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1話

「はああああ……どうしよっかなあ」



 立ち飲み席に突っ伏しながら、長いため息をつく男がいる。

 しかし彼の悩ましい吐息は冒険者ギルドの喧噪にかき消されて誰にもとどかない――


 はず、だった。



「なんじゃ、悩みがあるのか」



 突如聞こえた、鼻にかかったような幼い声に、彼は顔をあげる。

 キョロキョロと周囲を見回せば、いつのまにか、真正面に獣人の少女がいた。


 年齢は十歳前後だろうか。

 綺麗な金色の毛並みを持つ、大きな三角耳が特徴的な、かわいらしい少女だ。


 立ち飲み用テーブルからは頭の上半分しか出ないほど小柄な彼女は、「カカ」と、どこか老獪さを感じさせる笑い声をあげた。



「よいぞ、わらわに話してみよ」

「……いや、俺の悩みは、子供にわかるようなもんじゃないんだ」

「こう見えて千年生きておる、人生の大ベテランじゃぞ」



 獣人の平均寿命は五、六十年ほどと言われている。

 長命でおなじみのエルフでも、最大寿命は三百年だとか。



「まあまあ、わらわのことはよい。とりあえず、おぬしの悩みを聞かせよ」

「いや、しかし……」

「こんなところで聞こえよがしにため息などついてからに、誰かに聞いてほしかったんじゃろ? その役目をわらわが引き受けてやろうということじゃ。いいから話せ。ほれ、話せ」



 獣人少女はモフモフの尻尾をぶんぶんと振りながらねだってくる。

 男は数瞬悩んだが、たしかに誰かに打ち明けたかったし、相手が子供なら後腐れもないだろうと思い、打ち明けることにした。



「実は……転職を考えていてね」

「ほう、転職! 新しい人生のスタートというわけじゃな。よいぞ! 冒険者ならば変革を求めるべきじゃ! よし、わらわが許す。やれ! 見たところ剣士のようじゃが、次は魔法使いでも目指すか?」

「……そうじゃなくって、冒険者自体から足を洗おうかどうしようかって、悩んでるんだ」

「なんじゃ、そういう話なら、はよそういう話と言わんか」

「……」

「なんにせよ、転職を考えるということは、考えるだけの動機があるんじゃろ? ならばそれを聞いてみんことにはどうとも言えんのう」

「……実は、冒険者のノリになじめなくてね」



 男はフッと自嘲の笑みを口の端に浮かべた。

 それから、手にしていたジョッキを煽る。



「俺が聞いていた冒険者は、もっとロマンと夢がある、気高い職業のはずだったんだ。でも実態は、そうじゃなかった」

「どうじゃったんじゃ?」

「地味で、疲れて、臭くて、汚い」

「……」

「『ドラゴン退治』とか、『ダンジョン制覇』とかの人の口にのぼるような大活躍をするのは、ほんの一握りの選ばれた連中だけさ。実際は『下水掃除』とか『草むしり』とか……」

「ふむ」

「おまけに、パーティーを組む相手はむさいおっさんばっかり……! エロい格好をした女剣士とか、かわいい女魔法使いとかは、みんな大手冒険者クランに持って行かれて、出会いさえない……!」

「ふむふむ」

「しかも疲れるのに薄給! 一日下水で悪臭やこびりついたヘドロと戦っても、せいぜい三日か四日生きられるかどうかの給金。もちろん、切り詰めて、だ。贅沢をすれば一日だってもちやしない!」

「なるほどのう。では、辞めたらよかろう」

「でも、俺にはなにもないんだ」

「なにも?」

「そうだよ! なにも! ……十四歳の時に故郷を飛び出して、それ以来、この街で十年間冒険者をやってる。『いつかきっと大活躍できる』と信じて、ドラゴンの首でもとったら故郷に帰ろうって……だっていうのに、ドラゴンがいない!」

