婚約破棄されそうになったけど、王子様が聞く耳を持ってて良かった
「アクア=クレージョ! 只今をもって君との婚約は破棄する!」
白亜の王宮。そのホールのパーティー会場に、この国の王太子、ランド王子の声が響き渡る。
「ええっ?」
信じられないといった風情で立ちすくむのは、深い青色の髪を持つ少女。ランド王子の婚約者である、アクア=クレージョ公爵令嬢。
「理由をお聞きしても?」
「自分の胸に聞いてみろ!」
はて? アクアは胸に手を当てて考えるものの、見当がつかずに首をかしげる。
「まだ分からぬのか? それは、君が貧乳だからだ!」
がぼーん!
「まさか、理由が胸だとは」
「おーっほっほっ、残念でしたわね!」
高笑いをしながら現れたのは、鮮やかな赤髪の美少女、フレイヤ=シリーガル男爵令嬢。
がばっと胸元と背中が空いた扇情的なドレスをまとい、いかにも泥棒猫と言わんばかりの笑みを浮かべ、こぼれ落ちんばかりの巨乳を誇らしげに揺らす。
「僕は真実の愛を見つけたのだ。悪く思うな」
金色の髪をかきあげながら、ランド王子はフレイヤを側に抱き寄せた。
フレイヤは、良く言えば清楚、悪く言えば地味な容姿のアクアを見下す。
「そうですわ。アクア様のような『ちんちくりん』では、王太子妃に相応しくないということですわ」
「まあ、フレイヤさん? いくらお好きだからといって、淑女が『おちん◯ん』とか言っちゃダメですよ」
「そんな事は言ってませんわ!?」
慌てるフレイヤに、唇に指を当ててシーッと言うアクア。
パーティーの参加者たちからヒソヒソと、フレイヤ嬢はアレが好きらしいぞという悪評が上がった。
あらぬ風評被害を受けたとばかりに、フレイヤはよよよ……とランド王子にしなだれかかる。
「王子様ーっ! アクア様はいつもこのように、わたくしを虐めるのですわ!」
「見損なったぞ、アクア! かわいそうに、フレイヤが震えているじゃないか」
「あ、スタッフの方? エアコンが効き過ぎてるみたいなので、温度を上げてもらえませんか」
「寒くて震えてるんじゃないですわ!」
思わず声を荒げてしまったフレイヤはハッと我に返り、再びしおしおと王子に泣きつく。
「ついこの間なんて、わたくしはアクア様に階段から突き落とされたのですわ!」
「なにっ!? それは本当か!?」
婚約破棄では定番の決まり手、階段からの『突き落とし』。
対するアクア嬢は、ひょいっと手を上げ。
「あ、それは事実です」
「なにっ!? 本当だったのか!?」
「ですが、それには深い理由がございまして」
「ふむ、申してみよ」
「え? 理由を聞くの?」
フレイヤは怪訝な顔で王子を見る。
通常の婚約破棄の流れでは、ここで『言い訳をするな、この痴れ者め!』と一蹴のはずなのに。
「実は、ちょうど私が階段ですれ違った時に、フレイヤさんの背中に蚊が止まったのです。しかも素肌が露出したドレスを着ていらしたので、私はとっさに彼女の背中を叩いたのですが、フレイヤさんはそのまま階段から転げ落ちてしまわれたのです」
「そうか、背中に蚊がいたのなら仕方ない」
「えっ!?」
慌てるフレイヤとは対照的に、アクアは沈痛な面持ちで。
「フレイヤさんの玉のお肌に傷が付いてはと思ったのですが、まさか蒲田行進曲のようにおなりになるなんて……」
「おかげで、全身傷だらけになりましたけど!?」
「ただ、一言言わせてもらえば、あの程度でバランスを崩すとは体幹が弱すぎです。正しい姿勢が出来ていない証拠。たとえ金属バットで殴られようと身体の軸がブレない事が王太子妃の資質の一つと存じますが」
「階段から落とされた上に、さらなるディスり!?」
