サイコキネシスを知らない女神
死んだ。
車に轢かれそうな子供をかばって俺は死んだ。
だが本来、俺の力を使えば死なずに済んだ案件だった。
力を行使できなかったのは、世の中の面倒なルールのせいと言っていい。
俺はいわゆる超能力者だった。
あらゆるものを思うがままに操作できる念動力––
いわゆるサイコキネシスの使い手。
粒子や物体、動物、万物への干渉はもちろんのこと、本気を出せば天候すら操れるほどだが、天候操作は反動がすごいので当分はやらないと決めている。
途方もない力を先天的に授かった俺だったが、
この世で本物の超能力者など異質で排除対象にしかならないことを、幼い頃に思い知った。
それから俺はこの世のつまらないルールに則って力を隠して生きてきた。
途方もない力の持ち主と周囲にばれれば、それは畏怖すべき対象でしかなくなり、
自分だけではなく、家族にまで跳ね返りがあると分かっていたから。
てなわけで俺は死んだ。
どうしようもなく死んだ。
持て余し続けた力ともこれでおさらばと考えれば、この結末を悲観せずともいいのかもしれなかった。
そう思っていたんだが––
「ん? なんだここは?」
事故後、ずっと暗闇の中にいた俺だったが急に視界が開けていた。
不思議と体の感覚もある。
眼前に広がるのは神々しい眩い空間。
辺りには薄っすらと霧がたちこめている。
「こ、こほん。『砕壺ネシス』であってますね?」
「……誰だ?」
霧の向こうより女の高い声が響き渡る。
俺は防衛本能が赴くままにそちらへ手をかざしていた。
「なぜ俺の名を知っている。……ここはどこだ? ついでに貴様の名も答えろ」
「っ……落ち着きなさい、砕壺ネシス。そんな言葉を使うものではありませんよ?」
超能力者は常人よりも相手の感情を敏感に察知することに長けている。
俺もご多分に漏れずその手合いだ。
前方から滲み出る殺気……敵で間違いないな。
こういう場合は先手必勝に限る。
俺は過去に秘密裏に積み上げた戦闘経験のおかげで、
迷うことなく力を行使する。
「圧縮」
言葉はイメージを具現化する上で大事だ。
俺は林檎でも握りつぶすように、かざした手に力を込めた。
「ぐっ! ちょ、急に首が締まって……ま、待って死ぬ死ぬ死ぬ! 死ぬってばこれ! ぐええぇっ!?」
さっきの美声は作っていたんだろう。
声の主は聞くに堪えない不細工な声で悶える。
霧が晴れていくと共に、その姿も露わになった。
俺は思わず目をすがめる。
「……人間、か?」
白い階段。その段上にある玉座でもがくのは、
背中に白翼を生やした金髪の少女だった。
長い髪は後ろで三つ編みに結われており、
露出の多い肌はこの距離でも透明でなめらかなのが見て取れるほど美しい。
容姿も人形のように整っているのは明白だが、現在彼女の細い首筋には、
俺のサイコキネシスで五指の形がくっきり刻まれている。
おかげで美人の一端を垣間見ることは叶わない。
……かなり酷い表情だ。
とりあえず攻撃を停止した。
煌びやかな白いドレスを着た女は派手に突っ伏した。
「おい、大丈夫か?」
「げほげほっ! ごっほぉおっ……!!」
「大丈夫かと聞いている」
俺は敵判定した相手を油断することなく見つめ、冷静に問い正す。
「ふー……はぁー……自分でやっておきながら、どの口が心配してんのよっ……!」
女は勢い良く立ち上がり、その反動でドレスから溢れんばかりの膨らみが激しく上下する。
彼女は段上から俺を見下ろして。
「そこの人間! よくも天界でもっとも美しいといわれるこの私、女神ウルミナンテ様に手を出したわね!
