10.彼女から手紙が届いた日(2)
『ローレムバにいます』
たった一言。居場所を示す言葉だけだった。
イーモンを労わる言葉も、自身の状況を表す言葉もなかった。ただ、居場所を伝えるその一言のみ。
その手紙をぐしゃりと握りしめたイーモンは音を立てて立ち上がり、父親の執務室へと足を向ける。
「父さん……」
ノックもせずに部屋に入ると、そこには涙を拭っている母親の姿もあった。二人は、執務席の前にあるソファに寄り添って座っている。
「イーモン……ウリヤナからの手紙を読んだのだな?」
母親の肩を抱きながら、イーモンを見上げた。
「はい……姉さんは、ローレムバにいるって……」
「そのようだな。向こうで、好きな人ができたと、そう書かれていた」
そんなこと、イーモンの手紙にはいっさい書いてなかった。
ソファの前にあるテーブルの上にも、一通の封筒が置いてあったのを目ざとく見つける。
「え? てことは、姉さんはもう、イングラムには戻ってこないのですか?」
「ああ、そうだ。だが、落ち着いたらこちらにも顔を出してくれるそうだ」
「落ち着いたら? どういうことですか?」
イーモンにはたった一言であった手紙だが、両親にあてた内容は違ったらしい。
「好きな人との間に、子を授かったそうよ」
母親の頬には乾いた涙の痕があった。
イーモンは、ガツンと頭の奥を殴られたような感じがした。
「え? では、向こうで結婚を? クロヴィス殿下との件は?」
ウリヤナは王太子クロヴィスの婚約者であった。
今はわけがあって婚約を解消されてしまったが、ウリヤナが誠意を見せれば、それが覆るものだと思っていた。そうすれば、いずれイーモンも、王太子妃の弟として王城にあがれるはず。こんな国の隅っこにあるような領地ではなく、王都の華やかな場所で――。
「イーモン」
父親が嗜めるかのように、声をあげた。
「それはもう、終わったことだ……。我が家がこうしてあるのはウリヤナのおかげでもある。彼女がこの家を出た時に、彼女の生き方には口を出さないと、母さんと決めたんだ」
「ですが……」
イーモンはぎりっと奥歯を噛みしめた。
――姉さんばかり。
その気持ちがイーモンの中でどんどんと育っていく。
父親も母親も、後継となるイーモンよりもウリヤナばかり可愛がっていた。
だからイーモンは、両親によいところを見せたかった。その結果があのざまだ。
ウリヤナは聖女となり、国王から多額の褒賞金をもらった。聖女になれば、褒賞金がもらえることをイーモンはこのときに知った。
ウリヤナはなんの努力もせずに、多額の金を手に入れたのだ。ただ聖なる力があったというだけで。
「姉さんばかり……ずるい……」
心の声を口にしてしまった。そうなれば、どんどんと育っているその気持ちが溢れ出す。
「姉さんは、今のこの国の状況をわかっていない……。姉さんだけローレムバでのうのうと生きるなんて、ずるいと思わないのですか!」
「イーモン……」
「まだこの場所はいい。だけど、王都の状況は酷いと聞いています。姉さんが、逃げ出したからじゃないんですか」
そうだ。ウリヤナは逃げ出したのだ。
いくらクロヴィスと婚約を解消したからといって、この国を出る必要はなかったのだ。
神殿でおとなしく祈りを捧げていれば、この国は安穏を保てたというのに。
友人であるコリーンが聖なる力に目覚め、彼女も聖女と呼ばれるようになった。
なぜか、クロヴィスはウリヤナと婚約を解消して、コリーンと婚約し直した。
いや、一度傾きかたカール子爵家よりは、厳格なエイムズ子爵家を選んだのだろう。
だが、それだけの理由で、何も神殿から出る必要はなかったのだ。
ウリヤナだって聖なる力を持っているのだし、そのまま神殿でおとなしく聖女としての任を全うしていれば、このような状況にならなかったのに。
「姉さんのせいじゃないですか! クロヴィス殿下から婚約を解消されたくらいで、勝手に神殿を飛び出して。姉さんのせいで、どれだけの人が苦労していると思っているのですか!」
じわじわと食料不足が広がってきている。それでもまだ、カール子爵領はマシなほう。
「そうだ。姉さんがローレムバにいるのであれば、ローレムバに援助してもらえばいいじゃないですか。我が国の聖女様と引き換えに」
そう、それがきっと正しいのだ。
イングラム国の聖女ウリヤナをローレムバ国に与えたのだから、ローレムバ国はイングラム国に援助をする。
何も間違った考えではない。
「そうと決まれば、早速連絡します」
そう、アルフィーならこの案のすばらしさを理解してくれる。そしてクロヴィスにも認められ、イーモンはまた王都へと戻ることができる。
ウリヤナ一人を犠牲にするだけで、この国は救われる。
イーモンの碧眼は、何かに取り憑かれたのように爛々と輝いている。
そんな彼を、両親が冷めた目で見つめていることなど、もちろん気づくはずもない。




