9.彼女と別れた日(2)
『大丈夫だよ、ウリヤナ。何も怖いことはない。ただ、魔導具の使い方を指導されると、そう思えばいいんだ』
それが魔力鑑定の表向きの理由なのだ。
『ウリヤナ・カール。前へ』
神官の太い声に、ウリヤナはピクリと身体を震わせた。もしかしたら、国王への挨拶よりも緊張しているのかもしれない。
『いってきなさい、ウリヤナ。私はここで見守っているから』
カール子爵の言葉に押されるようにして、彼女は神官の前へと進み出た。
真っ白いドレス姿の彼女は、祈りを捧げるかのように両手を組み、頭を下げる。
神官も同じように祈りの姿をとった。
それを見守る他の神官たち。
『こ、これは……』
神官の言葉に、他の神官も動揺を隠せない。もう一度と、他の神官が代わって祈りを捧げる。そうやって、入れ替わって何人かの神官が、ウリヤナの魔力を確認した。
これはカール子爵が知っている魔力鑑定のときの光景とは異なる。
さらに神官たちは集まってこそこそと何かを話し、一つの結論に達したようだ。この様子をウリヤナは不安そうに見つめているし、父親であるカール子爵も気が気ではなかった。
『ウリヤナ・カールには聖なる力があります』
神官の告げたその言葉の重みに、カール子爵は気づいた。
――ウリヤナは聖女だった?!
ドクンと、血流が波打った。
『今後の生活をどうするか、ご家族とよく話し合ってください』
ドクンと、心臓が大きく音を立てた。
よく話し合えと言っている神官のその目は、強く訴えている。
――逆らったらどうなるか、わかっているよな?
心臓を鷲掴みされたような気分だ。
『……さま……お父様?』
ウリヤナの声に緊張の糸が解け、目を細めた。気持ちを落ち着かせ、彼女に声をかける。
『ウリヤナ。神官様もああおっしゃっていることだし、この件は帰ってからゆっくりと相談しよう。今すぐ答えを出さなくてもいいそうだ。母さんにも相談しなければならないしね。それよりも、早く向こうに戻って一緒に踊ろう』
ウリヤナは恥ずかしそうにはにかんでから、差し出した手をとった。
神官に深く頭を下げて、大広間へと戻る。その背には、神官からの痛いほどの視線を感じた。
とにかく、周囲に動揺を見せてはならない。楽しく、優雅に。この日が素敵な日であったと、印象づけるために――。
屋敷に戻り、ウリヤナの魔力鑑定の結果について話し合うこととなった。
イーモンは悔しそうに顔をゆがませると、勢いよく部屋を出て行った。
子爵夫人は不安そうに顔をしかめている。
肝心のウリヤナは『神殿に入る』ときっぱり言葉にした。
つまり聖女となって、カール子爵令嬢という立場を捨てることに異論はないと。
『お父様。私が聖女となり神殿に入れば、聖女褒賞金が国から支払われます。それで、立て直しをお願いします』
ウリヤナは、家のために神殿へ入ると決意したのだ。彼女の言う通り、聖女褒賞金が手に入れば、お金のない現状から抜け出せる。
『ウリヤナ……不甲斐ない父で、申し訳ない……』
深く頭を下げた。なかなか顔を上げられないのは、目頭から涙がこぼれそうになっているから。
『いいえ、お父様。これは私が決めたこと。お父様のせいではありません』
ウリヤナは、ウリヤナ・カールという名を捨て、聖女になる道を選ぶのだ。娘でありながら、娘ではなくなる。
『ウリヤナ……たとえ離れても、君は私たちの娘だ。君の幸せを願っている』
まだ顔は上げられない。涙が引くのを待つ。
『はい。私も、お父様とお母様の幸せを願っております。どうか、イーモンをお願いします』
その日は、三人で熱い抱擁を交わした。
それからしばらくして、ウリヤナは神殿へと向かった。
そんな彼女の背をイーモンだけは冷めた目で見ていた。
さらにカール子爵に追い打ちをかけるような出来事があったのは、ウリヤナが神殿にいってから一年後のことである。
ウリヤナとクロヴィスの婚約が決まったのだ。
聖女となったウリヤナの婚約に、カール子爵家の意向など確認されない。王家と神殿での話し合いで決められたのだろう。
あのときにやんわりと断った縁談が、再浮上するとは思ってもいなかった。だが彼女は、他の令嬢の誰よりも、王太子の婚約者として相応しい身分を手に入れてしまった。
すなわち、それが聖女――。
胸がギリギリと締め付けられるように痛み、呼吸がうまくできなかった。
手元には、ウリヤナから届いた一通の手紙がある。
それは彼女の近況を知らせるものだった。
「あなた……」
隣から、覗き込むようにしてその手紙を読んだ夫人は、目頭をおさえている。
「ウリヤナは今、幸せなのね」
「そのようだな」
喉の奥から、そう声を絞り出すのがせいいっぱいだった。これ以上、口を開くと、目の栓がゆるんでしまう。
彼女の手紙には、隣国ローレムバで暮らしていると書いてあった。さらに、好きな人と結婚をし、子を授かったことまで。
報告が事後になってしまったことについての謝罪もしたためてあった。
だが、謝罪などしなくていい。
それが、彼女の親としての気持ちである。幸せでさえあれば、ただそれだけでいい。
ウリヤナが聖女ではなくなり神殿から立ち去った話は、もちろんカール子爵夫妻の耳にも届いていた。そして、それすら止める手段も力も持ち合わせていなかった。
ウリヤナが聖女となったとき聖女褒賞金を受け取っている事実が頭をかすめた。そのため、それの返還が気になった。カール子爵家にはけして余裕があるわけではないし、その褒賞金で立て直したのも事実。そして、彼女が聖女となくなったことで、一瞬、お金の心配をしてしまったのも事実。
しかし、褒賞金の返還は求められなかった。きっとウリヤナのことだから、なにかしら手を回したにちがいない。
聖女でなくなったのであれば、ここに戻ってくればよいものの、彼女は修道院へ身を寄せようと考えたようだ。そういった結論にいきつくのも、ウリヤナらしい。
彼女がソクーレの修道院へ向かったという話も聞いていた。さらに、中継点のテルキの街で行方不明になってしまった、とも。
それを教えてくれたのは、アルフィーである。今ではクロヴィスの側近として名を知られている彼だが、そっと教えてくれたのだ。
それはカール子爵たちが、王都を発つほんの数日前のこと。
だが、テルキで消息を絶った彼女が、今までどこにいたのかさっぱりわからなかった。
心配しなかったと言えば嘘になる。だけど、騒ぎ立てるのは彼女の意思に反するだろう。
必ずどこかにいると信じて、ウリヤナの幸せだけを願っていた。
「ウリヤナは、この国にいないほうが幸せになれるのかもしれないなぁ……」
じりじりと食料不足が広がっている。植物が育たないのだから仕方ない。
早々に王都の別邸を売り払って領地に引っ込んではきたものの、ここだって余裕のある生活が送れるわけでもない。
ただ、数年前から質素な生活を続けていたせいか、食べ物を無駄にしない方法は取得していた。それを今、領民へと教え、限りあるものを有効に使っている。
それだって、この状況が長く続けば、いつかは食べるものがなくなってしまうだろう。他のところほどではないが、ここだって、食物の育ちは悪くなっている。
だからこそ、この地にウリヤナがいなくてよかったのだ。
そうやって、遠い地に嫁いだ娘に想を馳せていると、乱暴に扉が開かれた。