助けた幼女に連れられて
それにしても……。
石礫の雨あられに耐え、十キロ以上は有ろうかという水いっぱいのバケツを口からぶら下げるなんて、頑丈過ぎるワンコだと思いませんか?
やっぱ、こっちに来た時に何がしかの秘められた力を獲得してるんだろうか?
僕の身体を城に運んでいった連中も、とんでもないチート能力を当てにしての事なんかなぁ。
ぼんやりとそんなことを考えて歩いていると、隣を歩く幼女が話しかけてきた。
「ねぇねぇマロンちゃん」
なんか知らぬ間に勝手に名前つけらえれてるんですけど僕。
いや、こいつ自体オスだしマロンは違くね?
などと、幼女の呼びかけを無視していると、
「ねぇ、マロンってばぁ!」
ゲシッ! と、空手チョップを頭にお見舞された。
この幼女、ちょっと女王様気質なのかもしれない。
仕方がないので、彼女へ視線を向ける。
「おチビちゃんは目の中に入れても痛いくらい可愛いねぇ~」
お前の方が可愛いよ! と、心の中で突っ込みつつ、彼女の言い間違いは無視することにした。
たぶん同じようなことを言われて、甘やかせられまくってんだろうなぁ。
齢5つにして、自分が可愛いと理解してワガママを押し通すタイプやね!
「もう、マロンちゃん返事わぁ?」
いや無理ですってばよ! 口にバケツでどうすりゃいいん?
その後も、僕の首に抱き着いて「マロンマロンマロ~ン!」と、ダル絡みしてくる幼女。
なんかさぁ、妹の小さい頃を思い出すなぁ……。
あいつも、子犬だったこいつに抱きついて振り回してたなぁ。
こいつも妹の顔をペロペロお返しして……。
いやいや! いくら今は犬になった僕でも、幼女のお顔をペロペロしたら事案ですよ旦那!
やがて僕らは誰もいないうら寂しい路地に差し掛かった。
すると、背後から怪しさ満点の中年男に声を掛けられた。
「もし、お嬢さん」
「なぁにぃ~知らないおじちゃん?」
振り返ってみれば、そこには脂ぎったボサボサの黒髪を掻きつつ、萎びた煙草を燻らせる髭ずらのオジサン。
奴は黒いポンチョ風コートで全身を覆っていて、その下がどうなってんのかまったく分からない。
恐らく変態なオジサンは屈み込んで顔を前に突き出し、幼女と目線の高さを合わせた。
「さっきから聞いてたけど、この柴犬の名前はマロンではないよ」
「シバイヌゥ~? なんでなんで? マロンちゃんはマロンちゃんだもん!」
「ほら、犬の後ろを見て見なさい」
変態に手招きされ素直に僕のお尻を覗き込む幼女。
「ふぇ?」
「肛門の下に膨らんだ陰嚢とその先に生えた陰茎が見えるだろ? こいつはオスだ」
「男の子ってこと?」
「ああ」
「ふーん、そうなんだぁ! インノウってなぁに?」
あっ! こいつやっぱ確実に変態だ!
この後の流れが読めるよ僕。
陰嚢っていうのはね、タマタマの事だよぅ~!
とか言って、下半身を御開帳するつもりだな!
そうはさせぬと、僕はバケツを置いて幼女と変態親父の間に立ちはだかる。
「ウゥー!」
しかし、変態はいきなり僕の口目掛けて手を伸ばしてきてた。
「ハゥ?!」
奴は僕の口を蓋するように掴んできた。
奴はそのまま僕の口をグイっと上向かせると反対の手で首輪にぶら下がる迷子札をつまみ上げた。
「ほほう、ドッグタグによると飼い主は乾絢斗住所と電話番号は……まぁいいか。名前はケンケンかな? 生年月日からしてオスの六歳だな」
「いぬぅ……けん?」
「ケントかケンケン。果たしてどっちなのかな?」
奴は僕を解放すると、不敵な笑みを見せて呟いた。
なんだこいつ~! 気色悪いなぁ! でも……。
――いつから連絡先を僕の名前と携帯番号に代えたんだよ~母さん!
そりゃ、僕が一番家にいるし、家電も無くしちゃったから連絡先が直に僕だ、つうのも分からんでもないが……。
何かとても重要なことが他に発生していたような気もするが、僕にとっては母が断りもなくやった行為の方が我慢できなかったのだ。
だがいつまでも、母への怒りに打ち震えているわけにもいかない。
目の前の変態から幼女ちゃんを守らなければ!
と、心を入れ替えた矢先に道の先から甲高い透き通った声が……。
「ロロア! もう! 何処行ってたのよ!」
ハッとして振り返ると、そこには夕焼けを背にこちらへ駆け寄ってくる妖精がいた。
プラチナブロンドのツインテールを揺らし、ノースリーブから伸びる細い腕を大きく振りながら、跳ねるように駆け寄ってくる中学生くらいの女の子。
すべてが神々しく光り輝いていて、まさに幻想の世界に舞う妖精としか言い表しようがない。
「ニイナお姉ちゃん。どうしたの~?」
――ニイナお姉ちゃん?! この妖精ちゃんがロロアちゃんのお姉ちゃん?
