オタクはヤンキーの世話を焼く
雲母が作戦を考えると言って慎吾の部屋を出て行った翌日。席替えの時間になり、慎吾は後ろの席という好位置を入手する。問題児な上に身長も低い雲母が強制的に前の席に決まるのを眺めていたのだが、いざ席を移動という時になって雲母が慎吾の方へやってきて、無理矢理慎吾のくじを奪い、別のくじを握らせる。
「ほらよ、一番後ろの席取ってきてやったぜ」
「ありがとー、でも今のカツアゲじゃない?」
「いいんだよあんなやつ、どうせ後ろの席にいたって変な漫画とか読んでるだけだろ」
「佐々倉さんひどーい」
雲母がクラスの女子に奪ったくじを渡して好感度を稼ぐのを眺めながら、しぶしぶ慎吾は代わりに渡されたくじの場所へと向かう。内職なんて出来ない一番前の、雲母の隣の席という最悪の位置だった。
「教科書忘れたから見せてくれよ」
「……佐々倉さん、全部置き勉じゃないのか?」
「(作戦なんだよ、合わせろ)」
その次の授業が始まる際、雲母は机を慎吾の方へ寄せてくっつけ、無理矢理慎吾の持っていた教科書を奪い取って中央に開く。小学生の時に何度かあった光景に昔を懐かしみながらそのまま授業に臨む慎吾だが、雲母は教科書を忘れたから見せて欲しいと言う割に真面目に授業を受けるつもりは無いらしく、10分後には机に突っ伏してすやすやと寝始め、教科書をめくるのを邪魔する始末。
「あーよく寝た。次の授業何だっけ?」
「数学だけど」
「……やばい、鬼教師じゃん。宿題見せてくれ」
「自分で解かなきゃ意味無いでしょ」
「じゃあ教えてくれよ」
チャイムが鳴り、雲母に注意はしなかったが呆れた様子で教室を出て行く担当教師を見送った後、横で大きな欠伸と共に目覚めた雲母。次の授業は寝ているようなら激怒する、雲母ですら寝ずに授業を聞き、休憩時間中にクラスメイトに頼み込んで宿題を写させて貰うような厳しい担当なので、慌てて机の中から宿題のプリントを取り出す雲母。
「ここはさ、二乗することで正の値になるんだよ。マイナスにマイナスを賭けるとプラスになるの」
「つまりお前から無利子で借金して、それを友達に利子つきで貸したら私が儲かるってことだな?」
「言っておくけどトイチだから」
慎吾と雲母がこうして教室でまともに会話をするのは数年ぶりだったが、それでも小学生の頃は仲が良かったこともあり、気兼ねない会話をしながら宿題を進めていく。そんな二人を、クラスメイトが不思議そうな目で見ていた。
「慎吾氏、災難でしたな。あの女に絡まれて」
その日の昼休憩、オタク仲間達と一緒に机を並べて食事を楽しんでいる最中、話題は慎吾と雲母のやり取りに。
「まぁ慣れっこだから」
「まさか因縁が?」
雲母との関係を聞かれ、どう答えるべきか悩む慎吾。幼馴染と言うのは簡単だが、オタク集団にとって幼馴染というフレーズは一般人の関心を遥かに凌駕する。例え雲母がヒロイン失格だとしても、面倒臭いことになるのは目に見えていた。そんな時、教室の一角から騒がしい声がする。
「えーっ、幼馴染なの!?」
「そうなんだよ、ああ見えて昔はカッコよかったんだぜ? いや、カッコよくはなかったな……そう、心がイケメンなんだ」
「確かに雲母に勉強を教えるとか私達じゃできないよね」
「私だったらすぐ投げて宿題そのまま見せちゃうよ」
雲母が慎吾との関係を大声でベラベラと喋ってしまったため、自然と慎吾のオタク仲間達にも関係がバレてしまう。途端に動揺する慎吾のオタク仲間達。
「し、慎吾氏、幼馴染がいたのですな……」
「……気にするなよ。幼馴染ってのはもっと可愛い子じゃないと意味が無いだろう、あんなのはご近所さんでしか無い。俺にとっては幼馴染なんてものはマイナスの属性なんだよ」
