001:ウルシュ・ファニ・スネイブル 形式上の行儀見習い生活
ロッテンシュタイン嬢の肩に担がれたまま公爵家の屋敷に入った僕は、驚いて振り返る使用人達の視線に見送られながら、屋敷の奥へと連れ去らわれて行った。
しばらく屋敷内を徘徊していたロッテンシュタイン嬢だったが、入り口が開け放たれていた一室に目的の人物を見つけたようで、僕を担いだままその部屋へと飛び込んで行った。
「アルフレッド! ショーンJr!! 二人そろって居るなんて都合がいい! ですわ!!
話があるんだでしてよ!!」
その声に部屋で話をしていた様子のアルフレッドさんとショーンJrさんが、会話を止め振り返ったようだった。僕も二人を見ようとロッテンシュタイン嬢に担がれたままの状態で首を捻って様子を伺う。
年配のようだが体格がよく、髪を短く刈り上げた上等そうな衣服を身に着けた丸眼鏡の紳士が、僕を担いだロッテンシュタイン嬢に応答する。
「話がある、了承致しました。ではイザベラお嬢様、お話をどうぞ」
そこに間髪入れず、その隣に居た黒髪を後ろに撫でつけた長身瘦躯の男性が重ねる。
「まず、その担がれている少年について優先的にお話頂けますよう、よろしくお願い致します。あと何度も申し上げておりますが、私の事はショーンJrではなく、ファーディナンドと正しい名前でお呼びください。この屋敷には、私の父を含めてショーンJrという名前の者が3人存在しておりますので、混乱が生じます」
「覚えづらくて咄嗟に出てこないのだが善処しよう。さて、アルフレッド、ファー……ふふンド、紹介しよう。これはウルシュだ。空いてる部屋に住まわせたいのだが、どこか良い感じの部屋はないか。……しら?」
ロッテンシュタイン嬢のその言葉にファーディナンドと名乗った紳士が返す。
「そもそもその少年はどこから連れてきたのですか?」
「外で暇そうに蟻を観察していたから誘拐してきた」
誘拐って言った。ロッテンシュタイン嬢、悪びれる様子もなく誘拐してきたって言った。
「元の場所に戻して来てください。我々も拾って来られて許容できる生き物と、許容できない生き物がありまして、よそ様のお子様は許容できない生き物に分類されます。ですので、元の拾ってきた場所に戻して来てください。今すぐに。早急に」
「ちゃんと自分で世話をして、ちゃんと立派な相棒に育てるから許可して欲しい。最後までちゃんと面倒を見るから………アルフレッド、お願いするますわ」
ロッテンシュタイン嬢はお願いしている途中で、ファーディナンドさんへの説得は無理だと判断したのか、アルフレッドさんに狙いを定めて頼みだした。
その一連の流れを受けてアルフレッドさんは、少し悩んでいる様子で口を開いた。
「誘拐してきた、把握しました。なんの事前連絡もなく誘拐をされて来られますと、我々も予定していた仕事の変更を余儀なくされますので、急な誘拐は極力控えて頂きたいのですが、さす……」
「アルフレッドさん、誘拐は『極力控えて頂く』ではなく『原則禁止』にして下さい」
アルフレッドさんの発言にかぶせる形でファーディナンドさんが言うも、アルフレッドさんはどちらかといえばロッテンシュタイン嬢の味方なのか、首を横に振った。
「さすがに血は争えませんので、このまま許可を出さずにいれば、イザベラお嬢様がそのウルシュ少年を連れて国中……いえ、大陸中を逃げ回る可能性がおおいにあります。これはもう血筋というか、ロッテンシュタイン家の性質なのかもしれません。ここは一度、少年を行儀見習いとして預かるという形で、屋敷への滞在を許可いたしましょう。おそらくウルシュ少年は現在商談にいらしているスネイブル商会のご子息だと思われますので、旦那様と奥様に状況報告をして、スネイブル商会を説得して頂く事にしましょう」
その後、当事者であるはずの僕自身の意見を聞かれる事もなく、どんどんと話が進んでいき、僕はその日の夕方には行儀見習いのお仕着せに着替えさせられ、しばらく住む事になる部屋に案内されていた。
ロッテンシュタイン嬢には、まだ専属メイドなどは付いて居ないらしく、使用人の中でも比較的ロッテンシュタイン嬢の身の回りを担当する事が多いらしい、マリーさんと言う若いメイドさんが僕の形式上の先輩として面倒を見てくれる事になった。
急な抜擢だったにもかかわらずマリーさんは、大姉弟の長女だという事もあり、二つ返事で快く、僕の形式上の教育係を引き受けてくれたらしかった。
ちなみに『形式上』というのは、ロッテンシュタイン家とスネイブル家の話し合いの結果、僕がロッテンシュタイン家に行儀見習いとして滞在するのは、一時的な対応であり、将来的にはスネイブル家に戻る事を前提として、両家の交渉がまとまった結果だった。
ロッテンシュタイン家側としては、このまま三女の希望通り侍従として正式に雇いいれたいという事だったが、スネイブル家側がそれを拒否したらしい。
スネイブル商会が大陸中に支店を持つ大商会にまで大きくなっている事は、僕も知っていたけれど、まさか公爵家の要望を突っぱねるとは思っていなかったので、その話を聞いた時には驚いた。
ロッテンシュタイン家は好待遇かつ公正な雇用契約書を作成し、正式に国に提出する事まで条件に含めて、誠実に交渉してくれたらしく、父さんと祖父はそれなら悪い話ではないと判断したのだけど、僕に全く興味を持っていなかった母さんが、断固拒否して譲らなかったという。
