出会い
俺は都内の私立高校に通う、市谷 桐弥2年生。
去年の暮に、父親が他界した。母親には 会った事も無いし、どういう人かもわからない。今いる母親は 父さんの再婚相手だ。そして、その時から同時に姉妹ができた。
俺の七つ歳上の姉と、同い年の妹。姉の名は美梨さんといい、俺の通う高校で英語の教師をしている。
妹の名は綾乃。こいつは俺を避けている。と言うよりも、男が近くにいる事に対して物凄い嫌悪感を丸出しにする。
当初、俺は一人っ子だった事もあり、姉妹ができることに、とても嬉しく感じた。それは友人からよく聞く話で、「昨日アニキと喧嘩してさ…」や、「妹が俺の観ているテレビのチャンネルを勝手に変えやがる!」と言う話に、羨ましく感じていたからだ。
だが実際、共に暮らしてみると、とても窮屈な生活の始りだった。
1階のトイレは女子専用。
お風呂は女子優先。
洗面所は女子優先。
女子の洗濯物を触るな。臭いを嗅かぐな。
「嗅ぐか! 俺は変態か?」
思わず独り言をもらすと、綾乃が俺のいる洗面所に来た。
「桐弥キモ。朝から独り言かよマジキモ。ホントキモ。そこどいてキモ」
俺を見ると、何かしら絡んでくる綾乃。もちろん、悪い意味でだ。そういう事があるせいか、俺は綾乃とあまり会話をした事が無い。俺は綾乃を無視し、リビングに行った。
「おはよう、桐弥君」
リビングに行くと、姉の美梨さんが朝食中。
「おはようございます」
「桐弥君、すごいね。採点したら、97点だったよ。90点以上は桐弥君だけだった!」
美梨さんは今年から2年の英語の教科担任をしている。1年生のコミュ英と、2年生の英語だ。一応、学校には俺と美梨さんが姉弟という事は隠密に。という事になっている。それは俺が、試験で高得点を取った時に、疑われるかも。という配慮だ。
「きっと、先生の教え方が上手なんですよ」
「ですよねー!」
笑顔で返す美梨さん。姉と妹で、性格が大違いだな…。
「おはよう、桐弥君。今夜はバイトでしょ? 夕飯は?」
「母さん、おはようございます。今夜は22時迄だから、賄いがあるので大丈夫です」
「そう…。あまり無理しちゃダメよ。もうすぐ大会でしょ? 筋トレもやるんでしょ?」
「ええ…」
大会とは 俺が小学生の時からやっている、モトクロス。俺が出場するのはスピード&スタイルだ。
「ねえ桐弥君。今度の大会はどこなの? 私も見に行ってもいい?」
眼を輝かせて、俺に質問をする美梨さん。来ないでいいんだけど…。
「別に、来るのはかまいませんが、今回は岩手ですよ」
本当は名古屋だけど…。
「マジかー! 無理だー!」
「近くでやる時に、応援をお願いします。それでは学校に行ってきます」
「やば! もうそんな時間? 私も行かなくちゃ! 行ってきまーす!」
「はいはい。行ってらっしゃい。綾乃? あなたも早く、支度しなさい」
「私は今日、10時登校だもん」
「あら? そうだったわね」
「ねえ、お母さん。桐弥、嘘だよ」
「何が?」
「大会、岩手じゃないよ。名古屋だよ」
「あら…。そうなの? 何で嘘なんて…」
◇
その日の放課後…。
生徒会に所属する俺は週に何回か、ちょっとした仕事をしている。ちょっとした仕事とは、木登りをし、降りれなくなる2年R組の厨二女の救出だ。
その救出は1年の男子の担当となっている。俺がやる事は、アップスライダーと呼ばれる、伸び縮みするハシゴを木に設置するだけだ。
まったく…。降りられねぇんなら、登るんじゃねぇよ…。
「桐弥!」
そんな中、名前を呼ばれた。話しかけてきたのは 俺の一つ年上の先輩、砂川 葵君。父親同士が親友で、俺たちは小さい頃から、お互いに仲が良い。
「あ、こんち」
「あはは! また救出か? めんどくさい女だなアイツ。普通にしていりゃ可愛い子なのにな」
「マジか? 趣味悪いぞ?」
世間では厨二っぽい性格の子がモテるのか?
