3.彼女に告げた日(2)
同じように王城で働く者たちと知り合い、縁も広がっていく。魔術師に憧れもあったが、今の生活も悪くはない。
あのときウリヤナに向けた負の感情が、やっと落ち着いてきた矢先、ウリヤナが王太子であるクロヴィスと婚約したという知らせが届いた。
聖女ウリヤナと王太子クロヴィスの若い二人の婚約。
これは国中を悦びに導く知らせであり、実際に、各地各地で祝いの催しものが開かれた。
神との対話ができる聖女、そして次期国王の婚約となれば、誰だって明るい未来を想像する。
それでもコリーンの心は暗いままだった。
――なぜウリヤナなのか。
その思いが、コリーンの心の中で日に日に高まっていく。
誰かがいれば気を紛らわせることができるのに、一人になると、その気持ちに支配される。さらに、コリーンに追い撃ちをかけるかのように、ウリヤナは定期的に王城へ顔を出すようになった。もちろん、クロヴィスの婚約者だから。ウリヤナは堂々と王城へ出入りする権利を得たのだ。
いつもは神殿で祈りを捧げ、国内の状況を確認し、実りの悪い場所へは足を運んでいた彼女だ。神殿に身柄を置いた彼女は、クロヴィスとの婚約が決まる前まで、そのような生活を送っていると聞いていた。
王城にウリヤナが出てきたときに、久しぶりに彼女と会った。以前と変わらず質素な装いである。それでも、彼女の内側からは自信とか威厳とか、そういった前向きな感情が溢れ出ていた。
――なんて私は惨めなのだろう。
ウリヤナと顔を合わせると、喉の奥がつんと痛んだ。
そんなウリヤナは、王城を訪れるたびにコリーンをお茶に誘った。
他愛もない話をして、時間を共に過ごす。
ウリヤナは以前となんら変わっていない。変わってしまったのは、そんな彼女に醜い気持ちを抱くようになったコリーン自身。
だがそんな気持ちを悟られないようにと、必死に平静を装っていた。
それからしばらくして、クロヴィスの噂も聞こえるようになった。公の場ではウリヤナを隣に連れているが、それ以外――ウリヤナがいないような場所では他の令嬢を侍らせている。
胸がズシリと重くなった。
それとなくウリヤナにその噂を伝えたが、彼女は取り乱すようなことはせず、ただ黙ってコリーンの話に耳を傾けていた。
クロヴィスはウリヤナをどう思っているのだろうか。ウリヤナはそんなクロヴィスに何を思っているのだろう。
だけどクロヴィスはウリヤナとはちがう令嬢を隣におきながらも、彼女を見つめる瞳はどこか寂しそうに見えた――。
ある日、コリーンが王城の回廊を歩いていると、一人の神官に呼び止められた。
『やや、あなた様はウリヤナ様と親しくされているコリーン様ですね』
ウリヤナのおかげだとしても、そうやって名が広まっているのは悪い気はしない。
『実はここだけの話ですが――』
その神官は、そっとコリーンに耳打ちした。
――ウリヤナ様は、聖なる力を失われてしまったのです。
コリーンは思わず息を呑んだ。いや、呼吸の仕方を忘れてしまったかのように胸が痛んだ。
さらに神官は言葉を続ける。
『聖なる力は近しい人間に移るとも言われています。一度、神殿で魔力鑑定を受けてもらえませんか?』
その一言がきっかけとなり、コリーンの周辺は一変した。
ドクンと大きく心臓が震え、全身に熱い血流がたぎった。
神殿での魔力鑑定の結果、微力ながら聖なる力があるとわかった。あの場にいた神官の言葉は、嘘ではなかった。社交辞令でもなかった。
『コリーン様の力はまだ微力です。神殿で力を高める訓練を行ったほうがいいでしょう』
コリーンに聖なる力が目覚めたという話はすぐに国王の耳にも届き、彼女はすぐさま国王に呼び出された。
国王がコリーンを見つめる眼差しは、冷たくて鋭かった。
