作者と読者の関係性
今回は特定の作品に対する侮辱要素が含まれています。
異世界転生チートハーレム作品に国王を見下す謁見中の主人公が出ると没入感を損なう。
作者としては邪知暴虐な王に対し、臆しない振る舞いをする主人公が表現しているつもりだ。
しかし、城へ侵攻したならともかく、客人として招かれている立場でありながら礼儀を弁えない人間にしか私は見えない。
数多の兵士を蹴散らした事を王から称賛され、初めて主人公の勇ましさが生まれる。
このように読者は作者の考えを全肯定する存在と限らない。私もそれで悩んだ事があった。
執筆する際は、作中の描写から読者がどのような印象を抱くか予想しながら書いている。
創作は時間のチップを使って読者と競う賭博だ。いつも緊張しながら執筆作業に臨んでいる。
そのため、作者自身が適当に書いた文章を読んだ時は苛立ちを覚えてしまう。
読者の貴重な時間を貰った結果、後悔される事は非常に情けない。
最近読んだ作品に読者をキャバクラ嬢か何かと勘違いしている50代作者のラブコメ作品があった。
所々、作中の描写と想定していた時代背景の乖離があるも内容自体は悪くなかった。
私も途中まで面白いと思っていたが、話の回を重ねる毎に凄まじい不快感を感じてしまう。
前書きで自分の好きな洋楽の題名を書いたり、作中に洋楽の歌詞を載せたりと横暴な振る舞いが目立っていた。
そして、とうとう自己承認欲が暴走し、〇ベッカのボーカルと同じ学校に通っていた事をあとがきで公表する。
このあとがきを見て、嫌がらせで『秋山さんは繊細です ―ヤンキーが彼女なら最強では?』という粗悪な模造品を作ろうと考えてしまう。
素行不良で底辺高校に進学してしまった主人公と何らかの理由で落ちぶれている不良女子のラブコメ作品だ。
入学して間もない頃、主人公を空き教室に呼び出した有名な不良少女から偽装交際を頼まれる。
そこから2人の関係が始まり、様々な出来事でひたすら不良少女の魅力を見せていけば人気が出そうだ。アホ〇ね。
最新話まで読んだ後、2度と関わらない事を条件に長所だけ挙げる感想を書いた。
〇ベッカの〇riensの罵倒替え歌まで考えていたが、結局使っていない。
『どーこでー壊れたーのーおっまえーマジでイー〇ーいーキ〇ょすぎー』
敵の格を振る舞いで下げたり、読者に馴れ合いを仕掛ける主人公はまだ笑える。
だが、作者の自己承認欲剥き出しのあとがきは、嫌悪感しか残らない。〇OKKOにとってあの作者は記憶する価値が無い存在だ。
読者はいつも作者の考えに共感したり、尊敬を抱くと限らない。それが理解出来ていない結果、作品を汚した。
創作をしている人々がこの出来事から学んで貰えると幸いだ。
対象年齢が10代から30代辺りの作品で〇ベッカのボーカルと同級生だった情報を提示されてもきっと読者、困ります。
特に語りたい身の上話も無い作者は、作品の前書き、あとがきをほぼ使っていません。