アクアは王子に向かって、恭しくカーテシーを執る。
「うむ、確かに王太子妃となる者は歩く時もしかり、ダンスもしかり、正しい姿勢と体幹が求められるであろうな」
「それで、説得されちゃうの!?」
「君は君なりにフレイヤの事を案じてくれていたのだな。分かった、今回の事は不問といたそう」
「ありがとうございます」
「いや、おかしくない?」
ならばと、フレイヤはあざとい涙目の上目遣いで、切々と訴える。
「王子様、それだけではありませんわ! わたくしはアクア様に、大切なドレス100着をビリビリに破り捨てられたのですわ!」
「なんだとっ!? それが事実ならば、到底許される事ではないぞ?」
しかし、アクアは悪びれもせずに。
「ドレスを破ったのは事実ですが、捨ててはいません。ここにあります」
どどん! とそこには山のように積み上げられた、ビリビリに破られたドレス100着。
「ですが、これも深い事情がございまして」
「そうなのか? 申してみよ」
「えっ、また聞くの?」
「フレイヤさんがお持ちのドレスはどれもエロ……いえ、胸と背中が大きく空いたものばかり。ですが、先日蚊に刺されそうになられていたので、私がこっそり仕立て直して差しあげようと思ったのです。しかし、99着目をビリビリにしてしまったところで私は気付きました。『私に裁縫の才能は無かった』」
「もっと早くに気付きなさいよ! じゃあ、なぜ100着目もビリビリにしたのよ!?」
「ワンチャンあるかなと」
「あるわけないでしょ! 99着も破いといて?」
面目無いです、と神妙な面持ちのアクア嬢にランド王子は。
「なるほど、フレイヤの健康を慮っての行動だったのか。ならば仕方がないな」
「ちょっ、王子様!?」
「蚊はマラリアを始めとする病原菌の媒介、マラリア・キャリー。アクアはそれからフレイヤを守ろうとしてくれていたのだ。ならば、これ以上罪を問えまい」
「どんだけ誇大解釈?」
「よし! 言い分は分かった。この事についても不問といたそう」
「ありがとうございます。あ、破いたドレス100着はちゃんと弁償しますよ。公爵令嬢なのでお金はたくさんあります」
アクアは薄い胸を反らしてドンと叩く。
「ちっ!」
金銭面でもマウントを取られたフレイヤは、次の一手とばかりに王子の腕を取り、自らの豊満な胸にむにゅんと押し付ける。
「まだまだネタはありますわよ! この前、アクア様はわたくしが愛用している『ガラスの靴』に、あろうことか画ビョウを入れられたのです。まさに鬼畜の所業、下衆の極み。わたくしは足の裏がズタズタになったのですわ!」
ガラスの靴なら中身が見えるのに、なぜ履く? と、会場にいた者たちはザワザワするが、王子の不興を買うわけにはいかないので、反論する者はいない。
「はっはっは。いくらアクアでも、そんな小学生のいたずらみたいなマネをするはずが……」
アクアは、ひょいっと気軽に手を上げる。
「あ、それも確かにやってます」
「なにいっ!?」
「ですが、それにも深い理由がありまして」
「聞かせてもらおう」
「フレイヤさんは『胸が大きいと、重たくて肩が凝りますわー』と常々言ってましたので、私は肩こりに効く足のツボを押して差し上げようと、画ビョウを配置した次第でございます」
恭しくカーテシーを執るアクア。
「何で画ビョウなの!? もっとマシな物は無かったの?」
「いえ。フレイヤさんは面の皮が厚いので、足の皮も厚いと思ったのですが、面の皮ほどぶ厚くなかったみたいですね。申し訳ありません」
「本当に申し訳なく思ってる?」
画ビョウくらいがちょうど良いと思ったのですが……と、見込みの甘さを反省するアクアに王子は。
