旅立ちの森
秋の優しい日ざしのもと、森の広場にあるカラスの学校で、授業が始まったようです。
「今日は、木の実をとってくる授業です。みなさん、大きな木の実をとってきてください」
先生が、黒い大きな翼を広げて言いました。
「はーい!」
広場に元気な声がひびき、生徒たちが大空へと羽ばたいていきます。
そんな中、チョコチョコと走っていく生徒がいます。
カーキチ君です。
先生は飛べないカーキチ君を心配そうに見つめています。
そんな先生の心配をよそに、カーキチ君は今日も元気に走っていきます。
「この実、大きいよ!」
「これのほうがでっかいよ!」
「この赤いやつ見たら、先生おどろくよ」
仲間の声が聞こえてくる大きな木の下で、カーキチ君は足をとめました。そして、楽しげな声にさそわれるように、翼を広げました。
でも、動かすことができません。
カーキチ君は、小さなころに、木の上のお家から落ちて、大ケガをしたことがありました。
だから、ケガがなおった今でも高いところが恐くて、飛ぼうとすると震えてしまうのです。
木の下にも実は落ちています。
でも、われたり、かけたりしたものばかりです。
カーキチ君は、なんだか悲しくなってきました。
大きな実を口にくわえた仲間が、うれしそうな顔で、つぎつぎと飛んでいきます。
カーキチ君は、ため息をつくと、半分にわれた木の実をひろいました。
なんだか、飛べない自分がくやしくて、みじめで、涙がこみあげてきました。
ポトリ。
涙が地面にこぼれ落ちました。
涙はつぎつぎにあふれてきます。
地面に悲しみのシミができていきます。
口からは涙声がもれ、くわえていた木の実も落ちました。
ポトン。
その時とつぜん、なにかが目の前に落ちてきました。
上を見あげると、大きな木から黒いカゲが飛びだしてきました。
黒いカゲは翼をいっぱいに広げて、大空に舞い上がりました。
口には目の前に落ちてきたのと同じ大きな赤い木の実をくわえています。
「ありがとう! カタロウ君」
カーキチ君が大声をあげると、カタロウ君が片方のつばさを大きく上下させました。そして、大空へと飛んでいきます。
カーキチ君は涙を振り払い、カタロウ君が落としてくれた大きな木の実をくわえ、はずむ足取りで後を追いました。
少し走ると友だちが空でグルグル回っていました。
みんな、待っていてくれたのです。
カーキチ君の目から涙がこぼれ落ちました。
いっぱいいっぱい流したくなる、そんな涙です。
◇
森に冷たい風が吹き始めました。
もう冬がせまっています。
今日の生徒たちは引きしまった表情で朝から卒業試験を受けています。
危険な動物や食べてはいけない植物などの試験が終わり、次の試験に合格したら、この森からいよいよ旅立っていくのです。
「では、最後は木の実を取ってくる試験です。今は木の実もへって大変だと思いますが、みなさん、がんばってください」
「はい!」
生徒たちは返事をすると、大空に飛び立ちました。
そんな中、カーキチ君は走っています。卒業がせまった今でも飛ぶことができません。
カーキチ君が大きな木にたどりつくと、友だちは木の実をくわえ、学校に向かって飛び立っていました。
まっすぐ前を向いて、カーキチ君に目を向けることなく飛んでいきます。
試験では友だちを手伝うことはゆるされません。
ガサガサと音がし、枝の間からカタロウ君が顔をだしました。
口には大きな木の実があります。
カタロウ君はカーキチ君を見つめ、動きをとめました。
じっと見つめたまま、動こうとしません。
「行って!」
カーキチ君は叫びました。
でも、カタロウ君は動きません。
「ボクは大丈夫だから」
カーキチ君は笑顔をつくって見せました。カタロウ君が安心できるような精一杯の笑顔です。
カタロウ君はその笑顔にうなずくと翼を動かしました。カーキチ君が自分で木の実を取ってこられることを信じ、飛び立ったのです。
カーキチ君は誰もいなくなった大きな木を見つめました。
木の下に落ちている、われたり、かけたりした木の実では合格はできません。
木を見つめ、よしっ、とうなずきました。
「飛ばなきゃ」
翼を大きく広げました。
でも、震えてしまい、やっぱり翼を動かせません。
広場に集まった生徒たちはカーキチ君が戻ってくるのを信じて、森の奥を見つめています。
すでに辺りが暗くなり始めています。
暗くなると恐い動物が動きだし、森は危険になります。
「みんなはお家に帰りなさい。カーキチ君は先生がむかえに行ってきますから」
先生の言葉を聞いても、生徒たちは動こうとしません。
