金峰山の包帯男
私が裏山に着くころ、もう日は暮れかかっていた。裏山の正式な名前は「深山金峰山」という。名前の由来は秋になると紅葉が綺麗で、山が金色に輝くことからきているらしい。兄が言ったように、この山はすごくなだらかだ。山全体が木で覆われているが、そこまで深い森ではなく、十分に日の光も感じ取れる。子ども達には良い遊び場になるだろう。ただ不思議とこの山に立ち入った記憶があまりない。
深山小学校の裏から金峰山に続く道がある。私がそこに入ろうとした時、誰かにつけられているような気配がした。さっと振り返るが誰もいない。気のせいだろうと、自分を納得させながら私は歩みを進めた。山に登り始めると、あっという間に日は落ちて、満月が光を帯びた。
「綺麗……」
私は思わずつぶやいた。森の木々が満月に照らされて輝いていた。懐中電灯もいらないくらいに明るい。特に大童の楠がある頂上付近は、星屑が降っているように光の粒が瞬いていた。何かの自然現象だろうか。
私はひたすらに歩みを進めて、標高三百メートルほどの山を登り切った。頂上には大童の楠が大きな羽を広げて、どっしりとたたずんでいる。
「見た感じ、ただの大きな楠だけど」
私は木の幹に触れてみたが、大木の温かみを感じるだけで特に変わった様子はなかった。そして足場を確かめながら、木の根っこでボコボコした根元をぐるりと回ってみた。
「ん?」
木の根元にはいくらか葉っぱが散っていたが、一か所だけ葉っぱがない部分があった。そこに手を入れてみたが、真っ暗で底が分からない。夜なのでぱっと見た感じでは分かりにくいが、そこには四方一メートルほどの穴があった。
「何これ?」
私が穴を覗き込んだその時だった。背後からすごい勢いで何かが飛んでくるのが分かった。
ガッ……!
私はとっさにかわしたものの、真横には大きな斧が刺さっていた。振り返ると、身体を黒いマントで包み、グルグル巻きの包帯で顔を隠した不気味な男がそこに立っていた。
「きゃっ……!」
私は大声を上げたかったが、恐怖で上手く声が出ない。例え叫ぶことができたとしても、ここは森の中だ。誰かが助けてくれる可能性はほとんどなかった。
「助けて……助けて……」
立ち上がって反撃したい気持ちはあったが、腰が抜けて上手く立てない。私は必死で這って逃げるしかなかった。包帯男はうめき声を上げながら、その場から離れようとする私の足を握り、木の幹にたたきつけた。強い衝撃が全身に走る。「くっ……」私が体勢を立て直すと、目の前で包帯男が斧を振り上げていた。絶体絶命だ。
「あれっ……」
ふと、私は身体のバランスを崩し、後ろに倒れた。いや、倒れたというより、木の根元に開いた大きな穴に吸い込まれたのだ。私を捕えようと手を伸ばす包帯男を穴の内側で見ながら、私はゆっくりと暗い穴の奥へ落ちていった。
それからどれ程時間が経っただろうか、気が付くと私は大童の楠の根元に倒れていた。木に叩きつけられたときに打った背中がわずかに痛む。私は立ち上がると全身泥だらけだった。若干の擦り傷はあるものの、怪我という怪我はないようだ。
「えっ……私どうなったの? 包帯男は?」
あたりを伺ったが、包帯男らしき人物の気配はない。さっきまで光り輝いていた満月は薄い雲に隠れており、夜の闇は濃くなっていた。秋の肌寒い夜風が身に染みた。
「早く帰らなきゃ。お母さんに心配かけちゃう」
私は下山を試みた。何が起きたのか分からなかったが、「きっと根元の穴に落ちたんだろう。あの男はその間に逃げてしまったんだろう。」ことの顛末を、私は心の中でそう解釈していた。包帯男に襲われたなんて、警察や周りの大人たちに信じてもらえるだろうか。私は未だに残る恐怖と不安で震えながらも山を下りて行った。
「うわあああ! 怖いよー」
四合目くらいまで下りたころ、何処からともなく人の叫ぶような声が聞こえた。さっきの包帯男だろうか? でも、何かが違う。助けを求める様子で、どうやら声の主は子どものようだ。
その声のする方へ歩いていくと、眼鏡をかけた十歳くらいの少年が木に括りつけられていた。
「大丈夫、君!」
「うえええん、早くほどいて……」