「いないのか。たまにクエストが出るじゃろ?」

「ドラゴン討伐クエストは、大手クランがあっというまに片付けちまう! 俺みたいなフリーで名も知られていない冒険者にクエストの存在が知られるころには、もうドラゴンなんか骨も残ってないよ!」

「それはつらかったのう」

「そうなんだ! ……何度もやめようと思ったさ。でも、俺には、下水の掃除方法とか、草の綺麗なむしりかたとか、そういうのしかないんだ。学もないし、技能もない。しかもずっと冒険者で、他の業種をよく知らない……」

「……」

「冒険者を続けるのも、他の業種に手を出すのも、どっちもひどい手詰まり感ばっかりが立ちふさがるんだよ。……俺はもう、本当に、どうしたらいいんだ……なにをしたら、この、どうしようもなく閉塞感ばかりの人生が風通しのいいものになるんだろう……」

「ふぅむ。なるほどのう。おぬしの悩みはわかった」

「わかってくれるか!」

「よおく、わかった」



 金色の獣人少女は、ふむふむともっともらしくうなずく。

 揺れる尻尾が曳く金色の残光をながめながら、男は、



「なあ、お嬢ちゃん、俺はどうしたらいい? 冒険者を続けるべきか、それとも、勇気を出して他の業種に行くべきか……」

「知らんけど」

「……は?」

「いや、わらわは悩みを聞くのが好きなんじゃ。しかし、解決方法は知らん」

「……え、いやでも、なんか、人生経験が豊富とかなんとか」

「人生経験は豊富じゃが、別になんでも解決できるわけではないからのう。わらわの人生の中に解決に使える方法があったら、もちろんアドバイスするが、おぬしの人生は手詰まりじゃな。なんも解決方法がない」

「えええええええ!? いや、そ、それはないだろ!?」

「たわけ!」



 一喝。

 その迫力は、幼い少女の、どこか鼻にかかったような声だったにもかかわらず、大の男が気圧されるほどであった。



「よいか、おぬし。そも、おぬしの失敗は悩むだけで結論を出そうとしているところよ」

「ど、どういう意味だ?」

「世の中には『頭で考えて解決策がわかる悩み』と『実際に行動せねば解決せぬ悩み』がある。そしてもう一つ、『絶対に解決のしようがない悩み』がある」

「絶対に解決しようがない悩みまであるのか……」

「そうじゃ。すべての悩みに答えがもたらされると思ったら、大間違い。……しかしな、おぬしは閉塞しているとは言うが、一歩だけ進んでおるのじゃぞ」

「……俺が?」

「そうじゃ。おぬしはグダグダ悩み続けることによって、おぬしの抱えた悩みが『頭で考えて解決策がわかる悩み』でないことだけは、判明させておるんじゃ。考えてわかる悩みなら、おぬしぐらいグダグダ考えていたら、とっくに解決しておるからのう」

「た、たしかに……?」

「であれば次は行動すべきじゃろう」

「でも、冒険者は手詰まりだし、他の業種だって……」

「わからんじゃろうが」

「いや、でも、しかし」

「わからんじゃろう。なにせおぬしは、どうせ、『他の業種』なんぞ試したことがないんじゃろう?」

「ないけど」

「だったら、試してみるまでわからんじゃろう」

「……」

「なあ、素直にならんか?」

「え? す、素直って……」

「おぬしの悩みの本質は、『冒険者を続けるべきか、他業種に行くべきか』ではなかろう?」

「……いや、え? 違うの?」

「おぬし――働かず、衣食住が保証され、ちやほやされる立場があったとしたら、どうじゃ? なりたいじゃろ?」

「なりたい」

「そうじゃろう、そうじゃろう。つまるところ、おぬしの悩みは『そこ』にあるんじゃ」

「『そこ』とは?」

「『働くのがつらい。報われている感じがない。どこかに充足感と快感があって、楽な生き方はないものか』」

「……」

「これがおぬしの、本当の悩みじゃ。違うか?」

「……いや、でも……」

「照れるでない」



 幼い少女は笑う。

 あまりにも妖艶に――笑う。



「人の身であれば、楽園を求むるのは当たり前。『モテたい』『楽したい』『けれど達成感がほしい』などというのは、人として当然の欲求じゃ。な~んも、恥ずかしいことではない」

