001:ウルシュ・ファニ・スネイブル 全ての始まり
僕の母さんは弟を産んだ後、『さんごのひだち』が悪いらしくて、ずっとベッドから出られない。
兄さんは商店を継ぐために、勉強しに小学校に行ってるんだ。
弟は赤ちゃんだから乳母さんが見てる。
僕も10歳になったら小学校に行くらしい。
でも、今はまだ6歳だから家でお留守番。
だから父さんが、僕が一人で寂しいんじゃないかって、商談に連れて行ってくれるんだけど………
正直、家か店に残っていた方がマシだと思ってる。
連れて行かれても結局は馬車の中でお留守番だし、馬車の中は退屈。
だけど馬車から出た時に、ウッカリ商談相手の貴族の子供に見つかったりしたら、庶民だからって散々馬鹿にされたり、酷い時には暴力を振るわれたりする。
イジメられ続けて、最近自分の見た目が嫌いにもなって来た。
目が細いから、目が開いてるのかどうか分からないって馬鹿にされるし。
フワフワとまとまりの無い髪も、中に何か住んで居るんじゃないかって揶揄われて、掴まれるし。
もう貴族なんて偉そうだし、意地悪だし、嫌いだ。
そう言って父さんに行きたくないって言えれば良いんだけど、父さんが僕たちの為に、一生懸命に仕事をしている事も、3人兄弟の真ん中で放置されがちの僕を心配している事も知っているから、父さんに心配をかけたくなくて言えずにいる。
今日、父さんに連れられて来たのは、ロッテンシュタイン公爵のお屋敷だった。
敷地が広く、門を通ってからお屋敷まで馬車で10分もかかる。
門の中なのに林と森が有る。あ、小川も流れてる。
これは、もはや『庭』では無いよね。
何でも公爵というのは爵位の中で一番上らしくて、王家の次に偉いらしい。
現ロッテンシュタイン公爵はこの国の『宰相』っていうのをしているそうで、その奥さんのロッテンシュタイン公爵夫人は、今の国王の妹さんなんだって。
その公爵ご夫妻が父さんを呼んだのは、隣国の王太子に嫁いだ長女さんの誕生日プレゼントを贈る為らしい。
王太子って、あれでしょ?次の王様になる予定の人でしょ?
と言う事は、その長女さんは隣国の次期王妃って事だよね?
ロッテンシュタイン公爵家って権力凄くない?
あぁ、嫌だなぁ。
今までの貴族の家よりずっと偉そうで、意地悪な人が居るんだろうなぁ。
絶対に、今日は馬車から出るの止めておこう。
─────って、思っていたんだ。4時間前までは。
………公爵ご夫妻、買い物長いよ。
確かに荷馬車を3台連れてきた時点で長いだろう事は予想していたけど、4時間以上かかるとは思わなかった。
我慢できずに馬車を降りる。
商品の上げ下ろしをしているウチの店員達の、邪魔にならない所でしゃがみ込む。
あ、蟻の行列だ。
餌を巣に運んでいる蟻たちと、商品を持って屋敷と荷馬車を往復している店員の姿が似ていて、少し面白い。
「君は、そこで何を見ている………のかしら?」
歌う様な澄んだ綺麗な声。
その声に顔を上げると、今まで見た事もないくらい綺麗な女の子が居た。
金貨を溶かして糸にしたような輝く金髪。
青く、深く。それでいて吸い込まれるような透明感のある瞳。
その瞳を華やかに縁取り、飾るような長い金色のまつげ。
白く透き通った陶器のような肌。
妖精?それとも、まだ子供の女神様?
なんで、こんな所に居るんだろう?
なんでそんなに楽しそうな、嬉しそうな、顔を僕に向けているんだろう。
そういえば、何かを聞かれた気がする。
何だっけ? ………何を見ているのかって聞かれたよ………ね。確か。多分。
「………………蟻?」
あ、疑問形になっちゃった。
この綺麗な子に、自分の見ている物も分からない子だと思われたらどうしよう。
そんな僕の心配を他所に彼女は顎に手を当てて、目をキラキラさせて、嬉しそうな笑顔を深めていく。
一体どんな凄い事があれば人は、こんなに嬉しそうな表情が出来るのだろう。
なんだか見ている僕まで嬉しく、楽しい気分になっていく。
「と、いう事はっ!! 暇なのだなっ!!……ぁですわ!! よしっ!! 私と友達になろうじゃあないかっ!!…………しら!!」
………………。
………………………。
……………え。…………………………何で?
今、彼女は『友達になろう』って言った?
誰に?
僕に?
え? 僕?
なんで僕?
