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ユメミ



夢の内容によって自分の内なる想いや心理、精神状態を分析したり占ったり。


まるで娯楽の延長にさももっともらしい理由をつけているように思う人もいるかもしれない。

が、故人が夢枕に立っただの、最後の挨拶に来ただの、睡眠によって得られる夢と霊的な何かを一緒にした故事成語や逸話は世界各地にある。


ユングやフロイトなど有名な深層心理学者も「夢」を重要視していた。

今はただ、脳みそが情報整理をしている時に見せるのだ、と何ともつまらない結論が大多数の人間の意見だろう。


しかし、不思議なことが起こればどうしてもレム睡眠だノンレム睡眠だと唱えたところでなにか別な原因があるのではないかと勘ぐってしまうのが人の心というものだ。







『ユメミ』








「今日は気をつけてね」


朝食の席、小学生の頃いつも時間ぎりぎりまで寝ている私は行儀が悪いがごはんを食べながら母親に髪を結ってもらっていた。


飾り気のないシンプルな紺のゴムで毛量の多い私の髪をグルグルと結わえながら母親は先ほどの注意を口にした。


「なんで」

「夢見がわるくて」

「ふーん」


別に母親にも霊感がある訳では無い。

ただ、古い土地特有のおまじないや土着信仰、母親の生家に伝わる決まり事、仏事神事を欠かさない「出来た嫁」だった。

別に変な新興宗教ではない。


念仏はナムシャカムニブツの曹洞宗だし、お墓も普通、仏壇も古めかしいが、普通。

祀ってある神様はよく分からないが(高いところにあるので子供の頃は見えなかった)商売をしている家に祀ってある神様など想像に容易い。


夢見が悪いから気をつけるように、と言われるのはこれが初めてではなかった。


幼い頃、保育園に放り込まれる前、広い庭を幼なじみと駆け回り、土を掘り返し、どれだけ土をつけずに苔を削げるか勝負したり、

家の敷地の裏手にある厩(マヤと呼ばれていた)に入り込んだり、そこの番犬のモクベエに今朝の味噌汁の出汁に使った煮干をあげたりと自由気ままに遊んでいた。


けれど、夢見の悪いと言われた日はそうしろと言われた訳では無いが、なんとなく遊びが大人しくなるのであった。

私が2年保育園に通い、二つ年上の幼なじみが1年保育園に通ったので、二人で遊んでいたのは私が3歳になるかならないかという頃の記憶ということになる。


朝ご飯の納豆ご飯と味噌汁を食べ終わるのを横で幼なじみが見ており、ご飯粒がまだ茶碗にある、だの箸の持ち方だのレクチャーされていた。


食べ終われば冷蔵庫からおやつのチーズを2、3持ち出しポッケに収め手を繋いで庭に出る。


小屋のガラクタをあさったり、漬物石をどこまで転がせるか勝負をしたり。


「夢見が悪い」と言われた日は不思議と家の中で兄弟姉妹のお下がりの爆発頭のりかちゃん人形や、片腕のない名前のわからぬ仮面ライダーの人形で遊んだり、積み木を家から持ち寄り、8mほど直線の廊下でドミノをしたり(真下が店舗なので怒られた)


そんな2、3歳の幼児と4、5歳の幼児たち。



そんな幼い頃から「夢見」という謎の言葉に無意識に行動が制限されるようになっていたのだから不思議なものである。




小学生頃の話に戻そう。


夢見が悪いからと言って、特に「ヤバイ」目にあったことは無い。

夢見なんて心の持ちようだ。

そう思っていた。


「アンブネ」


そう、曾祖母の声が聞こえたのである。

カルケットを求める時と同じ声で、確かに耳に入った。


母親とは違う声、とっくに祖父母、姉は朝食を済ませ台所にはいないし、

父親は新聞を読んでいるだけである。


聞き間違いではない。


「どんな夢?」

いつもは聞かない母親の夢の内容を、その時は訊ねた。


「えっ……トキおばあさんが出てきてね、アンタとお姉ちゃんの足を杖でつっつくの。

そしたらね、」


ギャア!!


突然の大きなカラスの声に母親の言葉が途切れた。


それからもアー、アー、グア、と何羽ものカラスの鳴き声が続いた。


「突然お葬式の場面に変わってね、親戚みんな集まっててさあ、お母さんびっくりしちゃって」


結局、誰の葬式かは分からないまま目覚めたという。

「けどあんたらの足突っついてたから……なんか気持ち悪くって。あーなんか朝からカラス鳴きも悪いし、やだね~、気をつけなよ」


私はランドセルを背負い、店から出ていく。店の前は国道だ。



ギリギリまで寝ていた上に母親の話まで聞いていた私は遅刻しないよう走って学校へと向かった。

今はローソンになってしまったお店の前の横断歩道を渡り、さらにもう一つ横断歩道を渡る。

なだらかな坂道を駆け上がり曲がり角で顔をあげれば墓地と寺が見える。

曾祖母の眠る墓。


そしてもう一つ横断歩道を渡り、同級生二人の家の前を通り過ぎれば小学校の長い下りの階段が待っている。


左右を二分する手すりにカラスが止まっていたのを今でも覚えている。


いつもならなんの躊躇もなく掛け降りるところだ。


しかし、


足、葬式、カラス鳴きに「アンブネ」


それらが妙に気になった。




その日は運動会の総練習の日だった。

ここまで書けば何があったのか想像できるだろう。


私は転んだのだ。


今でもはっきり覚えている。

クラスの中でも足の遅かった私は、運動会で走る組がいつも決まっていた。

予め測定していたタイム毎に区切られ、私は支援学級に行く程でもないクラスメイトとともに走る。


小学一年から六年までそのメンバーは変わらない。


一番最後にスタートした子供の頃の私は一番遅い組で一番早かった。

が、サッカーのゴールネットの裏に差し掛かった時である。


私は転んだ。

何かに足首が引っかかった……と言うよりは、思い切り打ち付けたような感覚だった。


もちろん競り合う様な生徒はいなかったし、足首に何が引っかかるようなものがあるはずもない。

しかし足をくじくような感覚でも、滑った様な感覚でもない。


膝から血を流しながら私は完走した。

今でもその膝の傷は消えず、怖がって取れなかった小石は再生した真皮の下に埋まり、黒い色を覗かせている。


何でもかんでも関連付けてあーだこーだ言いたいわけではない。

現に、他の夢見が悪いという日は何も起こらなかった。


けれど、子供の頃のこの気味の悪い事件は大人となり子供を生んだ今でもありありと思い出す。


ただの夢に曾祖母という要素が加わるとまずいのかもしれない。

生家から遠く離れた地に嫁に行った今、子供の頃のような頻度で曾祖母の声を聞くことは無くなった。


もう母の夢見と曾祖母の声が重なることは無い……と思いたい。





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