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2話

「はああ……もうダメだあ……おしまいだあ……」



 冒険者ギルド端には立ち飲み席があるが、ここに人が来ることは滅多にない。


 とある都市伝説が存在する。

 その内容は――



「どうした、悩みがあるのか?」



 誰も近くにいなかった立ち飲み席。

 だというのに、突如として他者の――幼い、鼻にかかったような少女の声がした。


 頭を抱えて嘆いていた男は、びくりとしたが、取り乱しはしなかった。


 噂通り。


『ある街の冒険者ギルド、その端の古びた立ち飲みテーブルでため息をつくと、少女が現れて悩み相談に乗ってくれる』


『そうして相談した者は、楽園へ連れて行ってもらえるという』


 ……以上が、男の知っていた都市伝説の内容だ。


 男は少女を見た。


 金色の毛並みの、獣人。

 身長は低い。立ち飲み用テーブルから、頭上半分しか出ない。


 モフモフした尻尾を揺らしながら、楽しそうに黄金の瞳で男を見上げる美しい少女。

 都市伝説・『楽園への案内人』で聞いた話と寸分のたがいなく合致する。



「あ、ああ、実は、その……悩みがあってね」



 男は動揺しながらも話し始める。

 少女はにんまりと笑って、うむうむとうなずいた。



「そうじゃろう、そうじゃろう。こんな端っこの席で、聞こえよがしにため息をついておったんじゃ。『聞いてほしい、でも自分から話すにはちょっと……』みたいな悩みがあるに違いあるまい!」

「うん、まあ」

「で?」

「……」

「なーにを黙りこくっておる。聞いてほしかったんじゃろ? 話してみい。わらわが、おぬしの相談にのってやるでな」

「…………」

「安心せい。わらわの姿は子供に見えるかもしれんが、こう見えて千年を生きた人生の大ベテランじゃからな。どのような悩みも聞いてやれるぞ」



 これも巷説の通り。

 千年を生きた少女。


 人類で一番長く生きられる種族でも、五百年も生きれば『長寿』扱いとなる。

 その倍を生きてなお若々しさ――どころか幼さをたもっているのだから、本当だとすれば人外化生(けしょう)のたぐいだろう。


 彼は周囲を見た。

 心なしか女性の多い冒険者ギルド。

 男性の姿はあるが、彼らはたいてい壮年から老年であり、若者の姿は見当たらない。


 そもそも、ギルドに人自体が少ない。

 もちろん他の街の冒険者ギルドと比較して、という意味だ。少ないとはいえ喧噪はあるし、街の大通りなんかと比べても充分に『ごった返している』という表現ができるだろう。


 それでも、多くの街を渡り歩いてきた冒険者ならばわかるはずだ。

 なんとなく活気がない、と。


 そして、誰も、男と、『千年を生きた少女』に視線を向けない。

 見えていないはずもなかろうが、気にするほどでもないと思っているのか――あるいは、目に映っていないのか。



「周囲なんぞ気にするでない」



 男があたりを見回していると、そのような言葉がかけられた。

 視線を戻せば、妙な古めかしい口調で話す獣人少女が、頬をふくらませている様子が見える。



「おぬしらはいっつもそうじゃな。抱えた悩みを打ち明けるのに、周囲の目を気にする。しかしな、人である以上、悩みを抱えるのは当たり前よ。ならばおかしいのは、抱えた悩みを堂々と吐露できぬ、社会の空気にある。違うか?」

「ああ、えっと……そうだと思う」

「で、あろう? ……まあ、羞恥心や社会性が邪魔をして、わらわのような子供の見た目の者に悩みを打ち明けられんのはわかる。けれど、一歩だけ踏み出してみよ。話すことで楽になる悩みもある。違うか?」

「……違わないような、気はする、かな……?」

「そうじゃろう。というわけで、話してみよ」



 それでも、男はまだ、『悩み』を打ち明けようか悩んでいたが……

 なぜだろう。

 少女の黄金の瞳をじっと見ていると、なんだか、話さなければならないような、話してしまってもいいような、そんな、ふわふわした心地になってくる。



「……あー……じ、実は……友達が、いるんだけど」

「素晴らしいことではないか! 友がいる! 苦界(くがい)たる現世を生きるうえで、それほど心強いこともない」

「……その友達に、嫉妬をしているんだ」

「ふむ? 詳しく述べてみよ」

「ああ……その、友達と俺とは、同業っていうか、同じような目的で活動することがあって……そいつは、いつも、俺の一歩先を行ってるんだ」

「ほう」

「あいつのほうがうまくやってる。俺は、その実力や努力を、もちろん知っているし、認めている。でも……なんだろうな。ふと、一人きりになった時とか、眠る前とかに、思ってしまうんだ。『あいつは運がいいだけなんじゃないか』『あいつが、俺の活躍の機会を奪っているんじゃないか』『あいつは上層部の連中に気に入られてるだけなんじゃないか』って」

