取引の条件
白北山城の一室に、召喚されたばかりの林業用オートマタ、『木霊』が静かに佇んでいた。その無骨な金属の筐体は、まるで生きているかのように微かな稼働音を立てている。利雨はシロと共に、最後の調整作業を終えたばかりだった。
その時、部屋の扉が静かに開いた。傅役の菊池が、旅の埃を払う暇もなく部屋へと入ってくる。その手には、ずしりと重い銭袋が握られていた。
「小丞様、ただいま戻りました」
菊池は深々と頭を下げ、銭袋を卓上に置いた。金属が触れ合う鈍い音が響く。
「湊の『海渡屋』という店と、魔石の取引の件、話をつけてまいりました。当面の軍資金は、これで賄えましょう」
利雨は安堵の息を漏らした。
「ありがとう、菊池。本当に助かるよ」
金戸湊での弁蔵とのやり取りを簡潔に報告する菊池は、やがて視線を利雨へと向けた。
「……ですが、弁蔵殿が申すには、近頃、左岸の動きが妙に活発なのだとか。商いだけでなく、武具や兵糧の類も動いていると。用心するに越したことはございませぬ」
利雨は眉をひそめたが、すぐに表情を元に戻した。
「うん。でも、今はまだ、足元を固めることが先決だろうね。せっかく資金の目処も立ったんだ。これで、計画の次の段階へ進める」
利雨の言葉に、菊池も「御意」と応じた。軍資金が手に入ったことで、利雨の瞳に新たな決意が宿る。
「よし。それじゃあ、小土豪の皆さんに集まってもらおうか」
翌日、利雨の呼びかけに応じ、白北山地の五つの集落の長たちが、山城の麓に広がる練兵場へと集結した。
大滝村の長、**源吉**は、いつも通り恭しい態度で利雨に一礼し、しかしその瞳の奥では、抜け目のない算盤を弾いているのが見て取れた。
日藤集落の長、**岩蔵**は、腕を組み、不機嫌そうな顔でじっと利雨を見据えていた。その視線には、若造に頭を下げることへの侮蔑と、言い知れぬ警戒が滲んでいる。
野温集落の女長、**霧乃**は、古びた狩衣のような装束を身につけ、神秘的な雰囲気を纏いながらも、その目は冷静に周囲を観察していた。
高菅集落の長、**木三**は、人の好さそうな顔をしてはいるものの、落ち着かない様子で所在なげに視線をさまよわせている。
そして黒岡集落の長、**風丸**は、若輩ながらもどこか切れ者の空気を持ち、他の小土豪たちとは一線を画した冷静さで、この場がどう動くかを見極めようとしていた。
彼らの間には、「あの若造が、今度は一体何を見せつけに来たのか」という警戒と、どこか期待にも似た侮りの空気が満ちていた。
利雨は小土豪たちの前に立つと、静かに口を開いた。
「皆さん、本日はお忙しいところ、お集まりいただきありがとうございます。今日は、皆さんの助けとなるものをお見せしたくて、ここへお招きいたしました」
利雨の合図で、練兵場の端に設けられた物陰から、三体の林業用オートマタ『木霊』が、重い履帯の軋む音を響かせながら姿を現した。金属と木材が組み合わされた無骨な外見だが、その動きには一切の無駄がない。
その異様な姿に、小土豪たちは息をのんだ。
霧乃は「これは……」と、畏怖とも好奇心ともつかない表情で眉をひそめ、武人である岩蔵は、得体の知れない存在に対する警戒心を露わに、鋭い眼光を向けている。
利雨は動じることなく、その視線を一人一人へと向け、淡々と説明を続けた。
「これは、上桐本家より貸し与えられた特別な魔導具です。これを使えば、今まで危険だった伐採作業も、安全かつ迅速に行うことができます」
言葉だけでは信じないだろう、ということが利雨には分かっていた。彼は、さらに奥に控えるシロへと視線で合図を送る。シロは無言で『木霊』の一体に、広場の端に立つ古木を伐採するよう命令を下した。
『木霊』は重々しい音を立てて大木へと向かうと、その多関節アームを巧みに使い始めた。鋭利な伐採爪が大木の幹に食い込み、みるみるうちに木肌を削っていく。人の手では到底届かぬような速さと正確さで大木は切り倒され、地響きを立てて倒れる。そして瞬く間に枝を払い、運びやすい長さに切りそろえてしまった。
その光景を目の当たりにし、小土豪たちは言葉を失った。長年、林業の過酷な労働と危険を知る者ほど、その衝撃は大きい。彼らは、目の前で繰り広げられる「魔導具」の驚異的な性能に、ただ圧倒されていた。
場が静まり返ったところで、利雨は本題を切り出した。
「この魔導具、『木霊』。皆さんの集落にも、お貸ししようと思います。もちろん、無償で」
その言葉に、それまで静まり返っていた小土豪たちが、再びざわめき始める。お人好しの木三などは、「本当かい!」と期待に満ちた目で身を乗り出した。
利雨は、彼らの反応を冷静に観察しながら、条件を告げた。
「ただし、条件が二つあります。一つ、この魔導具の担保として、皆さんのご子息か、それに準ずる血縁の方を、この山城で預からせていただきたい」
場の空気が一変した。それは、紛れもない「人質」の要求だった。
しかし、利雨は構わず、二つ目の条件を告げる。
「そして二つ目。この魔導具を使って得た木材の利益は、私と皆さんで折半とさせていただきたい」
利益折半という破格の条件。しかし、人質という重い枷。小土豪たちは、利雨が差し出した「飴」と「鞭」を前に、激しく動揺した。その動揺は、利雨の目には見て取れるほど明らかだった。
最初に口を開いたのは、源吉だった。彼は、一見思案するそぶりを見せた後、ゆっくりと口を開いた。
「ふむ……小丞様、有り難き申し出でございますな。上桐家からの魔導具とのこと、その力は確かに驚くべきもの。それに利益の折半、人質の件も承知いたしました」
源吉は周囲の小土豪たちに目をやり、何かを測るようにしてから、利雨に視線を戻した。
「……当村にとっても、これ以上の機会はあるまい。我ら大滝村、喜んでお受けいたしましょう。我が孫も、明日にもお預けいたしますゆえ」
源吉の即決に、他の小土豪たちが驚きの声を上げる。
だが、岩蔵が猛然と反発した。その顔は怒りに歪み、利雨を射殺すかのような鋭い視線を向ける。
「ふざけるな! 息子を人質に差し出し、若造の言いなりになれと申すか! 我ら日藤の民は、先祖代々のやり方で山を守ってきた! 得体の知れぬからくりに頼り、魂を売るような真似はできん!」
岩蔵はプライドを傷つけられ、もはや理性を保てない様子で公然と利雨に反旗を翻した。彼は提案をきっぱりと断ると、不機嫌な顔で部下を引き連れ、足早にその場を去ってしまう。
残された霧乃、木三、風丸は、即決した源吉と、決裂した岩蔵の間で、どうすべきか決めかねて互いに顔を見合わせた。
岩蔵は提案をきっぱりと断り、部下を引き連れてその場を去ってしまう。
残された他の者たちが動揺するのを横目に、利雨の視線は去っていく岩蔵の背中に、静かに注がれていた。
(まあ、ああいう人も一人や二人はいるだろうな)
特に感情を動かすでもなく、ただそう思った。彼の興味はすでに、残された者たちがどう動くかへと移っている。