もしかして、ヒロインじゃ、ない?
二十一竜家というのは、過去に王族が降嫁、あるいは臣籍降下したことがある、要するに竜の血を引く上位貴族だと殿下が教えてくれたことがある。その二十一竜家を残して退出させるのは、婚約破棄などという不祥事をあまり下級貴族に見られたく無いから……?と私は思ったのだけど、すぐに様子がおかしいことに気づいた。
異常に『慣れている』のだ。
今日は建国祭の祝賀会。全ての貴族が巨大な大広間に集められている。年に一度だけ訪れる王宮に緊張している様子の下級貴族も多く見られた。それなのに……彼等は王の手の一振りでざわつきもせずにしずしずと大広間を出て行った。まるでこれからここで起こることを知っているかのように。
二十一竜家を除く全ての貴族……恐らくは数千人はいただろう彼等が全て退出すると、衛兵が広間の大きな扉を閉めた。鈍く響く音が、何故か私の耳には不吉な事が起こる予告のように聞こえた。
「……まずは尋ねておきましょう」
竜王陛下に退出指示を願ってから扉が閉まるまで、その長い睫毛をを伏せ美しい彫像のように佇んでいたアリアンロッド様が、銀の双眸を開くと同時に口を開いた。殿下ではなく、私に向かって。
「ティアナ様。あなたは『竜王国物語』というゲームのプレイヤーであり、日本という国から転生してきた竜太子殿下の『つがい』、であることに間違いはありませんか?」
私はヒュッと息を呑んだ。それを指摘されると言うことは。
「まさか、アリアンロッド様も……!?」
私は蒼白になった。前世の私は、小説投稿サイトで人気の悪役令嬢婚約破棄からのザマァものも沢山読み漁っていた。ヒロインと同じく転生者であった悪役令嬢が、一発逆転しヒロインを退け真の愛を得る物語。まさかアリアンロッド様も前世のゲーム知識を活用して……? と思ったのだが。
「あ、いえ、私は違います」
あっさり首を横に振るアリアンロッド様に、思わずずっこけた私は慌てて殿下の腕にしがみついた。そんな私を、何故か残念なものを見るような目で見た後、アリアンロッド様は僅かに首を横に振った。
「……そういえば。ティアナ様は、隣国からやってきたのでしたね」
今それを言うのにどういう意味があるんだろう、と首を傾げた私を、アリアンロッド様は見なかった。その代わり、責めるような目でじっと、カレトヴルッフ殿下を睨んだ。
「まさか国内に留まらず隣国まで手を伸ばすとは……それがどんな影響を及ぼすか分からぬ殿下ではないでしょう」
「アリアンロッド……」
頭が痛むとでも言うようにその細い指先でこめかみを押さえるアリアンロッド様に対して、殿下が苦々しげに顔を顰めた。それは愛せない婚約者に浮気を指摘される男の顔と言うより、悪いことをして母親に怒られる時の子供みたいな、罪悪感を持ちつつも素直になれずにふてくされたような顔だった。
どうやら私の分からないところで通じ合っているらしい二人に、私は疎外感を覚えてしまう。殿下はアリアンロッド様ではなく私を妃として選んでくれたのではなかったのかと。
そんな思いが表情に出てしまっていたのだろうか。アリアンロッド様は溜息を一つ吐くと、近くに居た宮廷女官の方に軽く手を振って合図した。すると、また別の女官の方が、何か長方形のものを持ってきて、私に向かって掲げみせた。
「殿下。何も説明せずにティアナ様を竜太子妃とする訳には参りません。それは詐欺にも等しい行いです」
アリアンロッド様の指示で見せられたそれは、ごく小さな絵だった。たまに美術館なんかで見る、額縁の縁の部分がとても広くなっていて、その真ん中に絵はがき大の小さな絵が填められていた。
「ティアナ様。この絵、どう思われます?」
「どう、と申しましても……」
正直、どういう理由でこんなものを見せられているのかと困惑したけれど、絵を掲げ持った女官が数歩前に出たことで、私はその絵を注視せざるを得なくなった。小さな枠の中には、美しい少年と少女が向かい合って頬を染め、両手を握り合わせている。大分アップ寄りの絵なので、顔と首と手くらいしか見えないけれど、微笑ましい少年少女の初恋を描いた作品に見えた。それをそのままアリアンロッド様に伝えると、アリアンロッド様は頷いて、また女官に合図をした。
女官は何故か、額縁を掲げたまま内側に触れて、額縁の内周部分を取り外した。それを見て、私は声にならない悲鳴を上げた。
額縁に覆われていた絵の外周部で……少年と少女は、下品に脚を拡げ、剥き出しの腰を押しつけあい、明らかに合体していたのだ。私は慌てて殿下に預けていた腕を外して両手で顔を覆った。絵柄が写実的なのもあって、前世も処女のまま十代で亡くなった私には、あまりにも生々しく破廉恥に感じられたのだ。
何故こんなものを見せられたのか、と思い至るより先に、アリアンロッド様が沈んだ声で言った。
「あなたの知る『ゲーム』の記憶もこれと同じ事です。真実の一面ではある。けれども全てではない」
「……どういう、ことですか」
混乱する頭のまま尋ね返すと、カレトヴルッフ殿下が聞いたことが無いようなドスの利いた声で怒鳴った。
「アリアンロッド!! 私の邪魔をするな!!」
驚いて見上げた殿下の顔は、まさに狂える竜のごとき凶相だった。愛する男性だというのに、私は怯え、二三歩後ずさった。
しかしアリアンロッド様は殿下の剣幕にぴくりともせず、ただ僅かに眉を顰めると、
「お言葉ですが、殿下。全てを隠匿してつがいを得た結果どうなったかお忘れですか」
と固い声で殿下を制した。その言葉を聞いた瞬間、殿下がまるで首でも絞められたかのように苦しげに呻いた。その、あからさまに図星を突かれた表情に、動揺した私は大きく喘いだ。殿下は、私に都合の悪い事実を隠している。それを確信してしまったから。
「なにが……どうなって、いるんですか」
私の震える声に、一瞬痛ましげに目を伏せたアリアンロッド様は、しかし次の瞬間には完璧な無表情で口を開いた。
「ティアナ様。殿下に連れてこられた、『転生した』『つがい』の『ヒロイン』は……あなたで五人目でになります」
その言葉を噛み砕き、理解した瞬間、私は膝から崩れ落ちた。