公爵様と祖父と父さんが、なんとか母さんを説得しようと試みたようだが、ここでロッテンシュタイン公爵夫人が同じ母親として思う所があったのか、僕の母さん側に付き、母親二人との交渉が上手くいかずに男性陣は膝を付くことになった、結果的にかなり譲歩して『一時的に(形式上)行儀見習いとして滞在する』という所で落ち着いたらしい。
その交渉の場にやっぱり当事者である僕は呼ばれる事は無く、僕の意見は聞かれないままだった。
不服と言えば不服だったけれど、流石に公爵家と商会の大人達の話し合いに、6歳の僕の意見が通るとも思えなかったし、よくよく考えてみれば、どうしても自宅に戻りたい理由もないしで、まぁどっちでも良いか。という気持ちだったから、流れに身を任せる事にした。
それからロッテンシュタイン家での、形ばかりの行儀見習い生活が始まったのだけれど、僕が今まで認識していた高位貴族の屋敷での使用人生活とは違い、ずいぶん快適だった。
これまで父さんの商談に付いて行き、色々な屋敷の様子を馬車から見ていたけれど、おそらくロッテンシュタイン公爵家の雇用環境は、他家と比較してもかなり待遇が良い部類になるのだろう。
どの部署の使用人ものびのびと働き、三食と30分の昼寝付きだけでなく午前と午後のおやつ休憩もあり、穏やかに過ごしていた。
離職率がかなり低く、使用人界隈では、ロッテンシュタイン家は高位貴族の屋敷の中でもトップ5に入る程に、競争率の高い職場であるとファーディナンドさんから教えて貰った。
使用人界隈ってなに。そんな界隈があるの?
そんな好待遇で穏やかな使用人達の生活とは対極な生活を送っているのが、ロッテンシュタイン嬢。イザベラお嬢様と、ついでに時々巻き込まれる僕だった。
不定期に日の出前からロッテンシュタイン家の次男であるダイモン様から、まず僕が叩き起こされ、30秒で支度をさせられる。
その後、ダイモン様が率いる警備関係の部署の使用人さん達と共に、イザベラお嬢様の寝室に、閃光破裂玉という大音量と共に閃光を放ちながら破裂する室内用の魔道具を投げ込み奇襲をかけて、イザベラお嬢様が無事に対応できれば、そのままダイモン様や戦闘職系の使用人さん達と共に、イザベラお嬢様が早朝訓練開始。
僕は訓練参加は免除されていて、ちょっとした記録や片づけ、早番の使用人さんが用意した飲み物を、イザベラお嬢様や訓練に参加している使用人さんに配って、後は訓練が終わるのを待つ。
もしイザベラお嬢様がきちんと襲撃に対応できなかったら、この早朝訓練にペナルティが課せられるらしいけど、今のところペナルティが適応されたところを、僕は見ていない。
っていうか、あの閃光破裂玉って、室内にいる武装集団とか敵対勢力を制圧する為の魔道具だと思うのだけど、6歳の令嬢の寝室に投げ込むのって、高位貴族の界隈では、あるあるなの?
未だに襲撃訓練のたびに、内心ドン引きしてるんだけど。
イザベラお嬢様の早朝訓練が終わり、通常の令嬢としての朝支度が終われば急いで朝食を済ませ、家庭教師を迎え様々な授業を受ける。この授業には僕も参加を許されていて、商会では学ぶ機会がないであろう勉強が出来て、ここに滞在するのも悪くないなと思った。
午前中の授業はほぼ毎日あるけれど、昼食後は隔日で家庭教師が来るので、その時は午後もみっちり授業を受ける。
午後から家庭教師が来ない日は、ダイモン様がイザベラお嬢様に課題訓練を出している事があって、課題があればイザベラお嬢様は夕食時までそれをこなす。その間僕は、ちょっとしたお手伝い。
夕食後はやっと自由時間になるので、就寝時間までは2人で気ままに過ごしていた。
初対面の時にイザベラお嬢様は『友達が居ない』と言っていたが、こんな生活では友達なんて出来るわけがないと、僕は数日で理解した。
あと、ロッテンシュタイン家は現公爵が、現在は宰相職に就いてはいるものの、元々はロゼリアル王国軍の大佐かつA級冒険者だったという事と、次男のダイモン様が近衛騎士団に所属しているものの、ロッテンシュタイン家自体は、別に武官の一族ではないという事を知った。
そう、ロッテンシュタイン家は武官の一族では無い。
だったらイザベラお嬢様は日の出前から襲撃訓練だとか、早朝訓練とか課せられなくても良くない?
隣国にお嫁に行った長女さんは、通常の淑女教育を受けていたらしいし、次期辺境伯と婚約中の次女さんは、10歳の時に義務付けられているステータス確認で、魔術特性を持っている事が確認されてからは、学園入学までの間に魔術訓練や基礎程度の戦闘訓練は受けていたものの、それまでは長女さんと同じように淑女教育を受けていたと、他の使用人さん達から聞いた。
同年代の高位貴族の令嬢が、本来なら必要のないであろう戦闘訓練を過度に課せられている事に疑問を持ちつつ、それにより彼女が友人も作れない孤独な状況に居たのだと思えば、僕が傍に付いてあげようと、ずっと隣にいてあげようと、そう思った。
そして、それこそが『僕達が何よりも望んできた形、そう成るべき約束された関係』だと、根拠もなく、だけど強い自信を持って、確信していた。
『約束』なんて、交わした覚えはないけれど。