4.彼女と出会った日(2)
止血していた女性から布地を受け取り、傷口をきつく縛り上げる。そこに、固定魔法をかけたので、しばらくすれば血も止まるだろう。これで止まらないようであれば、縫う必要がある。
怪我をすぐに治せるような魔法はない。それは、『聖なる力』と呼ばれる領域である。
「お前の姉なのか?」
男の子に尋ねると、彼は勢いよく首を横に振った。あまりにも激しくて、首が外れてしまうのではと心配になるほど。
「おねえちゃんは、馬車でいっしょになった」
爆発した簡易宿は、馬車移動の中継点にも使われていたようだ。
「ぼくたち、ソクーレにいくところ」
「ウリヤナさんはソクーレに向かわれていたのです。その馬車で一緒になりました」
先ほどまで倒れていた女性の止血をしていた女性は男の子の母親なのだろう。男の子の言葉を補足するかのように口を開いた。
「ウリヤナ……」
目を閉じたままの彼女の名を口にする。どこかで聞いたことがあるような名。心の中がざわつく。
だが、それよりも気になっていることはある。
「そういえば、先ほど。彼女が助けてくれたと言っていたが?」
爆発規模のわりには怪我人が少ない。それがレナートの印象である。だから、男の子のその言葉が気になったのだ。
できるだけ圧を与えぬよう、穏やかな口調を心掛けて、男の子に向かって尋ねた。子どもは嫌いではないのだが、子どものほうから恐れられるのがレナートという男でもある。
「はい。ウリヤナさんが魔法を使って、私たちを助けてくれたのです。だから、私たちもこうやって……」
母親が答えてくれるなら、レナートとしても助かる。
「だが、彼女は……」
ウリヤナという女性からは魔力がいっさい感じられなかった。それでも彼女が魔法を使ったと言う。
母親の言葉には矛盾があるが、当の本人はそれにすら気づいていないのだろう。他人の魔力の有無、優劣を感じ取れるのも、魔術師と呼ばれるほどの魔力を持ち合わせていないとできない。
それにウリヤナからは、もう一つ別の力を感じる。
そのとき、はっきりとした口調の大きな声が響いた。いつの間にか複数の男性がやってきていたのだ。
「おい、君たち。宿にいた者たちか?」
身に着けている物から察するに、彼らは騎士団の人間である。
レナートはウリヤナを抱き上げた。彼女をこのままここに置いておくわけにはいかない。
「ソクーレに行くと言っていたな」
男の子に声をかけると、彼は大きく頷く。
「ついてこい。今日、泊まる場所くらいなら提供してやる」
「おかあさん……」
男の子は女性の袖口を引っ張る。
「遠慮するな。それに彼女の手当てもしたい。お前たちの命の恩人なのではないのか?」
「おかあさん……」
くいくいっと男の子が引っ張ると、母親も観念したかのように立ち上がった。足元にあった荷物を両手に抱え込む。
「こいつらは俺の連れだ。悪いがつれていく」
レナートが側にいた騎士に声をかけると、相手も怪訝そうに眉間に皺を寄せる。
「俺の名は、レナート・ザフロス。そこの宿に泊まっている。何かあれば、そこにこい」
「いや、だが……」
「ここの宿にいた者は、全員無事だ。多少の怪我はあるがな。それよりも、この爆発を起こした犯人を捕まえるほうが先ではないのか?」
騎士団が現れた途端、不審な動きをしている男がいる。走って逃げられないのは、足を怪我したのだろう。それでも這うようにして、ここから距離を取ろうとしているのだ。見るからに不審者である。
騎士の男はレナートの視線の先に気づいたのか、この場からなんとか逃げ出そうとしている小太りの男へと身体を向けた。
小太りの男に一斉に人が集まり、彼を拘束した。
それを見届けたレナートは、男の子を見やる。
「おい、お前」
男の子を呼んだつもりだが、残念ながら名前を知らない。
「名前は?」
「おじさん。人に名前をきくときは、自分の名前からだよ」
少し後ろをついてくる彼の母親がヒヤヒヤしている様子が伝わってくる。だが、レナートは子どもが嫌いではない。ただ、子どもが勝手に怯えるだけなのだ。
「そうか。それは失礼した。俺の名はレナート・ザフロス。おじさんではない」
むしろ最後の一言が一番伝えたかった言葉でもある。
「ぼくはマシュー」
歩くたびに抱きかかえているウリヤナの身体がずり落ちてくる。もう一度抱え直す。
「そうか、マシュー。いい子だな」
マシューもそう言われて悪い気はしないようだ。
レナートはできるだけ人の少ない道を選んで歩いていたつもりだった。だが、人々が忙しく行き交い、声が響く。
炎の勢いは弱まり、周囲への影響の心配は減った。
それでもまだ火種はくすぶっているし、何よりも爆発した原因を探らねばならないだろう。
「ところでマシュー。俺に助けを求めたのは、お前か? ずっと心の中で助けてと叫んでいただろう?」
「うん。おねえちゃんを助けてって思ってた。おじさん……」
「レナートだ」
「レナートには、ぼくの心の声が聞こえたの?」
「そうだな……。マシュー、お前は魔法が使えるのか?」
ぷるぷると小刻みに首を横に振る。
「この子はまだ、魔法が使えません」
母親がそっと口を添える。魔法が使えないというのは、生活魔法を使えないという意味だろう。となれば、高等魔術の思念伝達魔法を使えるはずもない。
いや、本人が気づかぬだけで、無意識にという場合もある。
「そうか……だが、俺にはマシューの声が聞こえたんだ。もしかしたら、将来、俺と同じように魔術師になれるかもしれないな」
「おじさんは……」
「レナートだ」
「レナートは、魔術師なの?」
「そうだ」
「あの……」
またそこで母親が口を挟む。
「この子は、それほど魔力が強くないのです。ですから、この子の声が聞こえたというのであれば、それはレナート様の力によるものではないのでしょうか……」
期待されても困る。そういった思いが母親からは伝わってきた。
「そうかもしれないな」
レナートもそう思い始めていた。直接マシューと会って、彼からは大した魔力を感じられなかったのだ。無意識に思念伝達魔法を使ったというのも考えにくいだろう。
――もしかして、彼女の力なのか?
腕の中で気を失っている、ウリヤナという女性。魔力がないのに魔法を使った。そして、感じるもう一つの力。
とにかく彼女は興味深い。
宿に戻ると、エントランスですぐさまロイに見つかってしまった。
彼はレナート付きの従者であり、レナートが出かける場所には漏れなくついてくる。
「レナート様。いったいどこから出て、どちらに行っていたのですか? 今、そこの宿が爆発したと大騒ぎです。それに、こちらの方々は……」
いつもであればツンツンと尖っている彼の茶色の髪が乱れているのは、走り回ってレナートを探していたからだろう。少し、息もあがっているようだ。それでもレナートの姿を見て安心したのか、目尻をふと緩めた。
彼の立場を考えれば、これだけ焦るのも無理はない。悪いことをしたと思いつつも、まずは彼らをなんとかしなければ。
「まあ、詳しい話は後だ。俺が借りている部屋、隣の間が空いていたよな?」
「はい」
「そこにこの母子を」
「こちらの女性は?」
ロイの視線は、レナートが抱えているウリヤナで止まる。
「少し治療する必要がある」
ロイは「承知しました」と深く腰を折ると、母子を部屋へと案内する。
レナートは、腕に抱えているウリヤナを抱きなおした。