アカネとナツキ
それから私はナツキの家、旅草家に通された。
「落ち着いた? ゆっくりしていくといいよ。それにしても、記憶がなくて帰る家が分からないなんて大変だね」
ナツキはお茶とお菓子でもてなしてくれた。人が急に別の時代からやってきたなんて言ったら、私は信じるだろうか? たぶん信じないだろう。それにナツキは私の父で、ここは一九八九年なのだ。下手に自分の正体を話してしまうと、私自身の存在が消えてしまう可能性も出てくる。私は今の状況を受け入れ、落ち着くにしたがって、「記憶がなく、帰る家が分からない」とだけ伝えた。六年生の旅草ナツキは心配そうに見つめている。自分の世界で、私は四十代の旅草夏樹を知っているが、どことなく面影があり、その表情に懐かしさを感じた。
「でも、どうしたものかしらねえ。帰る家が分からないなんて……」
襖が開き、ナツキの母親が入ってきた。つまり私の父方の祖母だ。令和の世界でも一緒に暮らしているが、白髪もシワも全然なくてすごく若い。おばあちゃんにも若い時代があったということを妙に納得してしまった。
「知り合いに駐在所のお巡りさんがいるから、相談してみましょうか? もしかしたら捜索願が出ているかもしれないし」
警察か。特に悪いことをしたわけでもないので別に構わないが、そんなところに行っても私の家や親が見つかるはずがない。一九八九年の世界に私は存在していないのだから。夜も更けていき、結局その夜はナツキの家に泊まらせてもらうことになった。生まれる前の自宅に泊まる日が来るなんて思ったこともなかった。古い家なのに、匂いや木のぬくもりは変わらない。いろいろなことがあって疲れていたのか、その日は不思議と熟睡できた。
翌日、ナツキの母の旅草ミホに連れられ、私は地元の駐在所に行った。人の良さそうなお巡りさんが全国の警察にあたってくれたが、私と同じくらいの女の子の捜索願は出ていないらしく、途方にくれていた。
「いやあ、困ったな。各地に問い合わせてはいるけれど、お嬢ちゃんと同じくらいの年の子の捜索願なんて出ていないよ。とりあえず保護課とも連携を取りたいから、県警まで来てくれってさ」
「すみません、ありがとうございます」
ナツキの母は頭を下げた。それからもっと大きな警察署に連れられて、警察官や県の職員らしき人たちからいろいろなことを聞かれた。私は自分の名前と年だけを告げ、あとは「分からない」を突き通した。強面の警察官から厳しく尋問を受けたり、怒られたりすることを覚悟したが、意外と地元の警察官や職員は優しく、私はしばらく深山町内の児童養護施設でお世話になることで落ち着いた。ここは深山小から一㎞ほどしか離れておらず、ナツキ達と同じ学校に通うことになる。知っている人が誰もいないような遠方の施設に行くことも覚悟したが、最善の結果になって私はほっとした。この町にいれば、まだ自分の時代に帰れる可能性だってある。学用品は貸与され、衣服は施設長の娘さんのおさがりをもらえることになった。身一つでこの時代に来た割には十分すぎる施しだ。
「おはよー、茜ちゃん、学校行こう! 」
登校初日、ナツキが元気な声で私を迎えに来た。母親から私が同じ学校に行けることになったのを聞いていたらしく、あの夜とは比べ物にならないくらいに明るかった。
「おはようナツキ君。やっぱり知っている子がいてくれると安心するよ」
「茜ちゃんがこの学校に通えてよかったよ。僕の命の恩人みたいなものだしさ。何かわからないことがあったら聞いてね」
小さな体でも心強くいてくれるナツキが頼もしい。同じ施設で衣食住を共にしている小学一年生の山田淳という少年がいるが、彼もナツキのことを慕っているようで、話している私たちの周りをぴょんぴょんはねていた。
それにしても令和の時代とは違う昭和末期~平成初期の子ども達のファッションには驚いた。十月も中旬を過ぎているにも関わらず、ほとんどの男の子は半ズボンを履いているのだ。女の子はあまり令和と変わらないのに、それが不思議だった。でも、スマホもなくテレビゲームも限定的だった時代、そういう時代を薄着で活発に走りまわる少年たちは令和の時代よりも逞しいのかもしれない。
校長室に通された私を迎えに来てくれたのは、三十歳くらいの元気な女性の先生だった。
