どうやらヒロインじゃないっぽい
祝賀会から二日後の午後。竜王・竜王妃両陛下とカレトヴルッフ殿下、それから殿下の弟君であるアルタキエラ殿下と、宰相、大臣を含めた十数名の重臣、二十一竜家の中でも特に上位家の当主達……という錚々たる面々の揃う王宮の奥の一室で、アリアンロッド様曰く『竜太子妃となるにあたっての説明会』が開催されることになった。
情けないことに、私はあの日アリアンロッド様の言葉を聞くなり貧血を起こして倒れてしまったらしい。そして全くおそれ多いことだけど、それから丸二日、王宮の一室で療養させて頂いていた、みたい。目が覚めて経緯を知った私は、そんな軟弱なことで竜太子妃が務まるのか、などと責められるのではと怯えたけど、予想に反して接触する誰もが不気味なほど私を労った。殿下は倒れた私にずっと付き添っていて下さったけれど、あまりに暗い目をして思い詰めているのをみると、事情を説明して欲しいなどとはとても言えなかった。
だからこの日の午前、ようやく身体を起こせるようになった私に、アリアンロッド様が「全てを知らなければ判断も出来ないし落ち着かないでしょう」とおっしゃって説明の場を設けてくれると知った時、私は強く頷いた。殿下は「ティアナが回復するのを待てないのか」と文句を言っていたけれど、私がお話を聞きたいのだと縋れば渋々同行してくれた。
病み上がりなのだから楽にしなさいと言われたので、私は高貴な方々の前だというのに、お言葉に甘え隣に座った殿下に身体を預けた姿勢でアリアンロッド様の話を聞くことになった。
私達が通された一室は大きめのサロンのようで、四十畳くらいの広さにいくつかのソファやテーブルが並べられていた。部屋の中央付近、L字型に置かれた一人がけの椅子と三人がけの長椅子のそれぞれに、アリアンロッド様と、私と殿下が分かれて座った。他の方々といえば、私達から少し離れた席に思い思いに散らばって、侍女の用意したワゴンからお菓子や飲み物を取っていた。恐らく彼らは見届け人であり、同時に私がアリアンロッド様に怯えたり、アリアンロッド様と殿下が口論にならないようにする為に同席していたのだろう。
席についてすぐ、「長くなりますから、まずはお茶を頂きましょう」とアリアンロッド様に勧められ、味わったことのない高級なお茶を頂きながら周囲をキョロキョロと見回しそんなことを考えていた私はふと、窓際の席で宰相と談笑している美しい青年に気づいた。この部屋にいる殆どが中年以上の男性だったので、若く美しいその姿が目に付いたのだ。誰だろうと考えて、すぐその正体に思い当たった。殿下と私、アリアンロッド様以外でこの場に居ることが許される人物と言えば、カレトヴルッフ殿下の弟君であるアルタキエラ殿下しか有り得ない。けれども私は首を傾げた。アルタキエラ殿下は勿論『竜王国物語』にも登場していて、さらに言うなら攻略対象でもあった。けれども、朗らかな笑みを浮かべて宰相と語りあう彼は、ゲームの攻略対象だったアルタキエラ殿下とはまるで別人だった。だからこそ私は最初彼が誰だか分からなかったのだ。
何が違うのか……私は違和感の元を探して、しげしげとアルタキエラ殿下を観察した。顔立ちがゲームと違っているわけじゃない。勿論ここは現実なので、ゲーム画面のイラストとは違う。けれどもカレトヴルッフ殿下もアリアンロッド様も、イラストを写実的にしたら……あるいは欧米人に忠実なコスプレをさせたらこうなるだろうな、という姿をしていた。アルタキエラ殿下も同様、な筈だ。けれど――。
(そうだ、髪の色が違うんだわ)
腑に落ちた私は、内心手を打った。ゲーム中のアルタキエラ殿下はくすんだストロベリーブロンドだった筈。けれども今視線の先に居る彼は、赤色を全く含まない、プラチナブロンドに近い淡い金髪だった。
(え、でもそれってどういうこと?)