「……」

「さ、わらわの前で、認めよ。『楽してモテたい。楽して達成感がほしい。働かずに生きていきたい』と」



 それは。

 それを認めてしまうのは、社会生物としての自殺と同じだと、男の直感は告げていた。

『誇り』『尊厳』の、死――

 つい復唱しそうになるのを、すべての理性を振り絞って留める。


 だが――



「つらかったじゃろ?」

「……え?」

「生きていくのは、つらかったじゃろ。褒めてもらえないのは、つらかったじゃろ? 報われている感じがないのに、生きていくためにあくせく働かねばならんのは、疲れたじゃろ?」

「……そ、それは……」

「褒めてやるぞ」

「……」

「被った『社会性』という皮を脱ぎ捨て、素直に己の願望を認めるならば、わらわが褒めてやる」

「……」

「抱きしめて、頭をなでて、『えらいね、よく正直になれたね』と、力いっぱい、おぬしに報いを与えてやろう」

「…………」



 男は己の喉がゴクリと動くのを感じた。

 いつのまにか両目からは涙があふれ、漏れそうになる嗚咽を歯をくいしばって耐える必要があった。


 ――これはバブみの押し売りだ。


 わかっている。目の前の金髪の少女の誘いはあまりにも甘美で、こんなにも自分に都合のいい存在、きっとなにか裏があるに違いない。


 それでも。

 己をさらけ出すだけで、褒めてもらえるというのは、あまりにも、あまりにも魅力的で。



「……はっ……はっ……はっ……」

「んんん? なんじゃ? はっきり、大きな声で、言うてみ? ん?」

「は、は……は、働きたく、ない……!」

「……」

「楽して、モテたい……! 楽して、達成感がほしい……! 働かずに、生きていきたい……!」

「よう言えたのう。……さ、わらわの胸に飛び込むがよい」



 少女はテーブルの横に動いて、両腕を広げた。

 男は、その小さな胸の中に飛び込み、おいおいとむせび泣いた。



「つらかった……! つらかった……! 大きなこと言って故郷を飛び出したせいで帰るに帰れないし、何年やっても冒険者としての芽は出ないし……! で、でも、働かないと……働かないと、生きて、生きていけなくって……!」

「そうか、そうか。つらかったのう。間違っとるのう、この世界は。おぬしは、なーんも、悪くないぞ。ただちょっと、働くのが苦手だっただけじゃからのう」

「う、うん……働くの、つらかった……! かわいい女の子との出会いもなくて、ちやほやも、されなくて……ぼ、冒険者になったのに! 強いモンスターを倒して、みんなに認められるために、冒険者……! で、でも、現実は全然、そんなのじゃなくって……!」

「もうよい。もう、つらいことは思い出さんでいい。ただ泣け。そなたに必要なのは、涙を流し、誰かに甘えることじゃ」

「う、うん……! ありがとう……! ありがとう……!」

「たっぷり泣いたら――あとのことは、あとで考えよう。のう」

「うん……!」



 男は童心に戻って泣いた。

 泣いて泣いて、泣きわめいて、冒険者ギルドに集う人々の目が男に集まるのも気にせずに泣き続けた。



 ――翌日。

 男の姿は、冒険者ギルドになかった。


 田舎に帰ったのか、他の業種を始めたのか。

 真相は誰にもわからない。


 ただ、その日以来、冒険者ギルド端の立ち飲み席には妙な噂が立ち始めることになる。


 いわく、『神隠しの席』。


 この席でため息をつくと、どこからともなく美しい少女が現れ――

 楽園へ連れて行ってくれるという。

 そんな、噂だ。

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