表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

不思議な青年

公園にて

作者: 曲尾 仁庵

 街の真ん中にあるこの公園で毎日、一人のおばあさんと一匹の黒猫が楽しそうに遊んでいることを、近所に住む人々なら誰でも、よく知っていた。ふたりは入り口近くにある小さなベンチに並んで座り、日が暮れるまで一緒にいた。ふたりはとても仲良しだった。

 ある日、突然おばあさんは公園に姿を見せなくなった。そして黒猫も公園から姿を消した。公園のベンチに座る人は、誰もいなくなった。そして二週間が過ぎた。


「あの、すみません」


 街の真ん中にある公園の、入り口近くの小さなベンチに座っている青年に声をかけたのは、小学生になったばかりというような、幼い少年だった。外見に似ず、意志の強い瞳をした、きれいな黒い髪のその少年は、ひどく切実な、そして不安げな表情を浮かべて、青年の顔をじっと見つめる。


「はい、なんでしょう?」


 少年にそう答えた青年は、しかし少年とは対照的に、ゆったりとベンチに腰掛けていた。チューリップハットを被り、着物姿にブーツを履いた、おおよそ現れる時代を間違えたような格好のその青年は、見るものを安心させるような穏やかな笑みで、少年の視線をやわらかく受け止める。青年のその様子に少年はほっと表情を和らげると、とても真剣な声音で青年に言った。


「おばあさんを知りませんか? 二週間ほど前まで、毎日そのベンチに座って黒い猫と遊んでいたおばあさんが今、どこにいるのかを」

「……おばあさん、ですか?」


 すがるように青年を見る少年に、青年は何か言いたげな、少し考えるような表情を返すと、すぐに笑顔に戻って、自分の座る隣の場所を指差した。


「座りませんか? 見たところ、あなたは少し、お疲れのようだ」

「え? あの、でも……」


 おばあさんをさがさなきゃ、と言いかけて、少年は口をつぐんだ。ただニコニコと笑っているだけなのに、青年の言葉にはなぜか逆らいがたい雰囲気があった。少年はしぶしぶ青年の隣に腰を下ろす。青年は満足げにうなずくと、ベンチの背もたれに背中を預けて、ゆっくりと空を見上げた。


「あの、それで、おばあさんは」

「今日はいい天気ですね。風も、とても気持ちがいい」


 あせるように言った少年の言葉をさえぎって、青年はそんなことを言った。青年は何も教える気はないのだと悟って、少年は深くうつむいた。青年は、そんな少年の様子に気が付かないとでも言うように、空や、公園の木々や、行きかう人々を楽しそうに眺めていた。しばらくの間、二人は無言でベンチに座っていた。

 どれだけの時間が経っただろうか。不意に、少年が口を開いた。


「……おばあさんは本当に、やさしい人だった。いつも頭をなでてくれて、たくさんお話をしてくれて」


 うつむいたまま、独り言のように、少年はぽつり、ぽつりと話を続ける。


「でも僕は、おばあさんの言葉が何一つわからなかった。少しでも理解できたらって、ずっと、願って、やっと……願いがかなったって、思ったのに」


 少年は深く息をつくと、力なく首を振った。


「……二週間、さがした……もう、会えないのかな……?」


 少年は空を見上げた。おばあさんが大好きだった。もう一度会いたくて、必死におばあさんの姿を探し回った。でも、どこにもいない。おばあさんがいない。


「……少し、つかれたな」


 背もたれに身体を預けて、ぼんやりと流れる雲を見た。張り詰めていたものが急に切れてしまった。そして少年は、いつの間にか空があかね色に染まっていることに気付いた。


「……ああ。知らなかったな」


 まぶしそうに目を細めて、少年はつぶやいた。


「人の見る空は、こんなにも、近い」


 空を仰ぐ少年を、いつの間にか青年は穏やかに見守っていた。そして、始めからずっとひざの上に抱いていた、年とった黒猫の背中をなでた。すると黒猫は、青年のひざからひょいと飛び降りて、少年のひざにのぼり、話しかけるように「にゃあ」と鳴いた。突然あらわれた重さに、少年はびっくりして視線を落とした。黒猫はとてもやさしい目で少年を見つめていた。その瞳は、とてもなつかしい……


「……そうか。僕は、おばあさんの姿だけをさがして、他の何も見てはいなかった」


 少年がおばあさんを想っていたように、おばあさんも少年を想っていた。そう気付いて、少年はすべてを理解した。少年は黒猫を、その小さな腕でそっと抱きしめると、目に涙をいっぱいにためて、


「やっと会えた」


 少しかすれた声で、そう言った。黒猫は少年の顔にほおを寄せると、いとおしむように目を細めた。

 夕日が、沈もうとしていた。




 少年と黒猫の身体が淡い光に包まれ始めて、少年は終わりの時が近いことを知った。少年はベンチから立ち上がると、青年に向かって初めて、笑顔を向けた。


「ありがとう」


 青年は穏やかな笑顔のまま、軽く首を横に振った。少年たちを包む光はいよいよ強さを増し、やがてふたりは光の粒になって空に消えた。美しい、光景だった。

 薄闇の中、青年は一人、空を見上げた。雲ひとつない、澄んだ空だった。青年は嬉しそうに、こうつぶやいた。


「今日はきっと、星がきれいだ」


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