「六年生担任の伴祐子です。よろしくね」
明るくはつらつとした印象で、どことなく私が知っている人に似ているような気がした。ただ、その誰かが出てこない。
「篠田茜です。よろしくお願いします」
私は会釈をした。この本来の苗字ではない“篠田”という姓は児童養護施設の施設長の苗字で、学校ではこの苗字を名乗るように言われていた。いつもとは違う苗字を名乗るのは何とも変な感じだ。
「伴先生はね、若いけど元気な六年生をまとめている凄腕の先生よ。安心して、わからないことがあったら何でも言ってね」
校長先生は柔らかく、私の背中を押すように言ってくれた。
祐子先生に案内された六年生の教室はとても賑やかそうだった。廊下を歩いていても、子ども達の話声が聞こえてくる。この時代の六年生はとても元気だそうだが、私の世界の六年生は比較的落ち着いているので少し不安だった。祐子先生とともに教室に入ると、一瞬で話声が止んだ。
「今日は転校生を紹介します。篠田茜さんです。みんな仲良くしてね」
先生は、私の名前を黒板に書いた。
「篠田茜です。家の事情で、この深山町に引っこしてきました。よろしくお願いします」
緊張したが、思ったよりも上手く自己紹介できた。廊下側一番前の席にはナツキがいた。ぱっと教室中を見渡すと、窓側の席の一番後ろにいる三人の男子児童が私を見ながら、ヒソヒソと何か言っているのに気がついた。すごく嫌な感じだ。
一時間目が終わると、私の机にナツキがすっ飛んできた。
「茜ちゃん、今日から同じクラスだね。あとで学校内を案内するよ」
「ありがとう」
とりあえず礼は言ったものの、数十年後の未来に私もこの学校に在学していて、校内はほぼ熟知している。ちょっと複雑な気持ちだった。
「ナツキ~、お前さっそく転入生をナンパしてるのかよ」
私とナツキが話していると、急に男子三人組が割り込んできた。私が自己紹介をしていたとき、何かヒソヒソ話をしていた奴らだ。この三人が来た瞬間、ナツキの顔がこわばるのが分かった。ナツキは何かを言い返すわけでもなく、ただうつむいていた。
「お前日ごろどんくさくて冴えねえのに、女子が転入したら急に鼻の下伸ばすしてやんの。エロ! エロ!」
奴らはその場で手を叩いてはしゃぎだした。すぐに他人を巻き込んで嫌がらせをする最低の奴らだ。一人は太め、一人はチビ、一人は頭の弱そうな短パン小僧、まるでズッコケ三人組のようだ。
「いいかげんにしなよ! そういうの良くないから」
私はナツキをかばって、堂々と奴らの前に立ちはだかった。正義感の塊のような私にとって、こういうときに怖気づくという選択肢はない。
「うるせーよ、お前女のくせに生意気だぞ」
真ん中にいる短パン小僧が私の肩を突き飛ばした。「女のくせに」なんていう男子は初めてだ。この時代の女子はそこまで大人しいものなのだろうか。そっちがその気なら、やってやろうじゃないかと私は覚悟を決めた。
「先に手出したのはそっちだからね!」
私が戦闘モードに入り、身構えた瞬間チャイムがなった。「ほら席に着きなさい」と、ほぼチャイムと同時に祐子先生が教室に入り、戦闘は中断された。それからは何事もなく一日を過ごしたが、私の威勢のよさに驚いたのか、例の三人組はそれから絡んでくることはなかった。
「茜ちゃん、一緒に帰ろう」
学校帰りに話しかけてきたのは、ナツキではなく吉田瑞穂という同じ地区の女子だった。
「学校慣れた?」
「まあ、少しね」
吉田さんは、みんなのまとめ役で学級委員のような立場だ。話しかけてくれるだけで、どこか安心する。私は朝トラブルになりかけた例の三人組について相談した。
「吉田さん、私、休み時間に男子三人組と喧嘩になりそうになっちゃって。みんなと上手くやっていけるか不安だよ」
「さっそくあいつらに絡まれちゃったんだ。探偵団の三人には関わらないほうが良いよ」
「探偵団?」
「そう。西野智久、村内雅也、水島大基の三人。あいつら自分たちで深山少年探偵団を名乗ってるの。身近に起きた事件を解決するとか言って、人んちの庭とかにも勝手に入ってくるから、近所でも評判悪いんだよね。性格も悪くって、さっきみたいにナツキくんに意地悪もするし、目をつけられたら何かと大変だから、みんな距離を置いてるんだよ」
