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5.彼女が知った日(2)

 マシューの明るい声が、その場を和ます。


「そうか。ウリヤナは?」


 今度は左を向いて、ウリヤナを見つめる。

 彼はウリヤナが聖女であることを知っている。そのような女性が、お供をつけずにソクーレに向かっているのを不思議に思っても仕方ないだろう。


「少し俗世から離れたいと思いまして」


 彼が賢ければこの一言で理解してくれるはずだ。


「そうか……。では、ウリヤナには目的がないのだな?」


 どうやら賢いわけではなかったようだ。

 彼はどことなく口角をあげて、嬉しそうに微笑んだ。だからその笑みから顔を逸らして、目の前のパンを二つにちぎる。


 朝食が終わると、マシューとナナミは与えられた隣の部屋へと向かった。そうなれば、ウリヤナはレナートと二人きりになってしまう。


 彼の従者のロイも紹介されたが、そのロイはいろいろと動きまわっているらしい。昨日の事故があったため、確認することもあるのだろう。


「ウリヤナ。お前はソクーレの修道院へ行くつもりなのか?」


 寝台を整えていたウリヤナの背に向かって、レナートが声をかけた。動かしていた手を止める。

 どうやら彼は、賢い人間だったようだ。あの場にマシューとナナミがいたから、あえて口にしなかったのだろう。


「お気づきでしたか?」


 振り返ってニッコリと笑顔を作る。


「まぁ、な」


 やはり彼は賢かった。


「だが、その身体では修道院での生活は難しいのではないか?」


 その言葉に首を傾げた。

 昨夜の腕の怪我を言っているのだろうか。だが、彼が治療してくれたおかげか、まったく痛まない。


「怪我のことですか? あなたのおかげで全然痛みません。何から何まで、ありがとうございます」


 丁寧に頭を下げた。彼に感謝をしているのは、ウリヤナの心からの気持ちだった。


「いや、怪我ではない……腹の子のことだが……」


 腹の子と言われてもピンとこない。


「子を宿しているんだろう?」


 ウリヤナは眉間に力を込めた。


「え?」


 この人は何を言っているのだろう。


「なんだ。気づいていなかったのか? お前の腹から、微力ながら魔力を感じる。胎児の魔力だな」


 頭の中が真っ白になった。全身から力が抜けるような感覚。


「おい、大丈夫か?」


 気づけば、目の前にレナートの顔があった。鋭い目つきは変わらないが、その奥には優しい光が灯っている。ウリヤナが倒れないようにと、ぎゅっと抱きしめていた。


「立ったままでは危ないな。こちらに運ぼう」

「きゃっ……」


 不意に抱き上げられ、自分のものとは思えない声を発してしまった。

 ぽすんとソファの上におろされる。


「もしかして、俺。まずいことを言ったか?」


 そう言った彼は、口元を手で押さえながら、困ったようにウリヤナを見下ろしていた。


「あ。いえ……その、知らなかったので……子どもを授かったことを……。レナート様は魔術師なのですか?」


 こうやって側にいるだけで、ウリヤナの体内の魔力を感じ取ったのだ。それなりの使い手なのだろう。


「ああ、そうだ。俺はローレムバの人間だからな」


 ローレムバには魔術師が多いと聞く。


「父親はいないのか?」


 そう尋ねた彼の声は、どことなく寂しそうにも聞こえる。


「修道院に行こうとしていたくらいなのだろう? それとも、お前自身からまったく感じられない力が原因か?」


 賢すぎる男は、面倒くさいかもしれない。


「もしかして俺は……お前を傷つけるようなことを口にしたか?」

「え?」

「すまない……ロイからも、ずかずかと物事を言い過ぎると注意を受けているのだが」


 レナートは腕を伸ばして、ウリヤナの頬に触れた。何かを拭うような動きにも見えた。


 ウリヤナは驚いて目を瞬いたが、自分よりもいくらか年上に見える彼が、雨に濡れて震えている子犬のように見えてきた。思わずクスっと笑みを零す。


「こちらこそ、驚かせてしまって申し訳ありません。その……子を授かったことにまったく気づいていなかったので」


 だが、そういった行為に及んだ事実はある。月のものもきていない。冷静になれば思い当たる節など多々あるのだ。

 彼女の言葉にも、レナートは大きく目を見開いた。その顔は「すまなかった」と言っている。


「悪かった……では、まだ医師にはみてもらっていないのだな?」

「はい」

「わけあり、なんだな?」


 ウリヤナは元聖女である。そして、イングラム国の王太子の婚約者でもあった。そのウリヤナが子を授かったとなれば、自然とその相手はわかるだろう。


「はい……ですが、レナート様は私のことをご存知なのですよね?」

「名前を聞いたことがあったからな。それでピンときただけだ」


 民からは「聖女様」と呼ばれていたため「ウリヤナ」という名は伝わっていないと思っていた。その名が通じるのは、王城と神殿のみだと思っていたのだ。


「それで。お前は修道院へいくつもりなのか? 悪いが、子は間違いなく授かっている。お前が不安になると、腹の子も不安になる。お前が喜べば、腹の子も喜んでいる」


 まだ実感のないお腹の上にそっと両手を添えた。だが、もうあそこには戻れない。だけど、腹に子を宿したまま修道院へ行くのも気が引ける。今であれば知らんぷりをしていくことはできるけれど、日が経つにつれお腹が大きくなっていけば、他の者にも迷惑をかけるだろう。


 そんなウリヤナの様子にレナートも気がついたのだろう。


「戻るつもりはないのだな?」

「はい」


 そこだけははっきりとしている。神殿にも王城にも、そしてカール子爵家の屋敷にも戻るつもりはない。

 コホンとレナートは咳ばらいをした。


「だったら……俺のところにくるか?」

「え、と……?」


 彼の言っている意味がわからない。いや、信じられない。ぱちぱちを目を瞬く。


「家には戻れないのだろう? 修道院にも行けないのだろう? だったら、腹に子を宿したままどこへ行くつもりなんだ?」

「それは、これから探そうかと……」


 そんな言い訳のような言葉を口にしながらも、ウリヤナを受け入れてくれるような場所があるとは思えない。

 だからこそ、修道院を選んだのだ。そこですら、このような状況になってしまっては難しいだろう。


「これから探すのであれば、その探した先が俺のところでも問題ないよな?」

「え、と。そう、そうですね……?」

「だったら、決まりだな。今の時期なら移動も負担にならないだろう。それに、俺が魔法でなんとかしてやるから、難しく考える必要はない」

「あ、はい……」


 レナートの勢いに負けてしまった気もする。だがウリヤナが押しかけたわけではなく、レナートが受け入れると言っているのだ。だからここは、素直にその好意を受け入れたほうがいいのだろう。


 それでも返事はしたがいいが、本当に子を産んでいいのかどうかを悩んでいた。

 実感はない。もしかしたら、レナートの嘘かもしれない。だが、月のものはきていない。


 たくさんの推測が、ぐるぐると頭の中に浮かび上がっては、消えていく。


「迷っているのか? その……子を産むことを……」

「え?」

「お前の腹の子が不安がっている……」

「そうですね……父親のいない子になりますから」


 だからといって、クロヴィスには絶対に伝えたくない。彼とはもう縁を切りたい。いや、切ったのだ。


 そっと腹の上を撫でる。医者にもみてもらっていないし、まだわからない。

 信じられないという気持ちがありながらも、レナートの言葉は素直に受け入れられる。


 彼はゴクリと喉元を上下させた。それから、静かに言葉を紡ぐ。


「だったら……俺がその子の父親になってもいいか?」


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