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――――最悪だ。
膝をつき、自身の纏うACSの強制冷却状態による排熱音が鳴り続ける中で、トリルが今の状況を毒づく。
消耗したファナとアリッサの二人が、戦闘起動を継続できない自分を抱えた状態でアルゴスを相手にすることなど、不可能だ。
最悪の事態を想定しているつもりでいた。が、甘かった。
まさか、ここでいきなり、人類の最前線を阻む最悪の脅威と邂逅することになろうとは――
「……トリル、アリッサ。後はお願い」
そう言ったファナが何をしようとしているか、トリルにはすぐわかった。
ファナは、アルゴスの闖入により遮断された真の“切り札”を使おうとしていた。
確かにファナのみができるその“切り札”であれば、この状況を打開できるかもしれない。
否、可能性はもはやそれにしかなかった。トリルとて、それはわかっていたのだ。
だが、提案できるはずがなかった。
何故ならその“切り札”が、文字通り、ファナにとっての最後の手段だと、トリルは同時に知っていたからだ。
自分たちは、三人で夢を果たすと誓った。ならば、夢が散るときも三人同じだ。
ファナを犠牲にしてまで自分が生き残る選択肢など元よりない。そしてそれはアリッサも同じはずだ。
そう、何度もこれまで言ってきた。
だが、このファナというリーダーは決してそれを許さない。許せない。
「後はお願い」などと、無責任なことを言って、容易くその“最後”を開いてしまう。
させるものかと、トリルがファナを無理やりにでも止めようとする、が。
「――――あなた達の目的は、何?」
その問いを発し、ファナの行動を遮ったのは、トリルではなく、ふたりの元にまで駆け付けたアリッサだった。
(――お願い、ファナ。まだ諦めないで)
ファナとトリルの頭の内に、直接アリッサの声が沸き上がってくる。
二人はそれが、アリッサが並列処理で走らせていた通信だとすぐに理解する。
だがこの通信はワイズマンのACSを活かした一方通行且つ秘匿性の高いものであり、ファナとトリルに返す術はなかった。
(――私が時間を稼ぐ。その間にファナは少しでもドライブの駆動率を高めて。トリルの探索起動が復帰次第、私が開帳して、あいつらの動きを止める。そしたらファナが私たちを運んで)
ファナとトリルは、この状況下に置いてアリッサだけがまだ「三人が全員無事で切り抜ける」のを諦めていないことを思い知らされる。
そして二人は、言葉にせずとも互いの思考を理解し、アリッサの直感を信じて従うことにした。
「……状況を理解していないのかしら?」
アルゴスがわざとらしく右手を自身の頬に添えて返す。
「そっちこそ、私達がもう戦えないとでも思ってる?」
アリッサの挑発的な言動を、アルゴスは一笑に付す。
そのやりとりを見ていたニーズホッグが、伏したままアルゴスを睨みつける。
「オイ……何を余計な会話してンだテメェ……!」
「は?」
アルゴスの指が鳴り、直後、ファナ達の視界外から幾筋もの光線がニーズホッグに向けて伸び、それがニーズホッグの四肢を貫いた。
「がッ――」
貫かれた箇所から遅れて出る体液。ニーズホッグはそのまま地面に胸を打つことになる。
「決めるのは私でしょう? アンタ寝てなさいよ」
アルゴスがニーズホッグの背に左足を乗せ、ずん、という轟音と共にニーズホッグを地面に陥没させるほど踏みつける。
「くっ、ふふっ――――ハハハハハっ! ハハハハハハハハハハハハッ!!」
動かなくなったニーズホッグを見て笑うアルゴスは、ファナ達の知る人型敵性存在の中で、最も残酷なものを宿していた。
一部始終を見せつけられたファナとトリルは、周囲を見回す。
(狙撃……? まだ敵が、他に――――いや、奴自身の能力か?)