もうあんたあれよ! この場で死刑よ! 死刑!!! はいもう決定っ!!!」
女神ウルミナンテとかいう女は酷く喚き散らすと、
燭台が炎を灯すように、その掌中に嫌な音を立てる稲妻の塊を出現させた。
「ふふふ……あははははは! 観念しなさい人間。本来なら、転生官としてあんたを次の転生先へと
送ってあげるところだけど、それはなしよ。だってこの私を怒らせたんだもの!」
俺は腕組みし、状況を整理する。
「なるほど、冗談でそんな恥ずかしいセリフを言えるわけもない。やはり俺は本当に死んだらしいな。そしてお前が、まさに今職務を放棄しようとしている堕女神なのも理解した」
「誰が堕女神じゃいゴルぅぁッ!」
勝ち誇ったように下卑た笑みを浮かべていたウルミナンテは、
怒りのあまり女神らしからぬ表情で恫喝する。
見てくれと発育がいいのは認めるが、性格は難ありのようだな。
「堕女神を堕女神と言って何が悪い?」
「今すぐ死にたいのはよーくわかったわ。お望み通り、すぐに楽にしてあげる♪」
ウルミナンテが掌に宿す稲妻が勢いを増し、耳をつんざく音を立て始める。
「いい? ここは私に与えられた執務室。天界の者は私以外にはいないわ。つまり、転生させるべき魂が一つ消えたところで誰も気づきはしないってわけ」
「ほう、俺を消すってわけか。面白い。やってみろ」
「砕壺ネシスだっけ? あんた、少しは魔法を使えるようだけど勘違いしないことね。さっきのは油断しただけ。あんな攻撃じゃ、私はビクともしないんだから。さあ、観念して消し炭になりなさい!」
「強がるのはいいが一つ言っておく。俺が使う力は魔法じゃなくてサイコキネシスだ」
「ごちゃごちゃうるさいわね。今さら何を主張しようが、あんたがここで死刑って事実は変わらないっての!」
ウルミナンテは笑みを浮かべながら得意げに稲妻を解き放つ。
「女神の雷槍!」
獰猛な稲妻が落雷さながらの勢いで襲い来る。
生身の人間がくらえば、ひとたまりもないであろう攻撃。
もちろん、普通であれば止めることすら叶わない。
相手が普通であればの話だが。
「ふん」
「…………へ?」
俺は羽虫でも払うような気軽さで、片手で雷撃をなぎ払っていた。
あまりに易々とやってのけたせいか、ウルミナンテは愕然としている。
「う、うそでしょう? あんた今、どんな魔法を使って……」
「だから言っている。魔法じゃなくてサイコキネシスだと」
しばし見つめ合う俺たち。
ウルミナンテは予想外の出来事すぎて、この現実が受け入れがたいらしい。
「ありえないって! だって私、天界で一番美しいってのはうそだけど、戦闘においては随一と言っていいのよ!
なのに、その私の攻撃をまるで何もなかったようにいなすなんて……。〜〜っ−−」
ウルミナンテは余程プライドが傷ついたのか、小刻みに震えた後。
「くっ! いい? 私はね! 争いごとがないこの平和な天界において、戦闘能力くらいしか誇れるものがないの! なのに私の攻撃で死なないなんて……あんた、ちゃんと今ので死になさいよ!」
「仮にも女神が滅茶苦茶なことを言う。お前、友達いないだろ?」
「ぐはっ!?」
「図星か」
ダメージを負った様子で胸を押さえている。
しかし、ウルミナンテはすぐさま立ち直ると牙を剥いた獣のように。
「いないわよ友達! 悪い!? あと天界一の美人は私じゃなくて姉様。対して妹の私は姉様には似つかないどうしようもない役立たずよ! でもね、乱暴者の不良と呼ばれて恐れられる代わりに、天界最強の名を欲しいままにしてる。ろくな称号なんて他にないんだから、それくらい守らせなさいっての!」
彼女はそう言うと、自身の背後に光輪を出現させた。
光輪を成しているのは、無数の光の槍だ。
そのどれもが俺の方に切っ先を向けている。
「ふふーん。魔法にも色々あるけど、あんたのサイコなんちゃらって種類は聞いたことがないわ。でも、そんな亜流の力で私にたてつこうと思ったのが運の尽き。悪いけど、私を怒らせたことを後悔しながら死になさい」
「はぁ……」
思わず溜息が漏れる。
この女神はまだ実力の差が分かっていないらしい。
俺は色々聞きたいことがありながらも、仕方なくもう一度女神に向かって手をかざした。
「俺が勝ったら、この状況を説明してもらう」
「安心しなさい、そんな未来はこないわ。さようなら、サイコなんちゃらの使い手さん」
ウルミナンテが心底楽しげな冷笑を浮かべ、首切りのジェスチャーをとる。