「ところでトレーニングはしているのか?」
「葵君こそ、しているのか?」
「お前! 生意気だぞ? 俺にトレーニングは必要ねぇ!」
「へぇ。この前の夜にバイトの帰り道で見たぜ、死にそうな顔で走り込みをやっていたのを」
「マジか? そんな顔をしていたか?」
「なーんてね。葵君なんか見たこと無いけど。てか、トレーニングしているんじゃん」
この葵君も、実は俺と同じく、モトクロスをやっている。葵君もスピード&スタイルに出場する。
「お前! まあ、いいや。バイクは? セッティング終わったのか?」
「明日。胡桃の家に行って見てくる。篠原さんが、ある程度やってくれるから、俺は最終チェックだけで済むからね。篠原さんには感謝しても、しきれないよ…」
すると、後方から俺に向かって、罵詈雑言がきた。
「おい! 嗚咽谷桐弥!」
「誰が嗚咽だ!ブサイクが!」
この口の悪い女。篠原 胡桃は 俺と同い年だ。そして、胡桃のお父さんが、先ほど話に出た、篠原さんである。ちなみに、篠原さんと俺の父親も親友同士だった。その事もあり、胡桃のお父さんは俺の事を息子のように可愛がってくれている。
「お父さんからの伝言だ! その気持ち悪い顔を整形しろ! 以上だ!」
コイツ!?
「テメェ! まあ、いい。明日の昼ごろに顔を出す。篠原さんに伝えてくれ」
胡桃は俺に、それだけ言うと、友達と帰って行った。
「ちょっと! 胡桃! 謝りなよ!」
胡桃と一緒にいた友達が、俺に気を使っている。あの人はいい人だな。
あれ? 一緒にいる人って、どっかで見たことあるな…。そんな事を考えていると、葵君が話しかけてきた。
「なあ。何で桐弥は胡桃に嫌われているんだ?」
当然の事を俺に聞く、葵君。
「知らない。でも、あそこまで言うようになったのは最近だな…」
◇
桐弥のアルバイト先、ON LIMIT。
「おはようございます!」
「おはよう桐弥! 突然だが、19:30に予約が入っちゃってさ! 裏から、椅子を2脚持ってきてくれ」
「はい、わかりました」
俺のバイト先のバー。ここのマスターも俺の父親と親友同士だった。名前を梶浦さんという。俺が父親の事で、塞ふさぎ込んでいた時に、ここでのバイトを勧められた。
「うちは忙しい時なんて、あまり無いから、気晴らしにおいで」と言われた。が、まんまと騙だまされた。
暇な時間帯は 開店から1時間の間だけ。その後は忙しくて、目が回るほどだ。バイトを雇うくらいだから、当然ではあるが。
「マスター、持ってきました。テーブルはどこにセッティングしますか?」
「奥に6人で作ってくれ」
忙しそうにオードブルを作るマスターが俺に言う。
「了解です」
今日は珍しく奥さんまで手伝いをしている。
ちなみにこのお店 ON LIMITは、昼間は喫茶店として、奥さんが営業をしている。今はバーの時間帯なので、奥さんはきっとバイト代を請求するだろうな。笑える…。
そして、予約時間になり、お客さんが来た。
「いらっしゃいませ!」
「突然ですみません。予約した高木です」
あれ? この人、学校の事務員の人?
