムカついたのか?
「綾乃とは話なんてしていないですよ。アイツ、俺にはいつも喧嘩腰だし…」
「そうね…。でもあの娘、お母さんに言ったのよ。あなたの事をね。それで、お母さんが落ち込んでいるの」
その事か…。
「わかりました、正直に言います。今の俺の走りは 誰にも見られたくないんです。スランプとかじゃないんです。今回のレースで、何かをつかめなかったら、モトクロスを止めようと思っています。母さんにも、この事は近いうちに伝えるつもりでした」
「そんな…。止めるって…。私じゃ、桐弥君の相談相手になれないの?」
先生、そんなに悲しい顔をしないで下さい。
「さっきも言いましたが、スランプとかじゃないんです。自分でもよくわからないんです」
あなた達に、本当の事は言えないですよ…。
「わかりました。それでは帰っていいですよ。樋口さんと、帰るんでしょ?」
イラつく言い方をするな…。
「はい。先生の指導が終わるのを待っているそうです」
俺も少し嫌味を言った。すると、先生は机に肘をつき、頭を抱えている。
「それでは失礼いたします」
「はい…」
なんだよ、その返しは? 俺が悪いみたいじゃん! というか、先生? もしかして落ち込んでいるのか? 本当にめんどくさい人だな!
「あの、先生。俺の事を気にかけてくれて、その…。こういう事を言うと、恥ずかしいですが、嬉しかったです。美梨さん、ありがとうございます」
美梨さんは突然立ち上がり、俺の方を見る。俺の一言が嬉しかったのか、笑顔で「うん!」と言った。
「桐弥君。気をつけて帰るのよ」
「はい、失礼いたします」
下駄箱に行くと、一葉が笠原と話をしている。そして、俺が来るのを見つけると、「あれ?」と言って、自分のスマホを見る。
「違うんだ。下駄箱に着いたら連絡をしようかなって…」
「良かった…。スルーしたかと思った」
一葉の、ホッとした顔に、気をつかわせている事がわかる。
「ははは! 気にしすぎだよ」
「だって…」
下を向く一葉。そんな一葉に、笠原が言う。
「それじゃ、私は部室に戻るよ」
「うん。ありがとう李衣。また明日!」
笠原って、リエっていうのか。笠原は一葉に、後ろ向きのまま、片手を軽く上げながら、部室の方へ歩いて行った。
駅のホーム…。
俺たちはホームで電車を待つ。まだ4月だというのに、今日は蒸し暑い。まるで梅雨時期のようだ。まわりを見ると、制服のジャケットを脱いでいる生徒もたくさんいる。
「桐弥は暑くないの?」
暑さで少し、赤い顔をした一葉が言った。
「なんだか蒸しているな。背中が大変な事になっている」
「そうなの?顔は汗が出てないけど?」
「顔は汗があまり出ないな」
「なんと? 女子からすると、羨ましい…。キャッ!」
一葉が話している途中で、下り線の電車が来た。
その風圧で、一葉の髪がフワっとなる。
手櫛で、乱れた髪を直す一葉に、俺は見惚れていた。
「ちょっと…。見すぎだよ桐弥…」
「な? ごめん…」
やばい! なんだか今の俺って、変態じゃん! お互に下を向いてしまう2人。
電車に乗ると、車内はエアコンが効いていて、涼しい。さすがに今日はクーラーが無いと厳しいよな。一葉も、「ふー。」と言っている。
そんな中、俺は嫌な視線を感じた。隣の乗車口付近にいる女子高の生徒達。綾乃の通う、学校の制服だ。嫌な視線の主、それは綾乃だった。
綾乃は俺をジィッと見ている。見てるんじゃねぇよ!
すると、何を血迷ったか、綾乃は俺たちの方に歩いてきた。そして、俺を嘲笑うかのように言う。
「もしかして、桐弥の彼女? 可愛い娘ね」
「なんだよ綾乃。外で話しかけるな。って言ったのはそっちだろ?」
「私から話しかけない。なんて言ってないじゃない? まぁいいわ、お姉ちゃんに報告だな」
「もう知っているよ」
「へぇ…。そうなんだ。それじゃ、お邪魔しました」
アイツなんなんだ?