てか、幼女のお名前ロロアって言うのね。
「今日の夕方お留守番してるはずでしょロロア?」
「だってぇ、ニイナ姉ちゃん帰ってくる前に帰るつもりだったもん!」
「つもりでもなんでも、家に居なきゃダメじゃん! それとこれは何?」
「だってぇだってぇ、水道の水で遊んじゃダメってママに言われてたからぁ……」
「バケツじゃなくて、こっち!」
ニイナ姉が険しい顔をして僕の事を指さしてきた。
可愛い少女に汚物を見るような目で蔑まれ、僕は胸のドキドキが止まりません!
「ああ、この子はマロ……じゃなくてケンちゃん! 知らないオジサンが教えてくれたの」
あれ? そういえば変態のおっさんが見当たらないぞ。
いつの間に、姿を消したんだ?
だが、そんなことに気をそらしている場合じゃなかった。
ニイナは腰に両手を添え、ロロアの眼前に顔を突き出した。
「勝手に野良犬を拾ってきちゃ駄目! 家で飼える訳ないじゃん」
――ええええ?! 衝撃の事実が判明!
僕、このまま幼女のお家にご厄介になろうと企んでいたのに!
しかし、怒られてもロロアは動じてないみたいだ。
彼女はすました顔で言い返す。
「分かってるよーだ! バケツ運ばせてただけだもーん!」
――なん……だと?!
ロロアちゃん、散々僕の事を弄んでおきながら、用事が済んだらポイ捨てするつもりだったのね……。
悪魔や! あんた天使じゃなくて悪魔や!
「なにバカなこと言ってんのロロア? 犬がバケツを運べる訳ないじゃん」
「ホントだもん! ケンちゃんおりこうさんだから出来るんだもん!」
「はいはい、帰ったら聞いてあげるから」
ニイナは妹の言う事を無視してバケツの取っ手に手をかけた。
「あれ? 結構……重いね?」
そうでしょうとも! 妹ちゃんでは持ち上げられなかったんだからね!
だから彼女の話を信じて僕を連れてっておくれよ、お姉さん!
しかし、無情にも姉妹はスタスタと歩き出した。
――待ってくれ~! 僕を一人にしないでええええ!!
僕は咄嗟に彼女たちの前に出て、必死に拝み倒した。
さすがのニイナも、土下座して鼻の上で手を合わせる犬を前に歩みを止めざる負えない。
「なにこの犬……ちょっとおかしいんじゃない?」
あ……逆にドン引きさせちゃった?
僕が恐る恐るチラ見すると、ニイナはロロアの手をギュッと握り、顔を引きつらせながら数歩後退った。
「さようなら~!」
「きゃいきゃいんっ!(まってくれぇ!)」
脱兎のごとく遁走しようとした、ニイナのむき出しの太ももに僕は飛びついた。
「ちょっ! 放しなさいよ!」
「きゃうワウワウん!(置いてかないでくだせぇ!)」
僕は目を潤ませて必死に懇願する。
見上げる先の彼女の顔は戸惑っているのか、恥ずかしがっているのか、ほんのり赤味が差していた。
その表情を見てしまうと、なんだか僕がイタズラしているみたいだ。
そりゃあ、瑞々《みずみず》しいティーンの太ももに頬をスリスリしながら、ふくらはぎに腰を押し当てている訳だし……。
そんな風にイケない妄想に脱線する僕を無邪気に応援するロロア。
「がんばれぇ、ケンちゃ~ん!」
しかし、彼女の声援むなしく最終的に僕は引っぺがされる運命だった。
なんとニイナは手に持つバケツの水を全部、僕にぶちまけてきやがったんよ!
「ヴぁっ!(冷たっ!)」
予想だにしない行動に、僕の口と鼻はモロに水を吸い込んでしまう。
半分溺れたみたいになった僕は、もんどりうって背中から地面に着地した。
「ギャッ、ブヘッ! カハッ!」
「はぁはぁ、思い知ったかバカ犬め!」
地面をのたうち回る僕に無慈悲な罵倒を浴びせてくるニイナ様。
しかし、こんなところで諦めてたまるか!
僕はすぐさま体勢を立て直し、彼女からバケツを奪い取った。
バケツを咥えた僕は、来た道を反対方向に全力で駆け出した。
「あぁもう! 待ちなさいよ! そのバケツないと困るんだからぁ!」
ニイナは妹の手を取り、僕の後を追いかけてくる。
しかし、全速力の柴犬には敵うまい。
百メートルくらい先行した僕は、井戸の給水口の下にバケツをセットし、レバーに飛びかかった。
「嘘みたい……」
「ホントだっていったもん!」
呆然自失で僕の作業を見つめる姉と胸を張る妹。
僕は散々見せつけるようにポンプを動かした後、バケツを咥えて姉妹の前に持って行った。
「ああもう! 分かったってば! 今夜は家に泊めてあげる」
「きゃうう!(ありがてぇ!)」
僕はニイナの腰に抱き着いて頬をスリスリした。
言っとくが、決していやらしい気持ちからではなく、感謝を表したかっただけだかんね!
帰りの道すがら、姉が妹に視線を落とした。
「そういえば、この水まだ必要?」
「明日使うもん」
「いやいや、その前に掃除で使うから!」
「じゃあ、捨てちゃう?」
――えー?! 今までしんどい思いして運んできたのは何だったんですか~?