ファナの中で、これまで観測していた事象が結びつき、一つの仮説が生じる。
先刻から四方八方で感じられる薄気味悪い存在感の正体は、今の光線の発射源なのではないか。
だとすれば、自分たちもニーズホッグ同様、一瞬で蜂の巣にされかねない。
(腹の中って、わけね……)
そこでファナは、自分が笑みを浮かべていることに気づく。危機的状況であればあるほどつい零れてしまうのは、悪癖だと認識していた。
「――で、え~と。何だっけ? ああ、そうそう。目的についてだったわね。小さき者はどうしてそんなことばかり気にするのかしら? いつも不思議」
アルゴスは沈黙したニーズホッグの背を踏みにじりつつ、饒舌な様を見せる。
その舌を乾かしてはならないという直感のもと、アリッサが言葉を紡ぐ。
「……本来、あなた達はこの階層の存在じゃない。なのに何故、突然私達の前に姿を現したの?」
「それ、お前達に関係ある?」
「答える気がないのなら、私があなたの目的を当ててあげてもいいけど?」
「……へぇ?」
アルゴスの反応――――僅かな間に、アリッサは光を見出す。
「“エラー”。それが、あなた達の目的でしょ?」
アリッサがそう口にすると、アルゴスの表情から微笑が消え、先ほどよりも明確な沈黙が生じた。
“エラー”が何か、アリッサにはまるでわからない。
だが、ニーズホッグが出現した際に、自分たちが“エラー”かどうかを問うてきたことから、彼女らの目的がその単語に関連することは十分に推測できた。
故にこれは「情報と時間が少しでも稼げるのであれば」とかまをかける一手であったが――
「話が早いじゃない」
アルゴスはそう言って、再び邪悪な笑みを宿し、指を鳴らす。
――――ぐぉんという異音が、ファナ達の周囲で大きく響いた。
音の正体は、ファナ達を広く取り囲むようにして漆黒の穴がいくつも生じたものだ。
「まさか――」
現れた漆黒の穴はどう見ても――――アルゴスがこの場に現れるためにくぐってきたゲートと、同様のものであった。
次に展開される状況を察し絶句するファナ達を見て、アルゴスは愉悦の笑声を漏らす。
「お前達が一時的にでも示した揺らぎは、とても興味深いわ。《剪定》を倒した時の値を、もう一度見せてちょうだい?」
ファナ達はすぐに互いの背を守るようにしてフォーメーションを組む。
だが、トリルのフォトンドライブはいまだ強制冷却状態故であり、戦える状況ではない。
やがて全てのゲートから一斉に何かが姿を現すと、ファナ達三人の視界が急激に警告色の赤で支配される。
――――警告。既知の危険認定済み波形と合致。パターン【F.D.E】。
「――たたき売りかっつーの」
ファナがそう悪態を漏らすほど、状況は激変してしまった。
全てのゲートから現れたのは、黄金色の巨大なゲル状の物体。
否。そのゲル状の物体を纏うようにして付き従わせる、同じく黄金色の装備に身を包む幼い少女達。
当然、この場において現れる存在が、ただの少女なはずがない。
かの幼子らもまた、この大塔における守護者。
ニーズホッグ、アルゴスらと同じ、ACSのような装備を纏い、生体にフォトンドライブを直接内蔵する者である。
ファナ達の視界はその事実を証明するかの如く、現れた幼子全てにF.D.E『キマイラ』の識別名を示していた。
せめて一体だけならば、という思いがファナ達の心中にあったことは否定できない。
というのも、キマイラはかつてこの第一階層を守護していたF.D.Eであり、言い換えればニーズホッグ同様、既に先人によって打倒された『攻略済み』の存在なのだ。