無言のまま前を見つめています。
そんな中、カタロウ君が口を開きました。
「先生。ボクもいっしょに行かせてください」
「でも、暗くなると危険ですし、後は先生が」
「でも、心配で家になんか帰れません」
カタロウ君はまっすぐな目を先生に向けました。
なんと言われてもゆずるわけにはいかないという、そんな思いのこもった目です。
「先生、ボクもいっしょにむかえに行きたいです」
「ワタシも行きたい」
「ボクも」
「アタシも」
他の生徒もまっすぐな目を先生に向けました。
困ってしまった先生でしたが、生徒たちの気持ちを受け止めて、うなずきました。
「わかりました。みんなで行きましょう」
「はい!」
生徒たちが大空へと飛び立っていきます。
そのたのもしくなった姿に、先生はニッコリ微笑み、後を追って飛び立ちました。
先生が後を追いかけて飛んでいくと、生徒たちは上空で止まったまま、下を見つめていました。
その見つめる先には大きな木の下で体を震わせながら立ちつくすカーキチ君の姿がありました。
そして、少しはなれた所には大きなタヌキの姿があります。
大タヌキがゆっくりと動きだしました。
でも、カーキチ君は恐怖で体が固まってしまい、動くことができません。
「カーキチ逃げろ!」
カタロウ君が叫びました。
その声にピクリと反応し、カーキチ君は向きを変えて走りだしました。
同時に大タヌキも走りだしました。
「君たちはここを動いてはいけません!」
先生は怒鳴るように言うと、もうスピードで下へと向かっていきました。
すぐにカーキチ君の背後にせまった大タヌキが、キバをむきだしにして飛び跳ねました。
「キャー!」
カー子ちゃんの悲鳴がとどろき、タヌキのするどいツメがカーキチ君に――
振り下ろされたツメはくうを切りました。
先生が体ごとぶつかり、大タヌキが体のバランスをくずしたのです。
大タヌキはすぐに体勢を立て直し、先生のほうに体を向けました。
転がってしまった先生は、顔をしかめたまま動けません。
目をつり上げた大タヌキが両手をあげて立ち上がりました。
いつのまにか空にはまんまるお月さんが浮かび、大タヌキのツメが鋭く光っています。
とその時、
「ギィギャー」
大タヌキが声をあげ、振り返りました。
そこにはクチバシから大タヌキの背中に必死に突進したカーキチ君の姿があります。
大タヌキは目をますますつり上げ、カーキチ君をにらみました。
カーキチ君は怒りくるった大タヌキの姿に震えながらも、向きを変えて必死に走りました。
大タヌキが両手を高々と上げました。
鋭い目にはカーキチ君の姿がしっかりと映っています。
大タヌキは両手をつき、走りだしました。
チョコチョコとしか走れないカーキチ君など、跳ねるように走る大タヌキにすぐに追いつかれてしまいます。
助けてくれた先生は、顔しかめたまま、まだ動けません。
その時です。
大タヌキの足が止まりました。
何かを気にして足を止めています。
カーキチ君は恐怖が遠ざかった気がして思わず振り返りました。
するとそこには――
大タヌキの前を横切って、行く手をはばむ仲間の姿がありました。
大タヌキがツメを振るう中、仲間たちが必死に大タヌキの前を横切って飛んでいます。
「みんな……ありがとう。ボクのために」
カーキチ君の目からひと粒の涙がこぼれたその瞬間、耳を切りさくような雄叫びが響きわたりました。
「ウガォー!」
立ち上がった大タヌキが、天に向かって吠えたのです。
体を震わす雄叫びにカタロウ君たちの動きが止まってしまいました。
大タヌキは生徒たちをにらみつけると、ゆっくり手を地面につけ、歩きだしました。
誰もが恐怖で体が固まってしまい動けません。
やがて、大タヌキが足を止めたのはカーキチ君の目の前でした。
先生がなんとか立ち上がり、飛び立ちました。
カタロウ君たちも恐怖を振り払い、カーキチ君のもとに向かおうとしています。
でも、大タヌキは立ち上がって、すでにツメを振り上げています。
先生も生徒たちも間に合いそうもありません。
「飛べ!」
悲痛な叫び声がカタロウ君から飛びだしました。
その声に、カーキチ君が翼を広げました。
でも、体が震えだしてしまいます。
「ボクのためにみんなが助けてくれた。だから、ボクだって!」
カーキチ君は勇気をふり絞り、翼を――
夜空を見上げていた大タヌキがトボトボと森の奥へと歩いていきます。
まんまるお月さんに照らされた夜空に、翼をいっぱいに広げた黒い鳥が飛んでいます。
「空ってこんなに気持ちがいいんだ!」
カラスたちがこの森を旅立つ時が、いよいよきたようです。