6.彼女と夫婦になる日(1)
ウリヤナは、碧色の目を大きく見開いた。それはまるで、今の言葉が信じられないとでも言うかのよう。口がはくはくと開くけれども、言葉は出てこない。
「すまない、驚かせたようだな。まずは、隣に座ってもいいだろうか」
レナートがこうやって立って話をすると、威圧的に思うかもしれない。目が細いため、視線が鋭くなる。また、鬱陶しいほど長い黒髪も原因の一つであるとわかってはいる。だから、できるだけゆっくりと声をかけるようにしているのだ。
「あ、はい……」
彼女は少しだけ横にずれて、レナートが座る場所を大きく空けた。
「ありがとう」
レナートがゆったりと座る様子を、ウリヤナは真っすぐに見つめてくる。
「俺の顔に何か?」
「い、いえ……」
目が合うと、慌てて顔を逸らす。ほんのりと頬が紅色に染まっている。熱でもあるのだろうか。手を伸ばしかけて、やめた。
彼女は今、命を授かっている。もしかして体温が上がっているのかもしれない。
「先ほどのことだが……」
レナートが言いかけると、彼女はもう一度顔をあげた。また、目が合った。
吸い込まれそうな碧色の瞳は、まるで澄んだ湖のようにも見える。真っすぐに見つめるその瞳が、レナートの心を揺さぶる。
「……俺の国では、血の繋がりも魔力の繋がりを重視するんだ」
「魔力のつながり?」
「ああ。ローレムバは魔術の国だからな。魔力が親から子へと受け継がれる。その魔力は、胎児のうちに注がれるんだ」
レナートの話がよくわからないのか、ウリヤナは眉間にしわを刻む。
「この子に俺の魔力を注げば、この子は俺の魔力を受け継ぐことになる」
彼女の目がやわらいだ。ぱちぱちと瞬く。レナートの言葉がわからないのか、信じられないのか。それとも、レナートという男を疑っているのか。
出会って数時間でこんなことを口にする男など、怪しい男にしか見えないだろう。
「……俺は、俺の血を継ぐ子を望めない」
「えっ?」
吐露したレナートの言葉に、彼女の目はまた大きく開いた。先ほどからころころと変わるこの表情から、レナートは目が離せない。
「俺は、誰よりも魔力が強い……」
「それって、いいことなのでは? 魔術師であれば、魔力が強いほうがより強力な魔法を使えると聞いています」
「あぁ。魔術師としては、魔力は強いほうがいい。だが、魔力が強すぎるため、子が望めない。子を望もうとすると、どうやらその子は俺の魔力に負けてしまうらしい」
子を望む行為に励んだとしても着床しない。そうなる前に受精卵がレナートの魔力に負けるというのが、魔術医の見解だった。
それを口にすると、ウリヤナは口元に手を当てて何かを考え込んでいる。
「だから、俺は子を望めない。子を望めないような俺と、生涯を共にしようと思う女性もいないようだな」
自嘲気味に笑う。
「……あの。レナート様のお年を聞いても?」
「今年で三十になる。いいか? まだ三十にはなっていない。だから、おじさんではない」
マシューからおじさんと呼ばれたことが、心に引っかかっていた。まだ二十代なのに、おじさんと呼ばれるたびに、胸の奥に棘が刺さるような感じがしたのだ。
「子どもから見たら、大人はおじさん、おばさんですよ」
彼女はくすりと笑った。
たったそれだけなのに、レナートの胸の奥から棘が抜け、ぽっと熱くなる。熱くなった血流は全身に行き渡る。火がついたかのように、鼓動が激しくなる。
そこで沈黙が落ちた。レナートは、ぐっと拳を握った。
「……だから、お前さえよければ、俺をその子の父親にしてくれないだろうか」
「レナート様は、それでよろしいのですか? 私は、力を失った聖女です。魔力もありません。まして、この子はあなたの子ではないのです」
ウリヤナの言葉に間違いはない。彼女からは魔力をいっさい感じない。
「問題ない。胎児には俺が魔力を注ぐ。だから生まれてきたときには、俺の子になる。それに、お前が魔法を必要だと思ったら、俺がかわりに魔法を使ってやる」
おかしい。彼女と初めて会ったのは昨夜。そして言葉を交わしたのはほんの数時間前。それなのに、気になって仕方ない。彼女が気になるのか、お腹の子が気になるのか。いや、すべてをひっくるめて、ウリヤナという一人の女性が気になるのだ。
そんなウリヤナはレナートから視線を逸らし、自分の腹部を見つめた。彼女は今、その腹部を両手で触れている。
「突然、こんなことを言われても困るだけだよな。だけど、考えてほしい……。その身体で修道院は無理だ。だが、俺ならお前をその子ごと受け入れる」
ウリヤナは返事をしない。
どうやって気持ちを伝えたらいいかがわからない。いや、レナート自身も、自分の気持ちがわからないのだ。だけど、ウリヤナの側にいたい。ただそれだけだというのに。
「俺も、ロイから注意されるくらい言葉が足りないから、その……。気を悪くさせたら申し訳ない」
「……いえ」
彼女のその一言で、レナートは胸をなでおろした。
ただでさえ彼女が知らなかった妊娠の事実を突きつけ、挙句、その子の父親になりたいと言ってしまったのだ。
まして、出会ったばかりの人間だ。そのような人物から言われたら、不審がられてもおかしくはない。
だが、今の機会を逃すと、ウリヤナが無理をしそうに見えた。するりとここから抜け出して、どこかに消えそうな気がした。
「俺は今、ローレムバに帰るところだ。ソクーレには寄るから、そこまでは一緒に行くか? マシューたちにもそう言ってある」
「……はい」
その声は少しだけ震えていた。
「何も今すぐ返事がほしいわけじゃない。それでも、ソクーレに着くまでには答えを出してもらえると助かる」
「……はい」
「……悪かったな」
彼女を悩ませるようなことを言ってしまった。それに対する謝罪のつもりだった。
焦ってしまった自覚はある。レナート自身も、この機会を逃したら、永遠に同じような状況に恵まれることはないだろうと思っていた。
だからといって、誰でもいいわけではない。彼女だからこそ側にいたかったし、彼女の子だからこそ、守ってあげたかった。
「では俺は、荷造りをする。お前はどうする? と言っても、荷物はないのか……」
ウリヤナたちが泊った簡易宿は、爆発に巻き込まれて吹っ飛んだ。あれだけの爆発だ。荷物が無事なわけがない。
「それから、調査している騎士団には連絡しておく。まだ事件のあらましが終わっていないだろうが、こちらは被害者だからな。行き先だけ告げておけば、問題ないはずだ」
何かあったら連絡が来る。例え、国境を越えたとしても、事件は事件であり、必要であれば協力を惜しまないつもりだった。だが、ウリヤナたちが出せる情報などたかが知れている。犯人も捕まっているようだし、騎士団が調べているのは、犯人の証言が事実かどうかだろう。
レナートが立ち上がろうとすると、手首を掴まれた。
「レナート様……」
ウリヤナの目は、不安そうに揺れている。
「……ありがとうございます」
その言葉を聞けたことに、レナートの気が軽くなった。
「気にするな」
レナートは、ぽふっとウリヤナの頭を撫でた。
「準備が整うまで、お前はここで休んでいろ。必要なものがあれば、ロイを呼べばいい」
彼女はもう一度「ありがとうございます」と言って、頭を下げた。
それからレナートは、ロイに幾言か言づけをして、宿を出た。目的地は、昨日の爆発のあった簡易宿。