「いい加減覚えろ。−–サイコキネシスだ」
銃声のような音が轟いた。
女神ウルミナンテの頭部が後方に90度折れ曲り、瞬間的に加わった力の勢いで下半身は宙に浮く。
光輪を成していた光の槍は消滅し、女神はその場に倒れ伏した。
でこぴん。
俺が今取った行動はこれだけだった。
狙いを定めて中指を弾いた。
たったそれだけでもサイコキネシスを使った攻撃であれば、起こした現象は空振ながらも弾丸で撃たれたようなダメージを与えることができる。
ひとつデメリットがあるとすれば、激しい摩擦で爪の一部が燃えてしまうことくらいだ。
「ふぅー……。まったく、手のかかる女だ」
俺は指先から立ち昇る少量の煙をガンマンのように吹き散らす。
現世での事故から続く緊張にようやく終止符が打たれた。
しかし、天界というのは俺が思っている以上に騒々しいようだ。
「今度はなんだ?」
「まあ、ウルちゃんったらこんなにノビちゃって」
ウルミナンテの近くで大きな輝きが生じた直後、とても美しい銀髪の女がその傍に立っていた。
群青色の修道服のような装いで顔が見えづらいが、それでもとびきりの美人だとわかる。
衣服を押し上げる膨らみは、ウルミナンテよりもひと回り大きく、醸し出す色気に際限がない。
糸目の彼女は哀れそうにウルミナンテを見下ろしつつ、
「同情してあげたいところだけど、これも仕方ないわ」
「ん、っ……あ、あれ? 私、どうして床なんかに……って、姉様!?」
姉様……なるほど、銀髪の女はウルミナンテが言っていた姉というわけか。
ウルミナンテは姉の存在に気づいて飛び起きていた。
修道服の女は優しそうな性格に思えたが、意外にも厳しい表情で言う。
「ウルちゃん、最近あなたの勤務中の態度がよくないという噂があったから、疑いたくはなかったけど参考までに砕壺ネシスさんへの対応を見させてもらったわ」
「姉様、今の全部見てたの!?」
「はい、もうばっちりと」
「…………そ、そんなっ」
何に恐れをなしているのか、ウルミナンテは絶望したような表情で小刻みに震えだす。
「ち、違うの姉様! 最初に女神である私に手を出してきたのはこいつよ! ちょっと殺そうとしたのは事実だけど、私は悪くないわ!」
「ウルちゃん、前にも同じことがあったわよね? その時にわたしは言ったはずよ。女神たるもの、いつなんどきでも慈愛をもってことにあたらねばならないと。そしてこうも言ったわ。次同じことがあれば罰を与えると」
「うっ……それは」
「やっぱり、まだ女神としては半人前のようね。わたしは姉として、ウルちゃんを甘やかしすぎたみたい……。もっと早くにこうしておくべきだったわ」
姉である修道服の女は何かを決断したようだ。
彼女は背筋を正すと、威厳ある態度で告げる。
「女神ウルミナンテ。慈しみをもって、女神長官シルフィーヌが命じます。先ほどの行為の償いとして、砕壺ネシスさんが来世でなすべきことを下界でサポートしなさい。いいですね?」
「はあ!? 待ってよ姉様! それってつまり、堕天使ならぬ−−」
「堕女神が真の意味で堕女神になるというわけだな」
「あんたは黙ってろぉぉおッー!」
口を挟むと、ウルミナンテが大音量で吠える。
が、俺からすれば割って入りたくなるのも当然だ。
「おい、女神長官シルフィーヌとやら、お前たちだけで話を進めているが、俺は正直ついていけていない。あと、俺の来世にそのうるさい女はいらん」
「あんたねぇ、女神の中で一番偉い姉様にタメ口をきいたかと思えば、この私が必要ないですってぇ〜」
ウルミナンテが拳を震わせるが俺は無視を決め込む。
「失礼しました。もちろん、ちゃんと説明させていただきますよ。なにせあなたは、今から向かう『混沌世界バルハデス』を救う勇者様なのですから」
「この俺が、勇者だと?」
シルフィーヌは頷くと、ウルミナンテを促し、二人して翼を羽ばたかせて俺の傍へと降り立った。
ウルミナンテの短いスカートから覗く脚線美が眩しく映るが、姉のシルフィーヌのスリッドから覗く肉感のある太ももはそれ以上のものに思えた。
「砕壺ネシスさん、あなたは前世で超常の力をコントロールする術を学びましたね?」
「俺の過去を知っているのか。なるほど、女神を名乗るだけはあるようだな」
俺が得心顔で微笑を浮かべると、シルフィーヌは優しげに微笑む。
「力を持つ者は、同じく力のある者を呼び寄せます。あなたは生前、超常の力を持つ者たちと力比べをしてきましたね。しかもその全ての戦いにおいて、圧倒的な力量差で勝ちを収めてきた」