もちろん、先に自分たちが遭遇したケース――新たに強化されたニーズホッグの別個体――が存在するため、今自分たちの前に現れたキマイラも、強化個体と考えるべきだろう。
だがファナ達は、強化されたニーズホッグすら既に撃退一歩手前まで追い込んでいる。同じF.D.Eであっても下位階層の守護者であったキマイラであれば何とかなるはずだ。
ただそれは、一体であればの話。
――この場には今、十三体のキマイラが存在していた。
いずれも無表情で、何かの命令を待つかのように、ゲートから現れた直後の立ち姿のまま静止している。
G.U.I.L.Dのデータベースによれば、キマイラの性格は快活で、見た目通りの幼さを感じさせつつも残虐性を秘めるものであるとされているが、その特徴はまるでない。
(どちらにせよ、最悪の状況がさらに最悪になったわけだ)
ファナ達にとって真に最悪なのは、アルゴスひとりなら通用したかもしれないアリッサとファナのそれぞれの切り札が、今この瞬間に封じられたことにある。
敵が意図してなのかは測りかねるが、ファナとアリッサの切り札は、対象の数が少なければ少ないほど効果が発揮されるものであった。
故に、この場で対象となる敵性存在が増えることは、希望を断つ詰みの一手に等しい。
「さぁ、ショウタイムよ」
アルゴスがその手を天に向けて伸ばす。
それは、明らかにキマイラ達への攻撃命令の前兆。
もはや状況に、一刻の猶予もない。
ファナとアリッサは、同時に覚悟を決め、己が内に設けられた制御装置を外さんとする。
その、刹那――
――――警告。
――――未識別のフォトン波形【影響深度:Lv.6】を確認。
――――以降の観測データは大塔条約により強制的にG.U.I.L.Dプライマリサーバー上にアップロードされます。
ファナ達三人の視界の端に、同時に表示される警告文。
そして明確化する異質な、この場にいる生物全ての呼吸を止め沈黙させるほどの、圧倒的なプレッシャー。
ファナ達は本能的に、その圧を放つ存在が自分たちの上空にいることを察し、見上げる。
それは、アルゴスも同様であった。
そして、彼女たちは、見つける。
人間的なシルエット。
その全身の要所要所を薄く覆う黒い装甲。
翼を連想させるかのような、特徴的な意匠の武装。しかし、片翼。
その両目を覆い隠す、黒い仮面のごときバイザー。
「なんだ、アレ――」
片翼にして、漆黒の、仮面の天使。
それが、トリルとアリッサが最初に連想した言葉であった。
ファナ達には片翼のそれが纏う武装が、F.D.Eの纏うような生体と融合した武装ではなく、むしろ自分たちが纏うACSに近しいものであることに気づく。
「――――やぁっと出たぁ!!!」
その狂喜は、アルゴスから発されたものであった。
アルゴスは、自身がここにいることを示すかのように、片翼の存在に向けてその両腕を広げる。
「待ってたわよ『コード2022』……!」
――その言葉の意味をファナ達が思考する前に、状況が動く。
ファナ達の視界が突然激しく明滅したかと思うと、直後、キマイラ達のいた場所全てに光の柱が立ち、続けて衝撃波と耳を劈くような轟音が第一階層全体に走る。
衝撃波で吹き飛ばされないよう、ファナ達がすぐさまフォトンシールドを展開しその場で伏せるとともに、彼女たちの視界では、十三体いたはずのキマイラの反応が全て消失していた。
映像ログで確認するまでもなく、“片翼”が何らかの攻撃により一瞬でキマイラ達を殲滅したことファナ達は悟る。
絶望的だった盤面が、瞬きにも満たない時間でひっくり返ってしまった。
だが、安堵することはできない。
(最終固有戦術級の出力を、何の予備動作もなく一瞬で……!)