なるほど。「探偵団」「トモ君」という言葉から、あの晩にナツキを木に縛り付けた犯人はあいつらだということが分かった。
「そういえば、ナツキくんは?」
「ホームルーム終わったら、すぐに出ていったけれど」
朝も迎えに来てくれたり、学校内を案内してくれたりで、いつも私にくっついているナツキが、何も言わずに帰るのは少し変だ。なんか嫌な予感がした。
「ねえ吉田さん、例の探偵団ってさ、いつもどこにいるの?」
「あいつら学校の裏山に秘密基地を作ってて、夕方はそこにいるよ。裏山はみんなの遊び場なのに、あいつらが牛耳っていて困ってるんだよね」
「吉田さん、ごめん、今日先に帰ってて」
「あ、茜ちゃん……」
吉田さんの言葉を聞いて、私は一目散に裏山に走り出した。
(どうか何事もありませんように)
ナツキの無事を祈るばかりだった。
私は以前ナツキを保護した裏山の中腹までやってきた。吉田さんの話によると、この付近にやつらの秘密基地があるようだ。よく見ると地面の葉っぱが所々なくなっていて、何人かの足跡が付いている。人がここを通ったのは間違いなさそうだ。
「うわああああっ……」
「はははっ」
子どもの声がする。私が声の方向にいくと、衝撃的な光景がそこにあった。落とし穴に落ちて必死でもがくナツキと、それを上から見下ろして笑う探偵団の三人組がいたのだ。
「ちょっとあんたたち!」
「よかったな、ナツキ。ちょうど助けが来て。きゃはははは……」
探偵団の三人は私を一瞥すると、笑いながら山を下って行った。あの人を馬鹿にするような態度、私ははらわたが煮えくり返りそうだった。ナツキが落ちた落とし穴の底には、葉っぱが埋め尽くされていてクッション材にはなっているようだが、穴は二m以上あり、結構深い。いくら小柄なナツキでも、引き上げるのはやっとだった。
ナツキを救出し、私はことの経緯を聞き出すことにした。
「僕、深山少年探偵団に入りたかったんだ。そしたらトモ君たちが、探偵になるためにはテストがあるって」
「そのテストって?」
「最初は恐怖を克服するために、裏山で一晩過ごせたらいいって」
あの晩、ナツキが一人で木に縛り付けられていた理由がわかった。
「あのさナツキくん、それってあいつらに遊ばれてるだけじゃない? 子ども一人で山に一晩なんてありえないし、風邪ひいたり、大怪我したりするかもしれないじゃん。前も言ったけど、それはただのいじめだよ」
私がたしなめると、ナツキは半分泣きそうになりながら続けた。
「それから、今日もテストをするって。放課後、ここに呼び出されたんだ」
「それで落とし穴に落とされた。と」
私の言葉に、ナツキは頷いた。
「何が探偵よ! ただ人をからかって楽しんでるだけじゃん!」
私は立ち上がって闘志の炎をメラメラと燃やした。
「あ、でもね、トモ君は一応事件を解決したことがあったんだよ」
私と正反対にナツキは冷静だった。どうやらあいつらにも武勇伝があるらしい。
「事件を解決?」
「そう。この前、家庭科の時間に僕ら六年生が大福を作ったんだけど、職員室に差し入れた大福が先生たち以外の誰かに食べられたんだ。その犯人をトモ君が当てたんだよ。僕、しびれちゃった」
「どうせ、犯人の口の周りに白い粉がついてたとか、そんなんでしょ?」
「ううん。職員室掃除の五年生に聞いたところ、一人だけ大福の中身がイチゴだって知ってた子がいたんだよ。その子が犯人だったんだ」
「でも、みんなでイチゴ大福作ったんなら、イチゴを材料にしたことくらい、下学年の子でも知ってるんじゃないの? 兄弟がいる子もいるだろうし」
「それがね、大福の中身はいろいろで、他にも栗やブドウもあったんだ。だから、食べられた大福の中身がイチゴだって知っているのは犯人しかいないって、トモ君の推理」
ナツキがトモ君と呼ぶ西野智久は、あの三人の中で一番口が悪く、私につっかかってきた男子だ。あんな頭の悪そうな顔をしているのに、些細な言動から犯人を当てたのは意外だった。
「で、その名推理に惚れて、あいつらの仲間になりたいと」
私がここまで言うと、ナツキは静かに頷いた。きっと事件解決によってヒーローのように持ち上げられた西野は調子に乗っているんだろう。ここらで痛い目に遭わせとく必要がありそうだ。
