訃報
「では、修学旅行の出発前に慰霊祭についてですが……」
伴先生は修学旅行の説明を一通り終えると、声のトーンを少し下げて言った。
「樹里、慰霊祭って何なの?」
私は左隣に座っている親友の片野樹里に小声で聞いた。
「茜、知らないの? この慰霊祭っていうのは……」
樹里は説明をしようとしたが、一瞬先生と目が合ったようで、「やばっ」と顔を伏せた。伴先生は特に注意する様子もなく、すべてを察したように説明してくれた。
「知らない人もいるようなので説明しますね。今から三十四年前の一九八九年十一月十四日、修学旅行中のことです。この深山小学校六年生を乗せたバスが事故に遭いました。この事故で児童十九名と二名の引率教師の計二十一人が亡くなりました。今を生きる私たちはその惨劇を忘れてはならないという意味で、毎年修学旅行の出発前に慰霊祭を行っています」
教室の中はややざわついた。過去にそんな事故があったなんて私を含め、ほとんどの児童が知らなかったのだろう。知っていたのは、隣に座っている情報通として有名な樹里くらいではないだろうか。
「俺、その事故、ばあちゃんから聞いたことあったな。ずいぶん酷い事故だったらしいけど、確か一人だけ生き残った子がいたんだよ」
一つ前に座っている砥部陸翔が口を開いた。
「え、そうなの? たった一人だけ?」
「ああ。確か名前は……」
陸翔が言いかけたとき、伴先生が手を叩いた。
「はい静かに。あと十日ほどで修学旅行です。直前に病気や怪我などがないように、各自体調管理をしっかり行ってください。以上です」
そうしてその日は下校となった。ランドセルを背負い、教室を出るとすぐに樹里が飛んできた。
「茜~、今日マックに寄って行かない? 塾の宿題教えてよ」
樹里は派手な格好とは裏腹に、すごく真面目な子だ。おしゃべりで調子は良いが嫌みがない。女子とは見た目だけで、中身が男児な私とも上手くやっているのだから、かなり良くできた子だろう。
「いいね、行こう。私も聞きたいことあるし」
そう答えたとき、スマホに着信があった。母親からだ。
「あ、お母さん、どうしたの?」
「茜、すぐに帰ってきて。お父さんが……」
癌で闘病していた父の容体が急変したという知らせだった。私は急いで帰宅し、母に連れられ病院に向かったが、父はもう息を引き取った後だった。
それからお通夜に葬儀にと、あまりに慌ただしくて記憶がない。父は私たち家族を大切にしていたし、私にとっても大好きな「お父さん」だったが、その死を受け止める余裕もなく、ただ日にちだけが過ぎていった。初七日が終わり、母の計らいで明後日から始まる修学旅行へ行けることにはなったが、心身共に疲れ果てていた私はいまいち乗り気になれなかった。でも、修学旅行まで休んだら、樹里やほかの友達にますます心配をかけてしまう。複雑な心境だった。
父の遺品を兄と一緒に整理していた時、一枚の写真を見つけた。クラスの集合写真のようで日付は一九八九年四月とあり、写真の裏に「深山小六年 旅草夏樹」と父の名前が書いてあった。私はこの日付を見て、先生が話していたあの事故のことが頭をよぎった。
「あの事故のあった年だ。何でお父さんが……?」
私がそうつぶやくと、一緒にいた兄が言った。
「茜、お前知らなかったのか? あのバス事故の唯一の生存者が親父だってこと」
私は鈍器で頭を殴られたかのような衝撃が走った。旅草家は祖父の代からの家で、父も兄も私が今通う深山小学校の卒業生だった。ずっとこの町に住んでいるが、例のバス事故のことは父からも母からも、周りの大人たちからは何一つ聞いたことがなかった。もちろん、その生存者が父親だということも。
「知らないよそんなこと。お父さんからもお母さんからも聞いたことなんかないし。むしろなんでお兄ちゃんは知ってるの?」
「うん、まあそうだよな。親父が俺に話してくれたのも三か月前だし、茜は知らなくて当たり前かもな」
私の兄、旅草充は二十歳の大学生だが、彼が小学生だったときも、このことは伏せられていたらしい。父が兄に事故の生存者である事実を打ち明けたのは、父が病床についてからのことだった。