「なるほど、理には適っている」
「何が!?」
「ともあれ、アクアがフレイヤを害するのではなく、彼女の胸の事を気遣ってくれていた事が良く分かった。この件についても不問としよう」
「ありがとうございます」
「どういうことなの!?」
かくなる上は! と、フレイヤは王子の頭を抱え込み、むぎゅむぎゅーと胸に埋め込む。
柔らかさに顔面を包まれて、蕩けそうな表情を浮かべるランド王子。しかし、それもつかの間、ハッと真剣な顔に戻る。
「フレイヤ、僕があげたネックレスはどうした?」
いつもフレイヤ嬢の胸元を彩る、赤い宝石のペンダント。それは、フレイヤの鮮やかな髪色にあわせて王子が誂えたもの。
しかし、なぜか今日の晴れの舞台に、その姿が見当たらない。
「それが……、王子様からいただいたネックレスは、いつも肌身離さず身に付けていたのですが、お手洗いの時に外した際にどこかに失われてしまったのです」
フレイヤはキッとアクアを睨み付け、ビシッと指差す。
「きっと、アクア様がネックレスを盗んだに違いありませんわ!」
ざわざわ……と、フレイヤの告発に周囲がざわめく。
確かに、動機が婚約者の座を奪おうとする令嬢に対する嫌がらせだとすれば、犯人がアクア嬢である可能性は極めて高い。
しかし、アクアはふるふると手と首を振り。
「さすがにそれは私ではありませんよ。腐っても私は公爵令嬢。盗人のような真似はいたしません」
「うん? 腐ってたのか?」
「BLが好きなもので」
「腐女子の方だったか」
「そのくだり、いる?」
間の抜けた掛け合いに、呆れた目を向けるフレイヤ。
「しかし、そうするとネックレスを盗んだ犯人は一体……?」
すると、そこへメイド服を着たメイドが、おずおずと申し訳なさそうに現れる。
その手には、王子がフレイヤに授けた赤い宝石のネックレス。
「あの……、これが女子トイレに置いてありましたが」
「えっ!?」
「トイレの扉の裏側の『荷物フック』にかかってました」
「わたくしが置き忘れただけ!?」
しーん……。
上位貴族に濡れ衣を着せようとした身の程知らずに、パーティーの参加者たちから一斉に冷たい視線が向けられる。
いたたまれずに、顔を背けるフレイヤ。
しかし、アクアは何事も無かったかのように。
「まあまあ、誰にも間違いや忘れ物はありますから。私は、私が犯人で無いことが証明されただけで十分です」
『おお、さすがは公爵令嬢だ』『最上位貴族の懐の広さよ』と周囲から賛辞が上がる。
形勢逆転! パーティー会場に、アクア嬢の追い風がビュンビュン吹きまくる。
「あの、王子様……。私に関する誹謗中傷については、全てご理解いただけたかと思われますが、婚約破棄を破棄していただけませんでしょうか?」
「いや、断る!」
「!?」
「そもそも、僕が婚約破棄をしたのは、君の胸が貧乳だからだ!」
「はっ、そうでした」
「たとえ懐が広かろうと深かろうと、実際の君の胸はAカップだろう! せめてBカップはないとおっぱいとは認めんぞ!」
それを聞いて、アクアがチリリンとベルを鳴らすとどこからともなく執事が現れ、羊皮紙の書状を広げて見せた。
「これは私が『Bカップ』である証明書。スポーツ医学の権威、ジョーブ博士のお墨付きです」
「ええっ!?」
「なんだって!?」
その書状には、多くのメジャーリーガーを故障から復活させてきたフランク=ジョーブ博士のサインと共に、『あなたはまぎれもなくBカップ』と書かれていた。
「こう見えて、私の胸も少しは成長しているのです。これで再び婚約者と認めていただけますね?」
「し、しかし、フレイヤのFカップとは比べるべくも……」