『クロヴィスと婚約しろ。そうすれば神殿ではなくこちらにおいてやる』
その言葉に、コリーンの全身は震えた。
クロヴィスはウリヤナと婚約している。それにもかかわらず、クロヴィスと婚約しろとはどのような意味なのか。
『ウリヤナを見てみろ。神殿で力を高めるどころか、力を奪われた。その力を守りたければ、ここにいたほうがいいのではないのか?』
ウリヤナが神官たちに言われるがまま、聖なる力を使っていたのは知っている。だが、その結果、彼女が力を失ったとは知らなかった。
コリーンには聖なる力がある。ウリヤナは聖なる力を失った。
――勝った。
だからコリーンは神官たちの言葉には従わなかった。せっかく手に入れた聖なる力を失いたくなかった。いつまでもこの力によって、聖女でありたい。
コリーンはクロヴィスに接触したが、彼はウリヤナを手放そうとはしなかった。力を失ったとしても、彼はウリヤナを望んでいたのだ。あれだけ他の女性をはべらせておきながら、彼はウリヤナだけを欲していた。
しかしコリーンはせっかく目覚めた聖なる力を守りたかった。それに、クロヴィスの婚約者という魅力的な地位もある。そこにおさまれば、未来の王太子妃だ。
聖女であって王太子妃。誰もが羨ましがるような状況に手が届きそうであった。
だからコリーンも、国王から『どんな手を使ってでもクロヴィスと婚約しろ』と言われたときには、国王からも望まれていると思ったのだ。
王家は聖女の力を欲しがっている――。
力を失ったウリヤナは必要とされていない――。
クロヴィスの婚約者はコリーンでなければならない――。
コリーンが聖女として招待された王族の晩餐会で、クロヴィスは珍しく盛大に酔っぱらっていた。少しだけ、彼が荒れていたようにも見えた。その原因がウリヤナにあることすら、コリーンはお見通しだった。
だが、ウリヤナはこの場にいない。彼女は神殿を生活の拠点としているため、こういった催し物にはよっぽどのことがないかぎり参加しないのだ。いや、むしろ国王が招待をしなかったのだろう。
今日のこの晩餐会は、コリーンをクロヴィスと引き合わせるために開かれたものだから。
クロヴィスを自室まで送り届けたのはコリーンであり、彼女はそのまま彼の部屋で朝を迎えた。
あのときのクロヴィスの慌てようは、今思い出しても笑いが込み上げてくる。
国王からは「よくやった」と褒められ、クロヴィスはそんな国王から責任を取るようにと詰め寄られていた。
ここからは話がとんとんと進む。
クロヴィスもどこか諦めがついたのだろう。
ウリヤナを呼び出すと、婚約解消を突き付ける。その様子を、コリーンは隣の部屋から見ていた。
心を強く持つ。
クロヴィスの婚約者になるのだから、地味な装いであってはならない。自信を持たなければならない。
そう自分に言い聞かせ、心を奮い立たせる。
クロヴィスに呼ばれたコリーンが彼の隣に座っても、目の前のウリヤナは表情を一つも変えなかった。
ただ、侮蔑の眼差しを向けていただけである。
彼女の顔を歪ませたくて、コリーンはいろいろ言葉を口にしたが効果はなかった。
それでもクロヴィスが彼女を側妃に迎えたいと思っていたとは知らなかった。力を失ったとしても、クロヴィスはウリヤナを手放したくなかった。
しかしそれは、ウリヤナ自身が拒んだ。それを聞いて、どこかほっとした自分がいた。
それから数日後、ウリヤナは神殿を出て行った。もう、この王都にはいない。
だからもう、大丈夫だと思った。
聖女の地位も、王太子の婚約者という立場も、すべてはコリーンのもの。それを脅かすような者は存在しない。
そう思っていたのに、イライラが止まらない。
コリーンは爪をギリリと噛んだ。