トリルはこの時、密かに己のプライドが傷つけられていた。
彼女のアナライザーに示された“片翼”の攻撃の総フォトン出力量は、ニーズホッグが先に放った『大虐却火』のそれの三倍近い数字を示していた。
それは、トリルの最大の攻撃である『集極・蹴』ですら、遠く及ばない領域。
G.U.I.L.Dの観測史上、これほどの高出力をこれほどの速度で放つことができる存在は、ACSにも、ましてやF.D.Eにもいない。
それほど規格外の存在が、どういうわけか自分たちを避けてキマイラ達のみを撃滅したのは事実だ。
しかし、次の瞬間自分たちに攻撃が飛んでくる可能性を否定できない。
故に、全てのリソースを割いてアルゴスと“片翼”の次の挙動に対応できるよう警戒しなければならない、極限の状況下で――
ファナだけが、自らの直感に従い、独りとある照合コマンドを走らせていた――――
「――派手なご挨拶ねぇ」
明滅と轟音と衝撃波の余韻が残る荒れ狂った大気の中で、アルゴスの余裕の声が無遠慮に響く。
「ようやく会えたんだから、お話しましょうよ。私たちは――」
アルゴスの言葉がそこで途切れる。
“片翼”が突然、アルゴスの前に現れ、左手でその細い首を容赦なく掴み、持ち上げたのだ。
ファナ達のアナライザーには、一瞬だけ警告レベルの高フォトン反応が示されていたが、“片翼”が何をしてアルゴスとの間合いを瞬時に詰めたかまではわからない。
苦悶をあげるでもなく、されるがままに持ち上げられ、笑みを湛えながら“片翼”を見下ろすアルゴス。
一方の“片翼”が、その口を開くと――
【■■■ ハ ドこ ダ】
――ファナ達は、音声としてではなく、直接脳内に情報が送り込まれたかのように“片翼”のその声を認識する。
しかしそれは暴力的なノイズを宿しており、強制的に受信させられたファナ達の脳に強い負担を与え、その痛みに思わず一同は頭を抑える。
奇しくもその怯んだ瞬間に、ファナの走らせていた照合コマンドが、ある一つの答えをファナの視界内で示していた。
「へたくそ♪」
首を掴まれているというのに、アルゴスの発する音声は恐ろしく明瞭であった。
直後、黒い光線がアルゴスらのいる位置に向けて四方から迸り、“片翼”の全身をまるで直方体に収めるかのように一瞬で枠を引き、間を置かず枠にそって黒い面が生じる。
こうして“片翼”は、アルゴスの首をつかむ左腕以外すべてが黒い直方体に一瞬に収められてしまった。
ファナ達は一連の流れが攻撃というより捕獲だと認識し、“片翼”の安否を気にかけたが、残された“片翼”の左腕は切断されることなく未だアルゴスの首を掴み続けていた。
やがて黒い面と左腕の境界部分からヒビが入ったかと思うと、甲高い音を鳴らして黒い直方体が破裂する。
1秒にも満たないが確かに閉じ込められていた“片翼”であったが、傷一つない。
【■■■ ハ ドこ ダ】
まるで時間が戻されたかのように同じ言葉が発せられ、数秒前と同じシーンが繰り返される。
「堅牢な孤立状態ですこと。保持するために原始的通達手段に頼ってるの? 面倒くさそう~♪ でもでも、そっちの目的は干渉でしょう? 許してくれれば、こっちはいくらでもプロトコルを調整してあげるけど――」
“片翼”が右手に刀剣状の何かを作り出し、それで掴み上げていたアルゴスを縦に両断し、言葉を遮る。
割れたアルゴスのその左右の唇がそれぞれ同じ角度で口角を上げるのと共に、アルゴスの体が黒紫の粒子となって霧散する。
だがファナ達のACSは、未だアルゴスのフォトン波形を捉えており、先の“片翼”の攻撃でアルゴスが死んでいないと叫んでいた。
「――やぁねえ、そんな無粋なアクセスしないでよ」
あらゆる方向からアルゴスの声が不気味に反響する。
「でもま、改めて断絶があるというのはわかったわ。こちらとしては現象確認ができたから上々も上々。タグ付けだけして帰らせてもらうわね」
ファナ達は“片翼”による大破壊の残滓がちらつく周囲に対し、必死に目を向けアルゴスを探査するも、周辺を包み込むようにアルゴスの波形が確認されるだけで、その姿形を捉えることはできない。
一方の“片翼”は、アルゴスの粒子が霧散していった第一階層の偽りの灰空を眺め続けていた。
「また会いましょう、『コード2022』。……あ、そいつは回収させてもらうわよ」
“片翼”の付近で、ぐぉんという奇妙な音と共に黒い巨大な球が突如現れる。その球は、ニーズホッグが倒れ伏す地点を中心に発生したものだった。
球は地面ごと空間を刳り抜き、ニーズホッグをこの場から消滅――否、転送させてそのまま消えた。
そして、その現象を最後に、アルゴスのフォトン波形が消失し――
ファナ達の視界に表示される警告は、“片翼”の発するそれのみとなった。