ランド王子はフレイヤ嬢の胸を名残惜しそうに見つめるが、なぜか彼女はダラダラと汗をかき、顔は宇宙戦艦ヤ◯トのデスラー総統のように青ざめている。
アクアは仕方ないですねと、ため息をつく。
「フレイヤさんの胸はニセモノです。スポーツ医学の権威、ジョーブ博士の執刀で『シリコン』を埋め込まれた、偽乳特戦隊の偽乳隊長でございます」
アクアは、恭しくカーテシーを執る。
「えっ……? ち、違う! わたくしが受けた施術は『ヒアルロン酸注射』で……」
「語るに落ちたようですね」
「!」
「真実のBカップとニセモノのFカップ、王子様はどちらを選ばれますか?」
「お、王子様! 今は豊胸手術も発達して、本物のおっぱいとほとんど変わらないのですわ! 見た目も、触り心地も!」
すると、ランド王子はアクアに歩みより、その手を取る。
「アクア、危うく真実の愛を見失うところだったが、君のおかげで取り戻す事ができた。礼を言う」
「王子様……」
そして、王子は憤怒の表情でフレイヤに向き直り。
「よくも僕をニセモノで騙してくれたな! この偽乳野郎!」
「お、王子様!? これには深い理由が……」
「偽乳のくせに言い訳をするな! この痴れ者め!」
「さっきまでと全然違う!」
「◎$♪×△¥●&?#ーーーッッ!!」
「言葉にならないほど怒ってるーっ?!」
「王太子であるこの僕を謀った罪は断じて許すまじ! フレイヤ、君には『極刑』を言い渡す。引っ立てい!」
王子の号令に、衛兵たちがフレイヤの腕を掴み上げる。
「そんな、王子様!? 王子様ーっ!!」
悲痛な叫びを上げながら衛兵に引きずられていく、フレイヤ。
その時!
「ならば、彼女はこの俺がもらおうか!」
『!?』
マントをなびかせてその場に現れた黒髪の青年は、この国の第二王子にして、騎士団長のゲイル王子!
ゲイル王子はつかつかとフレイヤの前に歩み寄ると、彼女のアゴをくいっとする。
「一部始終を見せてもらったが、お前の『ツッコミ』のキレは素晴らしい!」
「えっ!?」
「兄もアクア嬢もそうだが、この国はボケキャラが多すぎる! その中でフレイヤのツッコミは実に得難い黄金の才能だ、このまま失わせるにはあまりに惜しい!」
「ええっ!?」
「そして、俺はドMだからお前のようなサドっ気が強い女が大好きだ! マゾのMはゲイルのMだ!」
「どこにもMが見当たりませんけど!?」
ゲイル王子は、フレイヤをお姫様抱っこにする。
「きゃっ!?」
「兄者! そんな訳でフレイヤは俺がもらっていくぞ!」
「うむ、好きにするが良い」
「そうさせてもらおう! では、行くぞフレイヤ!」
「は……、はい! ゲイル王子様!」
こうして、ゲイル王子とフレイヤは仲良く去っていった。
「フレイヤさんもゲイル王子に見初められて良かったですね」
アクアは聖母のような微笑みを湛えて、2人を見送る。
「そんなことより、パーティーの続きだ。踊ろうか、アクア」
「はい、王子様」
アクア嬢は、ランド王子から差し出された手を取る。
ピアノの演奏が優雅に始まり、パーティーは何事も無かったかのように再開した。
*
それから数年後、ランド王子は先代を継いでこの国の王となる。
おっぱい星人なので一時は政治手腕を不安視されたが、意外にもランド王は家臣の忠言を良く聞き、民の声にも聞く耳を傾けたので、安定した執政を行った。
軍事面では弟であり騎士団長のゲイルが、王の剣として盾として見事に務めを果たし、外交面はその妻のフレイヤがツッコミの才能を生かして諸外国とも互角以上に渡り合っていく。
そして、アクアは王妃としてなんやかんやで賢王を献身的に支え、なんやかんやでその治世は国も民も大いに栄えたという。
おしまい