……………僕は彼女の友達に相応しく無いんじゃないかなぁ。
考えている間にも、彼女は期待を込めたキラキラした瞳で僕を見つめている。
「あのぉ…………。そもそもどちら様でしょうかぁ?」
おそらく、この高そうなドレスを見る限り、そしてこの場所にいる事を考えると公爵家の関係者なんだとは思う。
思うんだけど………言葉遣いというか、王都暮らしの貴族子女としての立ち振る舞いに慣れて無さそうなので、一応確認してみる。
「これは失礼致した。……致しました。私はロッテンシュタイン公爵家が三女。イザベラ・アリー・ロッテンシュタインと申すものですわ」
公爵家の三女さんだったかぁ………。
宰相のご息女というよりも、武官の娘が礼儀作法を習い始めたばかりみたいな雰囲気があるけれど、この金属質な髪色は王家の血を引いてる証拠だから、嘘は言っていないんだろうなぁ。
ただ、そうなると僕が彼女の友達になるのは難しそうだ。
残念だけど僕は商人の次男で、公爵家の……それも王家の血をひく令嬢の友人になることなど出来ない。
「初めましてぇ。僕はスネイブル商会の次男。ウルシュ・スネイブルです。大変名誉なお誘いありがとうございます。ですが、僕は平民なのでロッテンシュタイン嬢の友人となるに相応しくありません。大変申し訳ございませんが、そのお誘いを辞退させていただこうと思います」
こんな感じで大丈夫かな?
失礼な物言いになって無ければいいんだけど………。そう考えながらロッテンシュタイン嬢の様子を伺う。
もしかすると怒り出すのではないかと心配している僕をよそに、ロッテンシュタイン嬢は首をひねって何かを思案し始めた。
「ウルシュ……ウルシュ? ん〜? どこかで聞いたような………いや、無いな。いや、どうだ? 」
何故か僕の名前が気になるらしい。
スネイブル家は商会としても、そして巷で毒竜の一族だなんて揶揄されているのもあって、聞き覚えがあるのかもしれない。
だけど、彼女は僕自身の名前。僕のファミリーネームではなく、ファーストネームが気になっているらしかった。
僕の名前に何かあるのだろうか?
自分と同じ名前の人なんて、これまで聞いたことがないから、同名の知り合いが居たとも考えづらいし……………じゃあ、何か語源というか名前自体に何かあるのだろうか。
蟻の行列の前で、ロッテンシュタイン嬢と一緒に頭を傾げる。
僕の家……スネイブル家は、代々息子に『ウ』に近い音から始まるファーストネームを名付けるらしかった。
僕ら三兄弟の名前も、長男から順に『ウォルター』『ウルシュ』『ウェズリー』と『ウ』に近い音から始まる。
娘の場合は、お嫁さん側の家系、もしくはお婿さん側の家系に因んだ名前を付けるらしいけど、例外があって、スネイブル家の一族に時々産まれてくる『鑑定に似たスキル』を所持している可能性がある場合は、娘であっても『ウ』に近い音から始まる名付けを行うらしい。
ちなみにその可能性の判断基準は、名付け前に新生児である女児に対して【看破】スキルの発動をして、はじき返すか返さないかで推定する。
僕が産まれる前に、10歳くらいの若さで亡くなった叔母は、新生児の頃に【看破】をはじき返し、成長と共に『鑑定に似たスキル』を所持していると断定されたそうだ。
そんな叔母さんの名前は、『ウェンディ』という『ウ』に近い音から始まる名前だったと聞いた。
何故そうなのか今ではもう理由が分からないらしいけど。
僕は父さんの家系側の顔立ちらしくて、スネイブル家の美しい顔立ちでは無いから、可愛い衣装が似合わなくて……それで母さんから興味を持たれていないのに、僕の名付けだけは母さんが譲らなかったと聞いた。
綺麗な顔で母さんのお気に入りな兄の『ウォルター』と弟の『ウェズリー』は、お爺ちゃんが名付けたそうだけど、何故か一番興味を持たれていない僕だけ、自分が名付けると言って聞かなかったらしい。
それが嬉しくもあったから、深く考えていなかったのだけど。
でも、今一度よく考えればどうしてだろう? と思う。
僕の『ウルシュ』と言う名前に、何かあるのだろうか。
もしかして、ロッテンシュタイン嬢が僕の名前に引っ掛かりを覚えている事に、関係があるのかもしれない。
自身で考えても分からず、ロッテンシュタイン嬢が結論を出すのを待つことにした。
だけど、ロッテンシュタイン嬢は疑問に結論を出せなかったらしく、思考を中断して顔をあげると僕に向き直って言った。
「まぁ、良かろうですわ。ところでウルシュとやら、友人に相応しいも相応しくないも無いだろうですのよ。私は友達というものが居ないのだ。私の最初の友達になってはくれまいか……くれないかしら」
