3.彼女に告げた日(1)
コリーンは爪を噛んだ。イライラとしているのは否定しない。
聖なる力に目覚め聖女となり、王太子クロヴィスの婚約者という立場を得たはずなのに、そのイライラは募るばかりだ。
それもこれも、あのウリヤナのせいである。
彼女とは学院で知り合った。同い年で同じような立場にあるため、すぐに仲良くなり、意気投合した。
派手なものを好まない二人は、学院やお茶会で顔を合わせる他の令嬢からは「地味二人組」と陰口を叩かれることもあった。
だが、そんな悪口も気にならなかったのは、ウリヤナがいたからだ。
一人ではない。二人組。ウリヤナと一緒で二人。
その気持ちがコリーンを強くした。社交界デビューを迎える年になっても、ウリヤナは地味なままであった。
その頃にはカール子爵家の噂も、コリーンの耳にちょくちょくと届くようになる。
出資していた商会に裏切られ、資金を全部持ち逃げされた――。
人のよいカール子爵家は騙されたのだ――。
そのような噂である。
それ以降、ウリヤナも子爵夫人も、お茶会に顔を出さなくなった。
お茶会どころではなかったのだろう。つまり、それは噂ではなく事実。
それでもウリヤナは、社交界デビューには上等な真っ白いドレスをあつらえていた。デザインは少し古そうに見えたが、ドレスの裾に広がる花をモチーフにした繊細な刺繍、胸元に縫い付けられている細やかな宝石には目を奪われたものだ。
「見栄を張っている」と口にする者もいたが、コリーンはそうは思わなかった。
白いドレスはウリヤナの母親のものだし、刺繍はきっとウリヤナ本人と母親の手によって作られたものだろう。宝石だって、昔から用いているものに違いない。
一つ一つにはお金をかけられていないのに、それでも華やかに見えるのが不思議であった。
生活もけして楽ではないだろう。それなのに、幸せそうに父親と顔を毎わせて微笑んでいる彼女の姿に胸が痛んだ。
社交界デビューの日は、家名を呼ばれ国王との謁見から始まる。その後、別室に呼ばれて魔力鑑定を受ける。
『とても強い魔力を感じます。訓練を積めば、国家魔術師も夢ではないようです』
コリーンが神官より伝えられた言葉は、信じられないものだった。
どうやらコリーンは、他の者よりも魔力が強いらしい。
本人が望めば、魔術師としての訓練を積み、将来は国家魔術師としての道もある。しかし、その道を進むためには魔力を高めなければならない。それに耐えられるかは本人の体力と気力によるものだ、と。
神官長は、淡々と告げた。
コリーンの心は大きく跳ねた。他人と違う能力があったのだ。これは、今までコリーンを馬鹿にしてきた者たちと、立場が入れ替わる瞬間でもあった。
国家魔術師――。選ばれし者の集団。ここに入れば、コリーンの生活は一変する。
ただ鍛錬は厳しいものと聞く。それでもコリーンはそれに耐えるだけの自信と覚悟があった。
あの人たちの上に立てる。
その気持ちが彼女を奮い立たせていた。
『娘にそのような生活は求めません』
厳しい口調でそう告げたのは、コリーンの父親だった。
コリーンは驚いて父親を見た。国家魔術師は選ばれし者。なぜ、それを拒む必要があるのか、さっぱりわからない。
お父さま、私、魔術師になりたいです――。
そう言いたかったが、その言葉を呑み込んだ。
彼女が父親を呼ぼうとした瞬間、その父親がものすごい形相でコリーンを睨みつけたからだ。
彼女は身体を小さくした。
『そうですか……。無理強いするものでもありませんので』
そのときの神官長は、とても寂しそうな顔をしていた気がする。コリーンに何かしら期待してくれていたのかもしれない。
コリーンは可能性があるならば、魔術師の道を目指したかった。だが、あの顔を見たら、それを父親が許すわけがない。
聖女であるならば、まだしも――。
いくら国家魔術師であっても、その地位は聖女には敵わない。聖女は、神との対話ができる聖なる乙女なのだ。国家魔術師は魔力が強く、その力を国のために使う存在。それでもコリーンは、今と異なる道があるのなら、それに挑戦したかった。
そんな悔しい思いを抱きながら大広間へと向かい、ダンスの輪に混ざった。
父親と踊るファーストダンスは可もなく不可もなく。ただ、父親は面白くなさそうに唇を真っすぐに閉ざしていただけだ。まるで、コリーンに興味などないかのように。
娘の晴れのデビューなのだから、もう少し嬉しそうな表情をしてくれてもいいのに、とは思う。だが、それを望むだけ虚しくなる。
その後、ウリヤナがカール子爵と共にやってきた。だがこのときコリーンは、彼女が聖女として認定されたことを知らなかった。
真っ白いドレスに身をつつむウリヤナは、恥ずかしそうにはにかみながらカール子爵と踊っていて、そんな娘を見守る子爵の眼差しが羨ましいと思っただけ。周囲から心ない言葉がたくさん聞こえているはずなのに、幸せそうに見える彼女たちの姿が、胸に刺さっただけ。
ウリヤナが神殿に入ると聞いたのは、それから十日後だった。
意味がわからずカール子爵家を訪れると、ウリヤナは先日の魔力鑑定で聖なる力が認められたとのことだった。
『聖なる力? 聖女? ウリヤナが? すごいじゃない。私も友達として鼻が高いわ』
コリーンがそう口にすれば、ウリヤナも悲しそうに微笑んだ。
『私が聖女だなんて……信じられない……』
――信じられないのであれば、その力を分けてほしい。
どす黒い感情が、胸の奥にポツっと生まれる。
――優しそうな家族もいて、他の誰にもない能力を持ち合わせて。
生まれた黒い感情は、次第に波紋のように広がっていく。
――あぁ、ウリヤナが羨ましい。
波紋がすべてを満たした瞬間、コリーンの中に何かが生まれた。
なぜそれが自分ではないのだろう。同じような地味な令嬢だと思っていたのに、なぜ彼女が聖女に選ばれたのか。
ウリヤナと自分は、いったい何が違うというのか。
そんな妬みがコリーンの中にふつふつと沸き起こる。
それでも、その気持ちに気づかない振りをして、目尻をやわらげてウリヤナを見つめた。
『きっと、ウリヤナだからその聖なる力に選ばれたのよ。神殿に入るの? 気軽に会えなくなるのは寂しいけれど。だけど、ウリヤナならできるわ』
聖女になった彼女は、姓を捨てる。つまり、ウリヤナ・カールという人間はいなくなり、彼女は聖女様となる。同じような地味な令嬢だったウリヤナは存在しなくなる。これからは、コリーン一人だけ。コリーンだけが、彼女たちから陰口を叩かれるのだ。
沸々と沸き起こる恨みや羨望という名の感情に蓋をしながら、目の前のウリヤナを励ました。
ウリヤナは、コリーンに感謝の言葉を口にした。
その日はどうやって、自分の屋敷に戻ってきたのか、コリーンは覚えていない。
わけのわからない感情が心と頭を支配して、泣きたいのか怒りたいのかさえもわからなかった。
それからしばらくして、コリーンは侍女として王城に務めることとなった。父親がどこからか持ち込んできた話である。
――王城務めをして将来の伴侶を探せ。
父親は口にしなかったが、そのような意図があるくらい、容易に想像できた。むしろ、ほとんどの子女がそうしている。
だが、あの父親と離れられるのは僥倖でもあった。
王城務めはよくもなく悪くもなく、ただコリーンにとっては父親と離れるための口実のようなものでもあると思っていた。