少年は泣きながらも、私を見て安堵したようだった。こんなところに子どもが縛り付けられているなんて考えられない。この子も包帯男に襲われたのだろうか。私はすぐに少年の縄をほどいた。
「うっ……うっ……ありがと……」
少年はべそをかきながらも、律儀に礼を言った。
「君、名前は?」
「ナツキ……」
私が尋ねると少年はそう答えた。どこかで聞いたことのある名前だなと思った。
「なんでこんなところに縛られているの?」
涙を拭い、呼吸を整えると少年は話し始めた。
「僕、深山少年探偵団に入りたくて、トモくんたちに会いに行ったんだ。そしたら、この森で一晩過ごしたら仲間にしてやってもいいぞって」
「じゃあ、そいつらに縛られたってこと?」
私が尋ねると、少年は頷いた。
「はあ? こんなところに縛り付けるなんて、そんなのいじめじゃん! 許せない!」
私は自分のことのように腹を立てた。こんな性格なので、今までいろいろな人とぶつかってきた。だから私は別名“深山小の野獣”だなんて言われている。
「私が協力する! だからナツキくん、ちゃんと奴らに仕返しするんだよ」
私が少年の肩に手を置いて息巻くと、彼はきょとんと私を見つめた。
それから家が近所だという少年を送り届けるため、二人で山を下ることになった。さすがに学校付近まで来ると、家の灯りがあってほっとする。しかし、学校に出たくらいからの町並みに私は違和感を覚えた。あるはずの建物がなかったり、逆に空き地だったところに家があったりした。夜ということもあって、はっきりとは分からなかったが、いつもとは何か違う。それに、他にも私は気になっていることがあった。うちの学校は一学年一クラスで、全校児童が八十人くらいしかいない。数が少ない上に小学校四年以上であれば、委員会やクラブなどで必ず同学年や下学年の子と関わるはずなのだが、ナツキなんて名前の子は知らないのだ。もしかしたら最近転入した子なのだろうか。もしくは他の学校の子なのかもしれない。家までの帰路で私はいろいろと尋ねてみることにした。
「ナツキ君は何年生なの? どこの学校?」
「深山小の六年生だよ」
その答えに私は衝撃を受けた。まさかのうちの学校。うちのクラス。私は混乱した。
(えっ、私も深山小の六年生なんだけど……)
同じ学校、同じクラスなら私が彼のことを知らないはずはない。しかし少年宅に着いたとき、その疑問や違和感の正体が明らかになるのだった。
その少年を送り届けた先は私の家だった。
「ねえ、ここって……?」
「僕の家だけど……」
私は上手く言葉がでなかった。少年が自分の家だという家は私の家なのだ。でも、私が知っている自宅とは違う。現代風の住宅ではなく、一世代前のような木造の古い民家なのだ。そう、わずかに記憶がある。今住んでいる家は私が幼稚園の頃に建て替えた家。つまり目の前にあるのは、建て替える以前の家。……ということは、ここは過去の時代? じゃあ、今目の前にいる子は?
「ナツキ君、今って何年の何月? 」
「一九八九年の十月だけど。変なの、当たり前じゃん」
私の考えは当たっていた。包帯男に襲われて、木の穴に落ちた私は三十四年前の世界にタイムスリップしていた。そしてナツキのフルネームは旅草夏樹。つまり私の父親なのだ。
「こんなの夢だ。ありえない! 」
私は急いで来た道を引き返した。大童の楠からこの世界に来たのだとしたら、またあそこに行けば元の時代に帰れるかもしれない。走りながら私は自分の頬をつねった。「痛い……」今私が見ている世界は夢ではなく現実のようだ。
再び裏山を登り、大童の楠にたどり着いた。急いであの穴を探したが、根元にはたくさんの葉っぱが詰まっているだけで、穴らしいものは何もない。何度も木の周りをまわって、確かめたけれど、やはり人が入れそうな穴はどこにもなかった。
「どうしよう……あたし、帰れなくなっちゃった」
大粒の涙がぼろぼろとこぼれ落ちた。どうしようもない不安と恐怖で心が押しつぶされそうだった。
「いったいどうしたの? 急に……」
追ってきたナツキにすがりつき、私はしばらく彼の胸で泣いた。私の事情なんて知るはずもないのに、ナツキは何も言わず、私が落ち着くまで離れないでいてくれるのだった。