「親父と病室で二人きりになった時にさ、急に言われたんだ。『お前は後悔していることはないか』って。いつも落ち着いてて冷静な親父が、その写真を持って妙に寂しそうにするから、いろいろ聞いちゃってな」
「どんな事故だったのか、どうして自分だけ助かったのか、お父さんはお兄ちゃんに詳しく話したの?」
「ああ。運転手の居眠りで、バスがカーブを曲がれずに海に転落したらしい。窓側の席で、半分開いていた窓から親父は奇跡的にバスの外に出られたらしいんだ。それで、たまたま通りかかった船に救助されたって。だが他の友達や先生はそのままバスの中で……」
兄の口から語られる衝撃的な事実に、私はなんと返したらいいのか、しばらく言葉が出なかった。
「でも、なんでお父さん、ずっとこのことを黙っていたんだろう?」
「言えなかったんじゃないか。トラウマってやつさ。打ち明けて俺たちに変に気を遣われても困るしさ。それに、この深山町は小さな町だ。その当時亡くなった子どもの親御さんもまだ健在だろう。そんな地域のお年寄りの目を気にしながら、俺たちが生きていくのを避けたかったんだと思う。俺達にはのびのびと生きてほしいって、親父思ってたみたいだし」
自分一人が生き残ってしまった。父が抱いていた悲しみとその喪失感はどれほどのものだったのだろう。
「六年生が一人になってしまって、転校することもできたけど、親父は深山小で卒業することを選んだらしい。亡くなった同級生を偲んでこの深山町で生きていく。それが自分に与えられた役割なんだと」
兄の言葉には、まるで自分自身が父であるかのように力がこもっていた。
「お父さん、辛かっただろうな……」
私は写真を封に入れ、父が生前大切にしていた箱にしまった。中学、高校、職場での思い出の写真、入院中もらった励ましの手紙や千羽鶴があふれる箱の中に、青い便箋が一枚入っているのに私は気が付いた。ほかの手紙や日記とも違う、特別な感じがした。
「なんだろうこれ? 何か書いてあるけれど」
いつ頃に書かれたものなのか、そんなに長い文ではなかったが、確かに父の直筆だった。所々インクがにじんでしまって上手く読めない。
––––大童の楠 みんなで遊んだあの楠には秘密がある。それは満月の夜になると……へ続く扉が––––
大童の楠とは、私たちの深山小学校の裏山の頂上にある木だった。多くがクヌギやイチョウなど落葉樹の森の中にそびえたつ大きな常緑樹なので、とても目立つ。その楠がどうしたというのだろうか。しかも「満月の夜」「……へ続く扉」と意味深な言葉が並んでいる。
「裏山って、紅葉が綺麗なところだよね。低学年の頃は生活科の勉強でよく行っていたけれど、最近は行かないな」
父が子どもの頃、この裏山で遊んだという話は聞いたことがあった。この「みんなで遊んだ」というのはそういう意味なのだろう。兄は「裏山」と聞いて懐かしそうな表情を浮かべた。
「あの山はなだらかで遊ぶにはもってこいだから、俺たち男子はよく遊んでいたよ。ちょっとした怪談話があって、今ではあまり人が行かなくなったけどな」
「怪談って、トイレの花子さんみたいな?」
「お前知らないの? ”裏山の包帯男”の話」
「何それ? そんな話、誰も知らないよ」
私が否定すると、兄は首を傾げた。
「そうか。俺たちの頃はちょっと話題になったんだけどな。まあ、ただの都市伝説なんだろう」
「それはそうと、これは大童の楠に秘密があるってことだよね。満月の夜になると、大童の楠に何かの扉が開くってこと?」
「まあ、そのまま読み解けばそうなるな。お前もしかしてあの楠に行くつもりか? やめとけよ。十月の山は寒いし、下手したら包帯男の餌食だぞ」
兄は私を茶化すように言った。包帯男なんて都市伝説にすぎないのに。
「確か今日は満月だったっけ?」
「おいおい、お前まさか本気で……」
「あ、そうそう。お母さんに直ぐ帰るから心配しないでって言っておいてね」
私は兄の心配そうな顔をよそに、身ひとつで飛び出した。私は好奇心の塊で、純粋にこの文章の真実が知りたかった。でもそれ以上に、何か見えない力に押されるように「そこに行かなければならない」という気がしていた。