「大丈夫ですよ。6名でしたね、こちらです」
俺は高木さんを席まで案内をした。
「砂川君もそうだけど、市谷君も礼儀正しいのね」
「葵君が? 葵君はただの色ボケですよ? 高木さんは 葵君の家のお店に、行った事があるのですか?」
高木さんは俺の質問に、ふふっと笑い答える。
「隣のアパートに友人がいてね。たまに、その友人宅に泊まった時に何度か」
「その友人って、佐原さんって人ですか? 葵君が言っていたけど、面白い人なんですよね?」
「あら? 知っているの? 佐原も、もうすぐ来るわよ」
「あはは。楽しみにしております」
俺はそう言って、高木さん達の食事の準備を始めた。
ところで高木さん、なんで俺の事を知っているんだ? 全校生徒で、3千人位いるのに…。もしかして、先生の知り合いか? ってことは先生も来るのか? 来たら嫌だな…。考えるのは止めよう。フラグたてちまうからな…。
「こんばんはー!」
残りのメンバー、5人の登場。あぁ…。やっぱりフラグたてちまった…。そのメンバーの中に、先生もいる。美梨さんだ。
「きゃー! 桐弥君! 制服カッコいいー!」
…マジか…。
「先生。皆さんの迷惑になりますので、大きな声はひかえて下さい」
「桐弥君! 学校以外では美梨ちゃんでしょ?」
「いらっしゃいませ。みなさんお揃いでしょうか?」
とりあえず、先生は無視だ。
「美梨、無視されてる。」
的確なツッコミを入れる女性。たぶん、この人が佐原さんだな…。
「違うよ佐原! もぅ、桐弥君ったら照れちゃって」
照れてねーから!
その後。カウンターにもお客さんが来て、店内は 毎度のごとく、満席になった。明日は休日という事もあり、先生たちのテーブルのワインは 湯水のごとく、底をつく。次から次へと増えていく、お皿とグラス。食器乾燥機も、悲鳴をあげているようだ。
「桐弥君、疲れたろ? これ飲みな」
そう言って、初老の男性が、俺にコーラをご馳走してくれた。
「ありがとうございます。今夜はさすがに堪ますね」
俺は磨いていたグラスを置き、乾ききった喉に、吐く息が白くなるような、冷たいコーラを注ぎ込んだ。
「ははは。遠慮をしない所を見ると、よほど喉が渇いていたな?」
「しっ! 失礼いたしました!」
「いいんだよ。もう少し…。あと30分くらいかな? 頑張ってな」
「はい! ありがとうございます!」
気がつくと、時間は21:40。こりゃ、残業だな…。腹減った…。すると、
「桐弥く〜ん! ご馳走様!」
先生たちのテーブルだ! 助かった! この団体がネックだった!
「ありがとうございます。チェックで宜しいですか?」
「はい、お願いします。でも、私と美梨は残ってもいいですか?」
ゲッ! 笑顔で何を言っているの? 高木さん!
「えー! ショックー! そんな顔しないで…」
先生は俺の顔を見て言う。そんなに嫌な顔をしちゃったか?
「先生、気に障ったらすみません。ただ、少し飲み過ぎかと思って。余計な心配ですよね」
先生の落ち込んだ顔は 俺の言った一言で、一瞬にして笑顔を取り戻した。良かった。
「桐弥君…。ありがとう…。今日は帰りますよ。残りの時間、頑張ってね」
先生はそう言って、少しふらつきながら、友人たちとお店を出た。
俺を見て、高木さんはニコッと微笑む。なんだか、高木さんには見透かされているな…。まいいや。そんな事よりも、よかった。帰ってくれた。
その後、俺は先生たちのいたテーブルを片付け、その洗い物を始めた。
よかった。なんとか22:00にあがれそうだ。お客さんも、あと2人。これなら、もう大丈夫だな。すると、マスターが俺に言う。
「桐弥、お疲れ。賄いを用意したから、奥で食べなさい」
終わったー。
「ありがとうございます」
俺は奥の部屋で、マスターの作った食事を頂いた。大会が近い事もあり、魚メインの気を使った夕食だ。
「ああ。美味しい」
思わず独り言をもらす…。
明日は胡桃の家に行って、バイクのセッティングを見ないとな…。あ! 思い出した! 胡桃と一緒にいた人。バイトの帰りに、よく見かける人だ。さすがに今夜はいないよな。もう22:00過ぎだしな…。
俺は食べ終えた食器を洗い、まだいるお客さんと、マスターに挨拶をして、お店を後にした。
少し冷える、4月下旬の夜。疲れた身体をクールダウンさせるのには ちょうど良い気温だ。
この公園だよな、いつも犬を連れて…。あれ? いる…。
公園の外灯の下。たまに過ぎ去る風が、彼女の髪を揺らす。口には銀色の何かを銜えている。そして彼女はたまに頬を膨らませる。どうやら、銜えているのは笛のようだ。犬笛?