釈明をする慎吾だが、ある者は悔しそうな、ある者は羨ましそうな表情で慎吾を見やる。結局その日は気まずい空気になりオタク談義が弾むことが無く、計らずしもオタク離れをしたがっている慎吾とオタク仲間の間に若干の距離が出来る。放課後になり、ゲームセンターやオタク仲間の家で遊ぶことなく一人で帰路につき部屋で時間を潰していると、気づけば雲母が部屋で漫画を読んでいた。
「……佐々倉さん、何がしたいのさ。俺と佐々倉さんが幼馴染だなんて、お互いの学園生活にとって大きなマイナスでしかないだろ」
「いやー、『オタクの人って幼馴染に凄い執着してるから、葉桜君って雲母の事をいやらしい目でいつも見てるんじゃない?』って言われちまったよ。そうだったんだな……」
「……お望み通り傷物にしてあげようか? 物理的にだけど」
「冗談だってえの……今日の一件で、お前の株は上がっただろう? 問題児である私の世話を焼く、懐のでかいオタクだって印象を植え付けることができたはずだ」
「『幼馴染に凄い執着してるからカッコつけてるオタク』って思われないことを祈るよ」
「そして私は真人間になる! さぁ私の世話を焼き続けろ!」
「俺も別に真人間って訳じゃないんだけどね……」
色んな人から匙を投げられた雲母の面倒を見ることで慎吾のスクールカーストは自然に向上し、雲母も自然と真人間へと近づいていくはずだという理論を提唱する雲母。あまりにも慎吾の負担が大きい作戦ではあったが、慎吾がオタクグループ以外でまともに会話できるのが雲母しかいないことと、純粋に雲母の将来が心配になったこともあり、渋々その作戦に乗ることに。早速慎吾は机の上に教科書とノートを広げる。
「じゃ、勉強しようか」
「何言ってんだ。ここで勉強したって誰も見てないんだから意味無いだろ。いいか、努力ってのは他人が見てる時にやるもんだ」
「俺もテスト前くらいしか真面目に勉強しないタイプだけどさ、佐々倉さんが授業中や休憩時間中に面倒見る程度でどうにかなるような学力だとでも?」
「私を馬鹿にすんなよ、留年はしていない!」
「お情けで進級させて貰ったって聞いたけど」
「……わかったわかった、ただし、宿題だけな!」
ベラベラと言い訳を続ける雲母を説き伏せてしぶしぶ机の前に座らせた後、一人なら30分もあれば余裕で終わるレベルの宿題を2時間かけて終わらせる。知恵熱でフラフラしながら帰っていく雲母を見送った後、宿題をやっている途中に雲母が食べ散らかしたお菓子のゴミや、読んだまま本棚に戻さない漫画を片付けるのだった。
「それじゃ、宿題を後ろから集めてくれ」
翌日の一時間目、英語の授業が始めるとすぐに教師が宿題の回収を命じる。後ろから回されて来た紙の束に自分の宿題を混ぜて教卓に置く。何の変哲も無い行為ではあったが、この日は教師や生徒のざわめきが起きる。
「佐々倉、どうしたんだお前。頭でも打ったのか?」
「何で宿題やった程度でそこまで言われなきゃいけねーんだよ!」
「そんなバカな……遅刻ギリギリにやって来るお前が一時間目の宿題を写す時間なんてある訳が無いだろ、さては他人に……こ、この汚い字は間違いなく佐々倉の」
「汚い字で悪かったな……」
「そうかそうか、佐々倉も真面目に勉強する気になったんだなぁ、一年の時は補習に一度も来なかったお前が……先生嬉しいぞ!」
ただ宿題をやる、そんな当たり前の行為ですら驚かれる雲母の元々の評判に若干笑いながらも、宿題をやっただけで褒められることに対してもやっとする慎吾。自分が苦労して雲母に宿題をさせたのに、評価が上がるのは雲母のみ。『こいつの部屋で一緒に宿題やったんだ』なんて色んな噂が立ちそうな真実を雲母が話せる訳も無く、『努力ってのは他人が見てる時にやるもんだ』という彼女の言葉を反芻させるのだった。