「……」

「わかってる、こんなのはくだらない嫉妬だ。あいつには実力があって努力もしてる。わかってる。でも、でも――俺だって、努力をしてないわけじゃない」



 男のセリフにはだんだんと熱がこもってくる。

 もはや口から漏れる言葉は、男自身の制御さえ離れ、熱く、強くなっていく。



「どうして、同じぐらいがんばって、俺だけは認められない? どうして、あいつ以上に努力して、俺のほうが劣ってるんだ? あいつは、俺より若い。あいつは、俺より才能がある。あいつは、俺よりチャンスをつかんでいる。……不公平じゃないか? もし、同じぐらいの才能が、チャンスが、若さがあれば――あいつの場所にいたのは、俺なんじゃないかって」

「……なるほどのう」

「わかってる。何度も言うけど、本当にわかってるんだよ。こんなくだらないこと考えているあいだにも、成果を出すために努力したり、チャンスをさがして行動したりするほうが、絶対にいい。そんなことはわかってる。だっていうのに――嫉妬と焦燥で眠れない。なにか『運勢』が転がり込んでくればと、(ほぞ)を噛まない夜は、一夜だってないんだ」

「なるほど、なるほど。わかる。おぬしの抱えた悩み、わかるぞ」

「……本当に?」

「わかるとも! ああ、人の世の苦しさよな! 才能があれば! 若さがあれば! 機会をつかむことができれば! ――いいや、せめて、嫉妬する相手が、友でさえなく、敵であれば! 全力で恨み、そねみ、誰彼かまわず『あいつを嫌いだ』と言い散らせるものを!」

「そう! そうなんだ! 友でなければ! 友でさえ、なければ! 敵だったなら! ……でも、現実は変わらない。あいつは友で、俺はあいつに嫉妬し、この嫉妬は胸に抱えて生きていくしかない」

「そうじゃな」

「……」

「…………」

「………………『そうじゃな』だけ?」

「それは、そうじゃろう」

「解決策とかは……」

「知らんわ」



 少女は堂々と悪びれなく言い放った。

 男はおどろき、言葉が出ない。



「だいたい、おぬしの悩みは『わかる。こうすれば解決する』と方針を示したところで『それができたら苦労はない』と返ってくるヤツじゃろ。おぬしはおそらく、その悩みについての解決法をさんざん思い悩んでいるはずじゃからのう」

「いや、まあ、そうかもしれないけど」

「さりとてことが人間関係ともなれば、『行動してみる』というのも軽々にできんわな。おぬしは友人関係を続けていく気なんじゃろ?」

「まあ」

「人同士の関係というのはまこと複雑怪奇じゃからのう。なにがきっかけで壊れるかなんぞわからんわ」



 少女は「カカカ」と古くさい笑い声をあげた。

 ひとしきり笑って、



「面倒じゃのう、人間関係は」

「……」

「そして、おぬしは、どうにも、繊細じゃ。他者がスルーするような細かな部分が気になって仕方なかった経験など、あるじゃろう?」

「まあ、絶対にないとは言わないけど」

「かわいそうに。気にならないよう、無意識下で自分に言い聞かせ続けておったんじゃな。つとめて自分を鈍化させなければ生きていくのもままならぬほど、繊細な感性を持っておるんじゃろう」

「……そう、なのかな?」

「繊細でなければ、友情と嫉妬のあいだで悩むこともなかろう」

「……」

「おぬしはきっと、これからも人間関係で悩み続けることじゃろう。……けれどな、悪いのはおぬしではないぞ。おぬしのように繊細な者では生きていけない、社会が悪い」

「……」

「今までようがんばったのう。きっと、おぬしが心に浮かべ、しかし人間関係をおもんばかって口に出せずためこんでいたものが、大量にあるじゃろう。わらわが全部、聞いてやるぞ」

「……でも」

「人目など気にするな」

「……」

「はばからず、はき出せ。いくらでも、いい。そもそも、おぬしの間違いは、『自分が我慢しなければいけない』という思いこみじゃ。なぜ、おぬしが我慢する。おぬしでなくても、いいではないか。……たとえ普段の人間関係の中で我慢すべき立場におぬしがいるとしても、それは『ここ』ではない。じゃろう?」



 黄金の尻尾が左右に揺れる。

 金色の輝きが尾を引いて、キラキラと目にちらつく。


 男はふらふらとした足取りで少女に近付いていく。

 少女は待ち構えるように両腕を広げている。


 ――我慢しなくていい。

 普段、我慢すべきだとしても、そうすべき場所は『ここ』ではない。


 ここでは、我慢しなくていい。



「さ、わらわの胸に飛び込んでおいで」



 男は、少女の小さな胸にとびこんだ。

 そうして、声を殺して泣いた。


 その様子は周囲からも見えているはずだった。

 けれど、抱き合う男と少女のほうを見る者は、ギルド内に誰もいない。



 その日を境に、その男の姿を冒険者ギルドで見ることはなくなった。


 けれど、誰も不審に思わない。

 それは男がどうにもよそものらしく、もともとこのギルドで活動していた者ではなかったから、『よそに流れたんだろう』と思われたのか。


 あるいは――

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