さんわめ:未知との遭遇
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浮遊の要領でハクは空中に腰掛ける。体を固定することなら慣れたもので、あたかも椅子に座っているかのように浮いていた。
朝ご飯の栄養キューブを食みながらこれからの事を考え始める。思考するためには栄養は必須。欠ければ思い付くものも思いつかないと言うものだ。
口を動かし、ぐにぐにと咀嚼しながら考える。
口内に広がる仄かな甘み。それはここ連日食していたケーキとは比較にならない程弱々しい。例えるなら雲と泥。月とすっぽん。高い高い山と砂場で作った小さな砂山。それ程の差が存在していた。
せめて遠い記憶にあるグミ並の甘さがあれば、とハクは思い詰める。
錬金術で甘味を再現することだけは何故か難しい。苦味、酸味、塩味、旨味。その4つは完璧に再現出来るのだが、甘味だけは上手く作れなかった。諦めきれず何度も何度も挑戦しているが、一向に改善されない。甘いとはなんだ、と自問してしまう程に上手くいかなかった。
記憶に新しいケーキを思い浮かべながら作れば或いは、と考える。錬金術は想像によって生成物が変化していく。甘い物をイメージ出来れば、と考えたのだ。
「......違う......今は、それじゃない......」
思考があらぬ方向へと走っている事に気が付き、頭を横に数回振って思考を止める。危うく甘味生成で時間を潰すところだった。それはそれで有意義な時間ではあるが、今するべきではない。
気持ちを切り替える為に水を作り出し、喉に流して飲み込んだ。冷えた水は口に残っていた風味と共に喉を通って流れていく。
これはあくまで食事。栄養を摂取するための行為である。そこに必要なのは栄養のみであり、その他一切は不純物。
そう考えるようにしてはいるが、やはり娯楽としての要素が無ければ詰まらなく、空腹とは違う感性で言う物足り無さが残る。何よりも食に対する積極性を失ってしまう。摂らなければならない、と摂りたいという思考では大きな差があるのは明らか。断然後者の方が継続出来るし怠る事もないだろう。
甘い物を作り出すことは生存に関わる重要な案件に思えてきた。今を生きる為には甘味を──
「......はぁ......」
その思考を止めるようにハクは小さく、しかし気だるげなため息を漏らした。どうしても甘い物へと意識が向いてしまう。
これも全てレオガイアのせいだ。そう思うと孤独感や虚無感といった負の感情で胸が満たされる。
気を紛らわすように見上げれば雲ひとつ無い快晴の空が視界に映った。その空を飛ぶ鳥を見て、やはり自由な鳥は良いな、と胸中で呟く。
その時、ガサゴソと叢から音が発せられた。ハクが音の発生源に首を向け視界に映す。
そこには1匹の狼が居た。
『グルルルルルッ』
青色の毛皮を纏った狼が唸っている。体躯はかなり大きめ。ハクの知識には無い生物だ。生の狼を見たことは無いし、青い毛皮なんてもってのほか。
「......これが魔物......なるほど......外見は普通の生物......ただ、魔力を纏っている......面白い」
ハクは青い狼から漏れ出る魔力を感知した。そして分析を即座に済ませる。
溢れ出る魔力。それこそが魔物だと証明するものだ。この世界にも普通の生物は存在するが、それ等に魔力は宿っていない。故に魔力を纏っていないのだ。そのような手法で判別出来るとハクは書物から習っていた。
なら魔力を扱える人は魔物なのか、という議論は昔から行われている内容であり、決着することの無い水掛け論に近い問題だ。これも書物を読み漁った事で知った情報である。
「......狼、ねぇ......」
魔物という存在は知っていたが初めて見た。有名なスライムやゴブリンでは無く、こういった魔物も存在するのかと感心した。
『グルルルルルッ!』
「......へぇ......やる気......?」
青い狼は更に唸り声を上げた。そして口を若干開き、そこに存在する鋭利な牙をハクに見せつける。
ハクが見上げなければならないほどに大きい。普通の狼よりも大きく見える。恐らく魔物故の特徴だろう。
「......風よ」
先制攻撃を仕掛けたのはハク。一声で魔法を具現化させる。指先には小さな風の塊が作られた。右手の親指と人差し指だけを立て、拳銃のような形にする。
標準を合わせ、その風の塊を発射。音もなく放たれた風弾は狙い通りに狼の前足を撃ち抜いた。
『キャンッ!?』
右足を襲った激痛に狼は悲鳴を上げる。撃たれた箇所からは血が溢れ出ていた。動けない程の傷では無いが、確実に傷を与えられる魔法だ。
そして次の瞬間、もう片方の足も撃ち抜かれた。その際には悲鳴すら上がらず、驚く事しか出来ずにいた。
前を見ればハクが指を差している。その先には、狼の頭部があった。その位置こそが、次に魔法を放つポイントなのであろう。
「......なるほど......この程度で、倒せるのか......」
毛皮を貫けた事を確認すると、ハクは満足そうに頷いた。そしてこのまま倒せる、ということを認識する。頭をぶち抜けば終わりだ、と。
「......さて......素材さん......大人しく、してね......?」
『キャンッ!?』
出血する足を抱えるように蹲った狼。そんな狼に口角を上げたハクは接近した。その間、なるべく傷を付けないように仕留める算段を練っていく。ハクの目には狼が巨大な素材にしか見えていなかった。
一歩一歩、ゆっくりと近付く。興奮しているのか、ハクからは魔力が盛れ出していた。何時もは身の内に抑え込んでいる魔力。それは8年に及ぶ試練によって得た膨大な魔力である。
ハクが有する、そして漂わせた魔力は狼が持つそれを凌駕していた。狼は彼我の実力差を測った。そして理解した。そこには雲泥の差がある、と。
狼は本能に従った。咄嗟に腹を見せたのである。仰向けになって腹を見せ、つぶらな瞳でハクを見つめていた。
「......なんの、つもり......?」
『くぅぅんっ』
そして高い声で鳴く。先程までの威圧感は何処へやら。
その声は野生動物が出したとは思えぬ程情けなく、実に弱々しい鳴き声だった。
明らかな服従だ。狼は目の前に居る少女に対し服従の意を示したのである。相手は踏み付け、噛み付けば屠れそうな少女だ。体躯差は歴然であり、
奇怪な行動をとった狼に対し、ハクはシンプルに動揺した。ただ、その格好や敵意の有無からして、狼が降伏している事は察していた。
そして悩んだ。殺すか否か。
キュルンとした目でハクを見つめる瞳。何処と無く愛嬌のある目だ。これを殺すのは、確かに心苦しい。
更に言えば素材が欲しい、物凄く欲しい、という訳でもない。殺る理由は弱かった。
「......はぁ......」
『くぅぅんっ?』
「......分かったよ......殺さないから......」
『キャンッ!』
ハクが溜息を漏らしてそう呟くと、狼は嬉しそうに起き上がった。そして舌を出して近寄り、頭をハクの体に擦り付け始める。
その頭を乱雑に撫でながら、ハクはまた溜息を吐いた。