俺は不覚にも、彼女に見惚れていた。月明かりに似た、外灯の明かりが、彼女を輝いて見せている。
彼女は俺に見られている事に、気がついたようだ。当たり前だ。人気の無いこの時間帯で凝視されれば、何かしら感じるモノはあるはずだ。
俺は彼女と目が合ってしまい、頭を下げた。目が合ってしまった事に対しての、恥ずかしさからだ。
「桐弥君!」
何で俺の名前を?
「はい」
バカか俺は? 何でいい返事しているんだ?
「えっと、胡桃の友達だよね」
距離にして、5mくらいだろうか。その距離で、会話が始まる。
「うん、樋口だよ。5千円札と同じ字で、カズハ。樋口 一葉。K組だよ。桐弥君はG組でしょ?」
「ああ、G組。Kって理系か」
「うん。私の家って、そこの病院だから。私もね、ドクターを目指しているの」
そう言って一葉は指をさす。その方向には確かに病院。それにしても、サラッと凄い事を言うな、この人は。
「へぇ…」
ヤバい! 会話が終わっちゃう! って俺は女子か?
「桐弥君って、アルバイトをしているの?」
「ああ、うん」
「21:00頃に、よくここを通るでしょ? 私は毎晩、このコとここにいるからさ」
そう言って、一葉という娘は足元にいる犬の頭を撫でる。ていうか、バカでかい犬だな。
「その犬、ずいぶん大きいな」
「うん。アイリッシュ・ウルフ・ハウンドっていう犬種。北海道に住む叔母に貰ったの。怖くないよ」
「別に怖くねえし」
「違うよ! 今のはフェイレイに言ったんだよ」
うひょー!
「そ…そうか…。フェイレイって言うんだ。」
「うん。ねえ、桐弥君」
「何?」
「明日、胡桃の家に行くんでしょ? 絶対に邪魔になるような事はしないから、私も見に行ってもいいかな?」
変な娘だな。オイル臭いだけなのに…。ん? 胡桃に用事か? だよな、あはは…。
「別に、大丈夫じゃないかな。俺はバイクのセッティングを確認して、すぐ帰るから」
「良かった! レース用のバイクとか、見たかったんだ! ねぇねぇ! エンジンかける?」
「は? バイク? エンジン? そりゃ、かけるけど?」
「やったー!」
何? その笑顔! 一葉って可愛いな!
「どうしたの?」
「いや、あの。一葉って…」
「え? やだ! いきなり呼びつけ…」
「あ! ゴメン! つい!」
「えへへ。いいよ、別に。じゃあ私も。桐弥」
やめてくれ! その笑顔!
「えーっと…。それじゃ、そろそろ帰ろうか。補導されちゃうかもしれないし」
「あはは! そうだね!」
「それじゃ、また明日。おやすみ一葉」
「うん。おやすみ、桐弥」
こんな俺たちのやり取りを 遠目で伺う2人がいた。
「ねえ美梨。あれ桐弥君じゃない? 一緒にいる娘って彼女かな?」
「あの娘、樋口さん? なんで?」