6.彼女と夫婦になる日(2)
明るい場所で現場を見ると、目を背けたくなるような惨状だった。焦げたにおいが、周囲にまで漂っている。
だが、この状態で死者が出なかったのは幸いだった。マシューの母親が言うには、ウリヤナが魔法を使ったとのこと。だが、彼女から魔力を感じない。
爆発時に何が起こったのかは、彼女から聞けばいいだろう。
「この宿に泊まっていた者の調査は、もう終わりか?」
現場の責任者と思われる騎士に声をかけると、彼は嫌そうな視線をこちらに向けてきた。
「なんだ、部外者はあっちへ行け」
「部外者だが……。では、この宿に泊まっていた者に用はないんだな」
「ああ。死人も出なかったし、犯人も捕まったしな」
しっしっと犬でも追い払うかのように、責任者は手を振った。
となれば、ウリヤナたちをここにとどめておく必要はない。
彼女と彼女の子を考えれば、早くこの場を立ち去ったほうがいいだろう。むしろ、この国から。
レナートはウリヤナたちと共にソクーレへと向かった。
道中、マシューは何度もレナートを「おじさん」と呼び、そのたびに訂正をいれる。その様子を見ていたウリヤナはくすくすと笑みをこぼした。
ソクーレでマシューたちと別れた。母親の生まれ育った家がここにあるから、そちらに向かうとのこと。
レナートたちは、今日はここで一泊し、明日、関所を越えてローレムバ国へと入る。
「ウリヤナ、体調はどうだ? ずっと移動ばかりで疲れただろう?」
ソクーレの宿では二間続きの部屋をとった。ウリヤナの気配が感じる部屋にいないと、夜中に彼女が逃げ出すのではないかと考えてしまったからだ。だからといって、同じ部屋では彼女に警戒心を与えてしまうかもしれない。そう考えた結果である。
ロイには「意外と束縛するタイプなんですね」と言われたが、そうではない。純粋に彼女と彼女の子が心配なだけ。
「あ、ありがとうございます」
ソファにゆったりと身体を預けている彼女に、あたたかなお茶が入ったカップを手渡す。
テーブルを挟んで、レナートはその向かい側に座った。
「何から何まで、すみません」
「気にするな。それで……」
そこでレナートは一息呑んだ。
「お前の答えは決まったか?」
明日、ローレムバ入りするため、あの答えは今のうちに欲しかった。だけど、聞くのが怖いのもあった。なぜ、怖いのだろう。
彼女はカップを両手で包み込む。カップ越しに、お茶の温もりを感じているかのよう。
「……はい」
その返事が、カップから立ち昇る湯気の軌道を変えた。
「どうぞ、よろしくお願いします。お世話になります」
レナートは呼吸をするのを忘れてしまった。糸のように細い目を、めいっぱい広げる。
心臓が痛いくらいに、力強く動いている。これほど歓喜に満ちるとは思っていなかった。その感情を表に出さないようにと、気持ちを落ち着ける。
「……あの、レナート様? 大丈夫でしょうか?」
「あ、あぁ。大丈夫だ」
ウリヤナは笑みを浮かべて、カップを口元に運んだ。その一連の動作に魅入ってしまう。
「それで、早速で悪いのだが」
そこでレナートは、ゴクリと喉を上下させる。柄にもなく緊張している。
「俺と結婚してほしい」
「……ケホッ」
驚いたのか、お茶を飲んでいた彼女は咽た。
「す、すまない。大丈夫か?」
慌てて立ち上がったレナートは、ウリヤナの隣に座ってその背をさする。
「……あっ。はい。大丈夫です。少し、驚いてしまって」
レナートとしては、彼女を驚かすような言葉を口にしたつもりはない。
「レナート様」
そこでロイが割って入った。今までどこにいたのかと思うくらい、気配を感じなかったのに、今はテーブルの隣に立っている。
「レナート様の説明では、ウリヤナ様にいろいろとご負担をかけるようですので。勝手ながら私のほうから説明させていただきます」
「た、頼む」
ロイの言うとおりである。レナートとしては、間違えた言葉を言ったつもりはないのだが、説明が下手くそなのか、ウリヤナが驚いてばかりなのだ。
だが、彼女のお腹の子は喜んでいた。いや、この状況を楽しんでいるのかもしれない。なかなか肝の据わった子である。
「これから、関所を越えてローレムバ国へと入国します。ウリヤナ様が関所を越える際に、レナート様と婚姻関係があったほうが、手続きが簡素化されます」
「簡素化されないと、どうなるのでしょうか?」
「ウリヤナ様はイングラム国の人間ですので、その身分を明らかする必要があります。なぜローレムバ国に行くのか、滞在先はどこかなど、事細かに調べられます」
それはローレムバ国が魔術師の国だからだ。ローレムバ国から魔術師を誘拐し、自国に匿うという事件が、過去にはあった。そのため、ローレムバ国への入国は厳しく管理されている。
「ですが、レナート様と婚姻関係があれば、その面倒な調査がすべてなくなります。場合によっては、二日も三日もかかるような調査です。我々としては、あの関所に三日もいたくありません」
「そうなのですね」
ロイの説明には少し脅しが入っているような感じがしたが、ウリヤナはそれに気づかなかったようだ。
レナートを見上げる彼女の眼差しは、やわらかい。
「レナート様は、この子の父親になってくださるとおっしゃいました。となれば、私とレナート様が、そういった関係であってもおかしくはないですよね」
「そ、そうだな……」
今に始まったことではないが、レナートの心臓は跳ねていた。ドクドクと音を立てて、全身に熱い血液を流している。おもわず右手で胸を押さえる。
その様子をロイが怪訝そうに見つめる。
「レナート様。結婚は愛がなくても理解があればできるものです。ですが、そんな思春期男児のような顔をなさらないでください。見ているこちらのほうが恥ずかしい」
「う、うるさい」
「そんなわけでウリヤナ様。レナート様をどうか末永くお願いします。この人、自覚ないけど、ウリヤナ様のことを好いています」
「なっ……ロイ。余計なことを言うな。それよりも、食事の用意ができているか、宿に確認してこい」
失礼しますと、頭を下げたロイは部屋を出て行った。
小さく息を吐くと、激しかった心臓が、ゆるゆると元に戻っていく感じがした。
「すまない。ロイが余計なことを言ったようだ」
「いえ」
彼女はカップに手を伸ばし、残りのお茶を一気に飲み干した。
だから、そんな彼女から目が離せないのだ。
「レナート様? お顔が真っ赤ですが、大丈夫ですか?」
そう指摘する彼女の頬も紅色に染まっている。
「大丈夫だ。こういったことに慣れていないだけだ」
「私もです」
「お前に、触れてもいいか?」
「はい」
だが、先に手を伸ばしてきたのはウリヤナだった。レナートの手と自身の手を重ねる。
「これからゆっくりと、お互いのことが理解できればいいなと思っております」
「俺もだ。お前の腹に触れたい。俺の子に魔力を注ぎたい」
そのまま彼女は、レナートの手を腹部へと誘った。
「ここにいる子は、俺の子だ」
「はい。この子はあなたの子です」
そのままレナートは、彼女と唇を重ねた。彼女もそれを静かに受け入れた。