「でも身分差が大きすぎますよぉ。友人関係というのは対等だからこそのものだと思うのですがぁ」
「ふむ。確かにお母様も言っていたな。『女という生き物はね〜、心から対等と判断した者以外は、友達だと認めないから、気をつけるのよ〜』とな」
ロッテンシュタイン嬢は母親の口真似をしているのか、おっとりふわふわした口様で、母君が言ったという強めの思想を披露してくれた。
「一応、もしかしてぇ誤解があるかもしれないので説明させて頂きますけどぉ……僕の性別は男ですよぉ。それと、思想や価値観は性別に限らず人によると僕は思うのですけどぉ………」
ロッテンシュタイン公爵夫人は元王女様と聞いている。これまでの人生の対人関係で何を学び、どういう過程でそう言う結論に至ったのかはわからないけれど、なんとなく貴族女性達の人間関係が少しだけ垣間見えたきがした。怖いなぁ。
「流石に男子だという事は理解している、ですわ。少し………『スロウス・インディゴたん』に似ているとはいえ、ウルシュの性別を見間違えているわけでは無い」
そう言ったあとロッテンシュタイン嬢は、僕を観察しながら小声で『改めてよく見れば、結構似ているな………』と呟いた。
「スロウス・インディゴタン嬢? がどなたか存じ上げませんが身分も性別も違う僕と友人関係を結ぶ事は出来ないと思うんですよぉ」
そう言って諦めて貰おうとするが、ロッテンシュタイン嬢は名案を思い付いたと言わんばかりの表情を浮かべると、両腕を大きく広げて宣言した。
「よし、決めたぞウルシュ。今日からお前は私の相棒だっ!!」
そう言うが早いか、僕の理解が追いつく前に、彼女は僕にタックルを仕掛けてきた。
「ふぉぐぅ!?」
そうしてタックルの勢いのまま僕を肩に担ぎあげると、そのまま軽々と走り出した。
……??? へ? え?
いやいやいやいや……………………。え? 噓でしょ?!
どういうこと? え? 今どういう状況?
ちょっと待って? 何コレ? 僕の身に何が起きてるの??
これまでの6年間の人生における経験や知識をフル稼働しても、理解が及ばない事態に、僕は、今、遭遇してる!!
流石に戦闘力を重視しているロゼリアル王国とはいえ、宰相って文官職だよね?
世襲の役職じゃないにしても、宰相を輩出してるっていう事は文官系の家系だよね? そうだよね? そうであって欲しい!!
そして、そこのご令嬢が、僕と同年代位のご令嬢が、肩に同年代位の男子の僕を担いで走ってる??
僕の方が少し身長が高かったはずなのに?
ロッテンシュタイン嬢は低めとは言えヒールのある、デザイン重視のピカピカで硬そうな靴を履いているのに、余裕でどこかに向かって走ってる!!
「ねっ、ねぇ!! どっ………どこに行くのぉ?!」
彼女の肩の上でがくがくと揺れながら、自分がどこへ運ばれているのかを問いかける。
こちらの質問に気づいたロッテンシュタイン嬢は、走りを止めぬまま答えた。
「アルフレッドか、ショーンJrの所ですわ!!」
「誰っ?! アルフレッド誰ぇ?! ショーンJr誰ぇ?!」
聞いたはいいものの、その返答は僕をさらに混乱させる。
ショーンJrと呼ばれた人が、ショーンっていう人の息子だろう、という事しか分からない!!
僕をそこの人達の所に連れて行ってどうするつもりなの?!
っていうか現時点でどちらに連れていくのか、未定なの?!
「大丈夫だ。私の予想だと、上手く行くハズ………な気がするっ!!」
全然大丈夫じゃない!! 僕は全然大丈夫じゃない!! 今の時点で大問題発生してる!!
しかも大丈夫と言っておきながら、『ハズ』じゃ困るよ!! 『気がする』じゃ困るよ!!
「分からない!! なにも分からないよ?!」
「だから、私に全て任せろでくださいませ!!」
「任せられないっ!! 何一つ任せられないよぉ!! 駄目だ会話が噛み合わない!! 怖い怖い怖いっ!! 同じ言語を話している筈なのに、言葉が通じてる気がしないよ!!」
そうしてその日、6歳の僕は、同じく6歳の公爵令嬢に誘拐された。
*自分と同じ名前の人なんて、これまで聞いたことがないから、同名の知り合いが居たとも考えづらい
の部分について
ウルシュと言う名前が実際に存在するのか不明です。知りません。
ウルシュ・ファニ・スネイブルは、羊の皮を被った蛇のイメージで当初キャラ制作したので
ウール(羊毛)+売主(アイテム販売キャラ)=ウルシュ
スネーク(蛇)+イビル(邪悪、訛ってイブル)=スネイブル
ファニ=ファフニール(毒竜で蛇またはワームタイプのドラゴンとされている)
で、組み合わせて決めた名前なので、もし現実に実在する名前だったとしても、この世界ではあまり聞かない名前という設定で、よろしくお願いいたします。