ゲームとの違いに気づいた私は困惑した。
竜王の血はその髪と眼の色あらわれるとされている。竜王国史上最も竜の血が濃い王族と言われたカレトヴルッフ殿下は、古の巨竜の鱗と同じく、闇に輝く炎のように鮮やかな赤い髪と眼を持っていた。これはゲームも現実も同じ。現竜王陛下も、二十一竜家出身の竜王妃陛下も、カレトヴルッフ殿下程では無いにしても見事な赤毛に赤眼だ。ここに集まっている二十一竜家のご当主様達も同じく。
それに対してゲーム中のアルタキエラ殿下の髪はくすんだストロベリーブロンドであり、目は青みの強いバイオレットだった。だからその身に流れる竜の血は二十一竜家を含めた王族の中で最も薄いと言われていたのだ。竜の血の濃さと身体能力に相関があるのかはシナリオをクリアしても分からなかったけど、優秀な兄と比較して何をやっても平凡な結果しか出せないアルタキエラ殿下は、貴族達の間では『カレトヴルッフ殿下に竜の血を全て持って行かれた』と囁かれていた。結果、弟は兄に対するコンプレックスを拗らせ、自身のくすんだストロベリーブロンドとバイオレットアイズを恥じて俯き、いつも暗い顔をして黙り込んでいる……というのがゲームのアルタキエラというキャラクターの設定。ヒロインは彼を励まし、兄とは違う彼の長所を引き出して彼のコンプレックスを解消することでアルタキエラ殿下の心を手に入れるのだけど。
設定から考えるなら、ストロベリーどころかプラチナブロンドであるアルタキエラ殿下は、ゲーム以上に微妙な立場になっているはずだ。それなのに目の前のアルタキエラ殿下は重臣達と堂々と会話をしている。その顔に浮かぶのは鷹揚かつ柔和な笑みで、ヒロインと心通わせた後でさえ苦笑に近い、儚げな笑みしか浮かべなかったゲームのアルタキエラ殿下とはイメージが重ならない。
この『ゲームとの差』が何を意味するのか。もしかして、私は何か大きな思い違いをしているのでは。そんな予感に身を震わせた時、アリアンロッド様の鈴を鳴らすような声が私の意識を引き戻した。
「あなたが竜太子妃になるのは『不可能ではない』と先に申し上げておきます」
アリアンロッド様は、感情を宿さない静かな眼で私を見た。そこにはやはり、敵意も侮蔑も、殿下への思慕も見つからなかった。むしろどちらかといえば、僅かに私を気遣う色があった。だから私は気づかざるを得なかった。アリアンロッド様は、私が竜太子妃になること自体を反対していない。遠巻きに私達を見守る他の方々も同様に。それでも過去四人の転生者が殿下のつがいになろうとして、しかし今彼の隣に居ないのは、きっと、それだけの障害があるからだ。
「あなたの言うように、確かに『つがい』さえいれば竜の血は狂乱を起こさない。過去幾人かの王族は『つがい』を見いだしその血を鎮めたと伝えられています。ですから、あなたが竜太子妃になれば殿下の狂乱はおさえられるでしょう。そこを疑っているわけではありません」
アリアンロッド様はその長い睫毛を伏せた。多分、私がすでに顔色を悪くしているからだろう。
「しかし……前四名の殿下の『つがい』の方々から話を聞き、あなた方が『ゲーム』で得た情報は、断片的かつ上澄みのようなものだと……私はそう判断しました。あなたと同様に殿下に連れてこられた方々は王族以外知り得なかった『つがい』について理解していた。竜の狂乱を鎮める方法も、殿下から教えられずとも知っていた。それは確かにゲームの知識によるものなのでしょう──であるのに、彼女らは竜の血が濃いとはどういうことか、狂乱とはどのような状態か具体的にご存じなかった。この国でもここにいる方々の他は知らないことではあります。しかしあまりにも、あなた方の持っている知識には偏りがあった。なにがしかの意図を感じるほどに」
そう言われて、私は盲点に気づきごくりと唾を飲んだ。確かにゲームではその辺の詳しい説明がなかったのだ。心持ち前のめりになった私に、アリアンロッド様は小さく頷いて説明してくれた。