「姉様……こいつってもしかしてすごいやつなの?」
「ええ、もちろんよウルちゃん。なんたって世界を救う運命を背負った人だもの」
「ふぅん……だから私の攻撃もやすやすと……。ちっ、釈然としないわね」
ウルミナンテが光の槍を放ち、広い空間を構成する一本の柱を破壊する。
「まぁ、もうウルちゃんったら、またそんなに荒れちゃって……」
いつもこんな調子なのか、シルフィーヌは多少困惑する程度ですぐに俺へ向き直る。
「砕壺ネシスさん、今よりあなたが向かうのは、悪魔とその勢力に加担する悪い人間に支配された世界です。あなたには今の姿と能力を保ったまま転移してもらい、悪の根源を断ち切ってもらいたいのです。そのためにはあなたといえど仲間が必要になります。そこで、ぜひ妹を同行させてはくれないでしょうか?」
「話が見えてきた。その女を連れていくのは、俺にとってはプラスというわけだな」
「はい、こうみえてこの子はすごいんですよ。天界で戦闘面において右に出る者はいないほどの実力者です。ただ、天界は平和ですので、力を持て余してしまっていて……」
つまり、こいつも俺と似たようなものか。
世界に求められていない力を持ったばかりに恐れられ除け者にされる。
「……」
憂えた表情で俯くウルミナンテ。
俺は自分でも不思議と迷わなかった。
「連れていこう」
「はいはい、どうせ私は誰からも必要とされない存在で…………え? あんた今、なんて」
「連れていくと言った」
「は? あんた正気? 私たち出会い方も最悪だし、絶対相性も最悪じゃん! なのになんで……」
何か期待するような眼差しで見つめられる。
見てくれはいいだけに画にはなっているが、俺は構わず本音を告げた。
「堕女神は堕女神なりに使えるかもしれんしな」
「はいやっぱあんた殺すー!!!」
細い両手を掲げるウルミナンテの頭上には、一瞬にして稲妻が集積していく。
俺はタクトを振るように人差し指を振り下ろした。
「伏せ」
「ンゴォッ!?」
ウルミナンテは何かに押しつぶすされるようにして一瞬で地べたに這いつくばった。
「な、なひよぉぉ……これぇーっ!」
「サイコキネシスを使った超重力攻撃だ。加減はしている。お前はしばらく寝ていろ」
「こんにょ〜〜っ!」
絶え間なく超重力に苛まれるウルミナンテが抵抗を試みる中、俺は話を戻す。
「シルフィーヌ、お前はさっき運命と言ったが、そもそも俺が勇者役を引き受けない場合はどうなる?」
「あなたが送った前世が無駄になるだけです。すべては勇者として力の使い方を覚えるため、今までの生はあったのですから」
「ふっ、俺の前世は予行演習だったってわけか」
つまりは神が仕組んだ壮大なチュートリアル。
不遇な思いをしたのも、全ては次の世界で存分に力を発揮するため。
要するに次の人生こそが本番というわけだ。
そう考えれば、今までの過去とも折りあえる気がした。
「次の世界では、勇者としてこの力を存分に使っていいんだな?」
「もちろんです。使いに使って世界を救ってください。ちなみに、本懐を成したあかつきには、なんでも一つ願いが叶えられますので、そのおつもりで」
「褒美があるのか。今の段階では特にないが…そうだな。たとえばその願いを行使すれば、天界一美しい女神をめとることも可能なのか?」
戯れに聞くと、シルフィーヌは満更でもない様子で白磁の頬をわずかに朱に染める。
「まあ、砕壺さんってば大胆なんですね。でもわたし、そういう方は嫌いじゃありません。女神と人間が恋愛をするのは禁止ですが、救世後の願いであれば無理な話ではないかと……。ふふ、その時がくるのを楽しみに待っていますね♪」
その後、シルフィーヌが異世界召喚に必要な魔法陣を描いて準備を終える。
「それじゃあ……ウルちゃん、頑張ってね。お勤めを果たせば、また天界には戻ってこられるから」
「いやだー! 姉様、お願い! こんな不遜でデリカシーのない男のサポートだなんて絶対いやよ!」
「少しは黙れ。ではシルフィーヌ、頼む」
未だ俺の超重力で地べたに這いつくばるウルミナンテ。
彼女を中心に描かれた陣が輝きだし、俺たち二人は光に包まれた。
底が抜けたような感覚に襲われ、心配顔のシルフィーヌを置いて次元の狭間へと旅立つ。
「やだやだやだ〜っ! 本当の堕女神になるのだけはイーヤ〜〜〜っ!!!」
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