8.彼女に気づいた日(1)
アルフィー・ハウルは、ハウル侯爵家の次男として生を受けた。残念ながら、アルフィーは生まれながらにして爵位を継承する権利を持ち合わせていなかったのだ。それもこれも、二番目に生まれたのが理由である。ハウル侯爵家は兄が継ぐ。
ただ、両親は社交界をにぎわせた美男美女とも言われたこともあるようで、ありがたいことにその美貌を引き継いでいた。光が当たると金色にも見えるような榛色の髪、どことなく神秘さが漂う紫紺の瞳を与えてくれた両親には、感謝する。
そんなアルフィーに足りないのは地位だ。
となれば、それらは自身の手で掴み取る必要があった。
幸いなことに、アルフィーが生まれた年に、このイングラム国に王子が誕生した。
アルフィーの父親でもあるハウル侯爵は、王城に出入りできるような立場にある。
そんな権利を利用して、アルフィーはクロヴィスに近づいた。いや、純粋に遊び相手がほしかったというのもあるし、それは向こうも同じ気持ちだったようだ。
父親の地位と、そして同じ年というのが後ろ盾となり、クロヴィスはすぐにアルフィーに心を開いた。
二人でいたずらをしては、侍従長に叱られる。それの繰り返しであるのにやめられなかった。
そしてアルフィーは、幼いながらにクロヴィスの心の闇に気がついた。
彼は、欲しいと思ったものは必ず手に入れなければ、気が済まない。それは、アルフィーが食べようとしていたビスケットだったり、アルフィーが大事にしていた手巾だったりと、大小さまざまなもの。
クロヴィスはアルフィーを友達と口にするが、それは見かけだけ。
精神的にはクロヴィスは仕えるべき上位の人間であり、アルフィーは家臣。だから、彼が「欲しい」と口にすれば、それを差し出す必要があった。
そのことを、父親のハウル侯爵に相談した。その場には、次期侯爵でもある兄もいた。
『名誉なことじゃないか』
二人は笑いながらそう言った。ズクリと心に太い針が刺さった。
つまり、クロヴィスがアルフィーのものを欲しいと言いそして奪われることは、ハウル侯爵家にとっては名誉に値するらしい。
アルフィーとしては、自分が大事にしていた物をとられたわけだから、名誉だと思うよりも悔しさが勝っていた。
それ以外にも、クロヴィスは何かとアルフィーに我儘を言って、困らせる。もしかしたら困っているアルフィーを目にして、楽しんでいたのかもしれない。彼はいつも笑っていた。
しかしクロヴィスにとっての一番の友人はアルフィーであるため、それはハウル侯爵も鼻にかけていた。さらに、そのままクロヴィスの側近におさまるようにと、アルフィーに発破をかける。それが責務としてアルフィーの背にのしかかる。
この国では、地位ある者の子は、十歳から十五歳までの五年間、王都にある学院で学ぶ義務があった。それはクロヴィスだって例外ではなく、アルフィーもまたそれの対象となっていた。
それを免除する方法もあるのだが、多額の寄付金が必要であるとも聞いている。そこまでして学院通いを拒否したいとは思わず、むしろちょうどいい暇潰しのようにも考えていた。クロヴィスさえいなければ。
そのクロヴィスこそ学院通いを免除すればいいのに、なぜか彼は真面目に五年間、学院へと通ったのだ。
転機がやってきたのは、十六歳になった年だろう。クロヴィスが立太子し、王太子となる。
彼から信頼を得ていたアルフィーは、学院卒業と同時に文官として王城に出仕し、そのままクロヴィスの補佐についた。王太子の側近と呼べるような立場を手に入れたわけである。
そして彼が、一人の女性に心を寄せていることに気がついた。
それが、一つ年下のウリヤナ・カールだった。
クロヴィスは彼女が学院に入学したときから、何かと気にかけていた。
ウリヤナはけして派手な女性ではなかった。コリーン・エイムズと仲が良いようで、二人は合わせて『地味二人組』と呼ばれている。こういった呼び名をつけるのは、彼女たちよりも優位に立ちたいと思っている者たちだろう。
肝心のその二人は、そんな呼び名に屈することなく、振舞っていた。
クロヴィスがなぜ、彼女に想いを寄せるのか。
その理由だけはアルフィーにもわからなかった。
クロヴィスが王太子となった一年後、ウリヤナはデビュタントを迎えた。彼女をダンスに誘いたそうにもじもじとしているクロヴィスを見るのは、面白かった。
普段はいばり散らしているくせに、たった一人の女性の前では、何もできない男なのだと心の中であざ笑う。欲しいものは必ず手に入れる男であったのに、一人の女性に手を焼いている。
デビュタントで国王に挨拶を終えた女性は、魔力鑑定を受けるのがこの国の慣例となっている。
その魔力鑑定が終わってから、ダンスに誘ってみてはどうだろうかとクロヴィスに助言すると、彼は「そうする」と小さく答えた。
こんなに自信のないクロヴィスなど、初めて目にしたかもしれない。心の中で大笑いをしながらも、そういった感情はおくびにも出さない。
魔力鑑定を終えたウリヤナは、父親であるカール子爵と楽しそうに踊っていた。
近頃、カール子爵家は資金繰りに苦しんでいるとは聞いていたが、そのような話を払拭させるくらい、彼女は輝いていた。
クロヴィスが、彼女をダンスに誘おうと動いた様子が見えた。しかし、それよりも先に、ウリヤナは父親と一緒に帰ったのだ。
悔しそうに顔をしかめるクロヴィスを目にするのは、いい気味だと思った。どこかアルフィーの心が晴れたような気がした。このまま、彼女を手に入れられなければいいのに。
それから数日が経ったある日。
十数年ぶりに聖女が現れたという話が、国内に広まった。
聖女が持つ力は通常の魔力とは異なる。聖なる力とも癒しの力とも呼ばれる力で、人々を痛みと苦しみから解放する力なのだ。
聖女誕生の報告に、国民は沸き立った。
聖女さえいれば、ぽつぽつと起こる災害や不作から守ってもらえ、苦しい生活を送らなくてすむだろう、と。
過去にもそういった力で、聖女は人々の暮らしを守っていたのだ。
だが、その聖女があのウリヤナ・カールであるとは、アルフィーも思っていなかった。
ただのウリヤナ・カールであれば、クロヴィスの相手として相応しいかどうかと疑いたくなるところである。まして、近頃耳にするカール子爵家の噂。クロヴィスが望んでも、周囲は反対するだろう。
むしろ、他家の令嬢からという話になっていたかもしれない。その間にウリヤナが他の男性と結ばれれば、クロヴィスは彼女を手に入れることができない。
それが一気に逆転した。
聖女という地位は、どの家柄よりも優位に働く。むしろ、王族と同等の地位だ。たとえカール子爵家の噂があったとしても、ウリヤナ・カールは聖女ウリヤナとして扱われるのだ。だから、カール子爵家など関係ない。
むしろクロヴィスの相手として、これ以上相応しい女性はいないだろう。
ウリヤナが聖女だった。それを知ったときのクロヴィスの勝ち誇ったような顔は、今でも忘れられない。
『やはりウリヤナは私に相応しい女性だった。そう思わないか?』
『そうですね。聖女ウリヤナ様と王太子クロヴィス殿下。お二人がご結婚なされば、民も喜ぶことでしょう』
アルフィーがそう口にしただけで、クロヴィスは悦に入ったような笑みを浮かべる。
もしかしたら、そのときのアルフィーの言葉が彼の背を押したのだろうか。