「ナツキ君、やられっぱなしじゃだめ。仕返しするよ」
「ええっ……でも……」
「ナツキ君は、やられっぱなしでも平気なの? いいようにからかわれて、遊ばれてるんだよ。ちゃんと奴らに対抗できないと、探偵なんて一生なれないから!」
私はつい感情的になってしまった。(また泣き出すかな……)とも思ったが、意外にも涙をこらえ、ナツキは「わかったよ」と言った。
翌日から私はナツキの仕返しのために奴らを観察した。三人組の中で一番背が低い水島大基は小動物のような見た目で、意外にも女子人気があることがわかった。令和でいう男子の姫ポジションというものだ。勉強は普通、運動も普通。ただ大きな欠点があった。
「きゃああ!」
環境週間の除草作業中に、クラスの女子が悲鳴を上げた。私を含め、クラスの数人がかけつけると、枯葉の中から干からびたアオダイショウが出てきた。秋も深まると朝晩は結構冷えるため、冬眠のタイミングを逃して凍死してしまったのだろう。
「とりあえず、その辺の土に埋めとこうぜ」
ヘビが平気な男子たちは木の棒で死骸をひょいと持ち上げて土に埋めた。みんなが集まって騒ぐ中、“ヘビ”という言葉を聞いて、その場から一目散に逃げ出した子どもがいた。水島だ。六年生の集団から離れ、しばらく目を伏せているのが遠くからでも確認できた。
(水島大基はヘビが嫌い)私は脳内にインプットした。
次に三人の中で一番体格が良い村内雅也。体重はおそらく七十㎏は超えているだろう。クラスの力持ちキャラで、除草作業や道具の運搬作業でも率先して働くから先生たちの頼りにされている。しかし……
「よーい、スタート!」
体育の時間、祐子先生が笛を吹き、ハードル走がはじまった。よく昔の子どもの方が、体力があったなんて聞くけれど、それは本当のようだ。みんななかなかの速さだった。
「はあ、はあ、ぜえ……ぜえ……みんな待ってくれよ……」
「おーい! マサヤがんばれよ」
みんなの声援を受け、グループの一番後ろから、やっとのことでゴールする村内。ハードルも上手く飛び越えられず、多くを倒してしまっている。そう、村内は体育が苦手なのだ。特に持久力や素早さを求められる競技が苦手らしい。
(村内雅也は体育が苦手)私は脳内情報を更に更新できた。
さて、最後は三人組のリーダー格である西野智久だ。この時代の男子の多くは、丈の短い半ズボンを履いているが、その代表格のような存在が短パン小僧こと西野智久だった。一分丈の短い半ズボンで平然と日常生活を送っている。十月も終盤で肌寒くなり、上半身はトレーナーでも下半身は半ズボンなのだ。令和の男子は太腿を見せるようなズボンを履くことがないため最初は驚いた。しかし慣れとは不思議なもので、男子の短い半ズボンも、この数日間ですっかり当たり前になってしまった。
西野はとにかく活発な男子だ。ナツキの話と相反して意外にも成績は普通。しかし、運動神経が抜群に良い。
「ヘイ、パス! あとは俺にまかせろ!」
昼休みには西野の元気な声が校庭に響いていた。特にサッカーが得意なようで、昼休みに友達とサッカーをしている姿は悔しいけど、少しカッコいいのだ。
「あいつに苦手なものなんかあるのかな?」
二階の教室から運動場を眺めながら私はつぶやいた。西野をぎゃふんと言わせる手立てが、これといって見つからない。私はふと西野の机に目をやった。引き出しの中から雑誌の切れ端のようなものがはみ出ているのが分かった。教科書や参考書ではない。
「あっ……」
ソレを見て私は思わず口を塞いでしまった。それは過激な写真が満載の青年誌(要はエロ本)だった。西野は青年誌を持ち込んで授業の合間にこっそり見ているのだ。
「あいつ、ナツキくんを散々エロとか言っておいて、完全にブーメランだわ」
私は呆れてしまった。でも大きな収穫だ。
(西野智久はエロガキ)私の少年探偵団討伐作戦はあと少しで完了だ。
放課後、私は貝原商店という店の裏にある廃品回収場所へ向かった。ここは私の時代にも存在していて、廃品だけではなく、まだ使える小物や雑誌などもある。廃材置き場という名のお宝の山なのだ。
「茜ちゃん、何してるの?」
廃品の中からお宝を集めている私をナツキが不思議そうに見ていた。
「ナツキ君、準備完了だよ。明日やつらに復讐しよう!」
「はあ?」