綾乃が女子高の友人達の所へ戻ると、「うそー?」や「マジかー!」の連呼。実際、こういう事態になる事は想像できたので、俺自身も外で綾乃に話しかける事は無かった。
「桐弥…。ごめんね」
「は? 何? こっちこそごめん! ちょっと、ここじゃ言いづらいから、駅に着いたら説明するよ」
「えっ? いいよ…。大丈夫だから…」
そう言って、一葉は黙ってしまった。
下車駅の上中里に到着し、扉が開く。一葉は突然、俺から逃げるように走り出した。
「一葉?」
俺の呼びかけを無視し、一葉は改札を抜ける。
「待ってくれ! 一葉!」
俺は一葉に追いつき、彼女の二の腕をつかんだ。腕をつかまれ、驚いた顔をする一葉。
「うわ! ごめん!」
咄嗟にやってしまった事だが、女子の腕をつかむなんて…。だが、振り向いた一葉の瞳からは大粒の涙が、ところ狭しとこぼれ落ちている。
「一葉、ごめん…」
「謝らないで…。私、男の子と付き合った事とか無いから、わからないんだよ…。私の方こそごめんね…。桐弥に彼女がいるなんて、知らなかったんだよ…」
「彼女なんていねぇよ!」
「だって…。さっきの娘…。あやのって、呼びつけしていた…」
すると。
「あー。桐弥が女の子泣かしてる。これこそ、お姉ちゃんに報告だな」
ニヤニヤと嫌な微笑みをしながら綾乃が話しかけてきた。
「綾乃! お前は来るな!」
綾乃は不敵な笑みを浮かべて、一葉に近づく。
「一葉さんっていうの? 初めまして。妹の綾乃です。さっきは電車でごめんね。桐弥のデレデレした顔を見たら、イライラしちゃって…」
鳩が豆鉄砲を喰らう。今の一葉の顔は 正にそれだ。
「妹?」
「そう、妹。ちなみに、お姉ちゃんはコミュ英の市谷美梨先生」
「お前! 何を!」
「別にいいんじゃない? 彼女でしょ? 家に来たら、どうせバレるじゃん」
「そう言うことを言っているんじゃねぇ! まったく…。 こんなに涙を流しちゃって…」
俺はバッグからティッシュを出し、一葉の涙を拭おうとした。
「おい! キモメン! なにやってんだ! 女子の涙をティッシュで拭くな!」
綾乃はそう言って、自分のハンカチで一葉の涙を拭ってあげた。
その後、俺たちは駅近のファーストフードでお茶をすることにした。いわゆる、綾乃からの尋問だ。
「で? いつから付き合っているの?」
足を組み、偉そうに俺たちに質問をする綾乃。
「綾乃ちゃん、あのね…。桐弥とは先週の土曜日に初めて話しただけだよ…」
「は?」と言いながら、眉間に皺を寄せる綾乃。
「本当だ。バイトの帰りに、公園で初めて話した。」と言う俺の返しにも、綾乃の表情は変わらない。
「は?」またもや、同じ事を言う綾乃。
「いやいやいや! 無いでしょ? どこからどうみても彼氏彼女でしょ! 恋人同士でしょ!」
綾乃は背もたれにのけぞって、驚いている。
俺たちはというと、綾乃の言葉に照れた? というか、恥ずかしさから、お互いに下を向いてしまった。
「ちょっと? 二人ともマジか? マジでマジカル!」
綾乃が支離滅裂な言葉を発した。
「あの…」
一葉が話を始めようとすると、綾乃はテーブルに身を乗り出してきた。さすが女子。恋バナが好きなようである。
「あのね…。桐弥のことは前から知っていたよ。私がフェイレイ…。あっ、うちの犬ね…。夜にフェイレイを連れて公園にいると、桐弥がバイトの帰りに、その公園の前を通っていたから…」
「はぁ」気の抜けた相づちを入れる綾乃。
「だってさ! 同じ学校の制服で、学年カラーも一緒だから気になるじゃない?」
一葉さん? 赤い顔をして、目の焦点あってないし…。てか、コクっちゃってるし!
↑
綾乃、心の声。
「そ、そうだったんだ? へー! 俺もさ、夜なのにさ。なんか心配じゃん? 的な感じで、一葉のことは見ていたんだよね! アハハ!」
桐弥さん? 頭は大丈夫ですか? 今、コクってましたよね? 一葉ちゃんがコクってたのと、同じ事を言ってましたよね?
↑
綾乃、心の声。
「あっ! やべ! そろそろバイトだ! 行かなくちゃ!」
桐弥さん? 棒読み。
↑
綾乃、心の声。
「そっかー! 今夜もバイトなんだね! あ、あのさ。今夜も会えるかな? な、なぁんちゃって。えへへ!」
一葉ちゃん? あなたまで棒読みですよ?
↑
綾乃、心の声。
「ぜんぜん平気だよ! 俺疲れないし? 的な?」
「じゃあ、公園にいるね! フェイレイの運動だし? みたいな? アハハ!」
「それじゃ帰ろうか? 綾乃は?」
「いい…。も少しいる…」
あきれた顔をしながら言う綾乃。
「そっ、そか! それじゃお先に!」
「はあ」
「あ、綾乃ちゃんそれじゃ!」
「はあ」
なんだあの二人は…?
もぉ、付き合っちゃえよ…。