元服宣託の儀
張り詰めた空気の中、末太郎は普段はめったに入れない儀式殿へと歩を進めた。15歳、元服の日。朱塗りの柱が並び、天井には龍が舞うこの厳かな空間で、今日から彼は少年ではなく、一人前の男として生きる決意を誓うことになる。
・・・この国、日出国は長く群雄割拠の世が続いていた。
その中で、末太郎の父である上桐黄祇邦伯高嗣は、一代にして黄祇国内での上桐家の権勢を確かなものにした稀代の当主だった。南方にある関内諸国や、その中心である日天宮内での争いを避け、武力と婚姻によって国人をまとめ上げ、黄祇国は安定と繁栄を享受していた。
高嗣のもとには、日天様の血筋に当たる正室に加えて、黄祇国内の有力国人や地方の国人など、十を超える側室がいた。その中で最も弱い立場にあったのが、旧小騨家の娘の子として生まれた子、すなわち上桐末太郎であった。
極北にあった小騨家は、彼の母が上桐家に嫁いでしばらくして、近隣の国人との争いにより滅んでしまったのだ。加えて、心労がたたったこともあり、母は早くに亡くなり、末太郎は半ば家人扱いの不遇の中でも、元服まで耐え忍んできた。それは、元服の名付けと共に、神官から宣託される須器瑠に一縷の望みをかけていたからだ。
「末太郎、今日からお前は利雨だ。一人前の男として、己の道を歩め」
烏帽子親である重臣・東栗左衛門尉が厳かに烏帽子を彼の頭に載せ、元服名である「利雨」を授与する。「利雨」と初めて呼ばれた彼の心は、言い知れぬ高揚感で満たされた。一方、上桐家の通字である高は彼には与えられなかった。
そして、運命を決める須器瑠授与の儀。神官が祝詞をあげ、利雨の頭に手を触れる。皆が息を呑んで見守る中、利雨の頭に浮かんだのは「オートマタ」という文字だった。
神官の手が離れ、静寂が儀式殿を支配する。皆の視線が利雨に注がれる中、神官が促すように頷いた。利雨は張り詰めた空気を肌で感じながら、震える声で口を開いた。
「…オートマタ」
重苦しい沈黙が儀式殿を支配した。父である高嗣の顔が険しくなり、失望の色が露わとなる。有力家臣や親族たちの視線には、憐憫と嘲りが入り混じっていた。特に、正室の子であり、利雨の異母兄である上桐弾正大疏高成の唇には、あざけりの笑みが浮かんでいるのが見えた。
利雨は肩を震わせ、息をするのも苦しかった。誰一人として「オートマタ」という須器瑠を知らない。それは、彼が価値のない存在であることを証明しているかのようだった。母との約束、小騨家再興の夢。すべてが音を立てて崩れ去っていくような絶望感に、利雨は耐えるしかなかった。
そもそも、須器瑠とは、天賦の才を示したものであり、剣術や弓術、書など伝統的なものから、水術(水の気を操ることができる)などの法術や読心、長命など、多岐にわたる。須器瑠を持たずに生まれる者も多いが、それはその他の人格や体力、運などがのつり合いが取れているということで、中の下ぐらいとされている。しかし、死霊操りなど忌み嫌われている須器瑠や、誰も聞いたこともない謎の須器瑠は、その使い道もない上に、その分他の才が劣っているとされ、嫌悪の対象となっていた。
「オートマタ」
利雨の頭に浮かんだその文字は、誰一人として知る者がない謎の須器瑠。それは、彼の人生に暗い影を落とす烙印となってしまったのだ。
夜になり、北海からの強風が質素な利雨の部屋に吹きすさんでいた。利雨は儀式がいつ終わったかも覚えていなかった。利雨が覚えていたのは、正室の子であり、利雨の異母兄である弾正大疏高成が「最北の国人風情の子にふさわしい須器瑠よ」と取り巻きとあざけりながら去っていくところだった。その言葉は、鋭い刃となって利雨の心に突き刺さった。
儀式から数日後、利雨は父・高嗣に呼び出された。広大な庭園を望む書院。厳格な雰囲気の中で、高嗣は静かに口を開いた。
「利雨、お前の須器瑠について、念のため神官や公家に確認した」
冷たい声だった。利雨は頭を下げたまま、小さく「はい」と答えた。
「無用の須器瑠だ。上桐家で養う価値はない」
予想していた言葉だったが、実際に突きつけられると胸に突き刺さる。父は続ける。
「お前には滅んだ小騨家の名跡と、わずかな遺臣を与える。白北山地へ行き、そこで静かに暮らせ」
白北山地。それは黄祇国の北の辺境、険しい山々が連なる僻地だった。事実上の追放。だが、利雨は驚きはしなかった。あの冷酷な父に、利用価値がないと判断されたらどうなるか、すでに悟っていたのだ。
「承知いたしました」
利雨は静かに頭を下げた。書院を後にした彼は、すぐに追放の準備に取り掛かった。わずかな家財道具と、数名の遺臣。その中には、幼い頃から利雨に仕えてきた老侍・菊池の姿もあった。
「若、どこまでもお供いたします。小騨家の誇りを取り戻すその日まで」
菊池は目に涙を浮かべながら、利雨に忠誠を誓った。しかし、他の遺臣たちは不満と不安を隠そうともしない。
「よりによって白北山地とは」「あの土地で、どうやって暮らしていけば」
彼らの言葉は、冷たい風となって利雨の心を吹き抜けていった。
次回以降は須器瑠はスキルと書きます。