「説明致します。建国伝説はご存じですね? では古の狂える巨竜。彼が何故竜王となり狂い果てたかはご存じですか?」
「い、いえ、知りません。ゲームでもその詳しい説明はありませんでしたから」
つっかえながらも素直に答えると、アリアンロッド様は僅かに微笑んでくれた。女の私でもおもわずみとれてしまう美しい微笑みだった。
「創造主がお創りたもうた竜の『性』、最も強い本能的な欲求のことですね。それは『力を求める』というものでした。竜という種には絶対的な階層構造がありました。同族で互いに相争い、勝利した者が敗者を支配することで力を、魔力を得る。つまりより多くの竜を従えた者が強くなる。そういう性質を持って生まれました。恐らくは原初の混沌をかき混ぜ、泡立たせ、生命を生む土壌を育むために定められた性質だったのでしょう。しかしそんな彼等にも神の戒め、『禁忌』がありました。それが『共食い』です」
「共食い……」
不穏な言葉に肌が粟立ち、思わず二の腕を摩った。
「王家の祖となる狂える巨竜は、はじめ他の竜と同じ大きさのごく普通の竜であったと伝えられています。それが禁忌を犯し共食いをすることで並外れた力を得、巨躯を持つに至ったと竜王家には伝わっております。無論、それは神の定めた禁忌でした。何故なら竜の血は竜の魂そのものだったからです。共食いを繰り返した竜がどのようになるかお分かりになりますか?」
「え、まさか、狂うってそういう……?」
「そうです。一つの身体に何十、何百もの魂が宿る。しかもその全てが……禁忌を犯して同族を喰らった巨竜を憎悪した」
想像は、できなかった。自分の身体の中に自分以外の魂が入り込み、その全てが自分を憎悪する、なんて状況、想像出来るはずがない。それでもそれがどれほど悍ましいことなのかだけは理解出来た。アリアンロッド様も巨竜を哀れむように首を横に振った。
「自らを強く恨み憎悪する巨竜の苦しみがどのようなものであったかは想像もできません。彼はその身を巡る憎悪に狂乱し、アルビオンの大地を荒らし続けたのだと伝えられています。それを鎮めたのが精霊王と人の長の娘の間に産まれた『精霊の血を引く娘』でした。ここまではご存じでしょう。では具体的に娘がどのようにして竜王を救ったかご存じですか?」
「そ、それはその……あの、夫婦になる、ことで」
「そう。交わることで鎮めた。間違っては居りません。ですがより正確に申し上げるなら……子を為すことで救ったのです。あまりにも取り込みすぎた竜の血、魂を、複数に分割することで」
「えっ!?」
聞いただけでは飲み込むことができず、私はアリアンロッド様の言葉を何度も反芻した。
(子供を作って、魂を分けた? そうか、竜の血は竜の魂だから、血を分けた子供は魂を受け継ぐってこと? え、でも物理的に血が分かれる訳じゃ無くて、同じ遺伝子を受け継ぐだけだよね? 違う? 魔法の有る世界だから本当に血を分けてるの?)
混乱する私をじっと見つめながら、アリアンロッド様は話を続けた。
「竜王は勿論、『精霊の血を引く娘』も長寿であったと言います。彼等の間には数十人の子が生まれました。そうすることで巨竜の自らに対する憎悪は薄まり、同時に力を失うことで長すぎた生を終わらせ滅びたと伝えられています。しかし食われた竜の憎悪はあくまで分割されただけであり、この時代まで残っているのです」
「え……ということは、まさか」
私は隣に居る殿下こそが最も巨竜の血を濃く引くことを思い出し、目を瞠った。身体を強ばらせると、私の腰に回っていた殿下の腕に、力が入った。痛みを感じるほどに。
「そうです。血の濃くなりすぎた王族は、食われた竜の竜王に対する憎悪によって苦しみ、やがて狂います。それを防ぐ為に必要なのが、子作り。代を経るごとに、それは王族に染みつき、本能的に濃縮された魂を拡散したいという欲求が高まります。つまり現在の王族の狂乱とは……色狂い、ということです」
私はまぬけにもぽかんと口を開けた。