2つ目の出来事
求めれば失望が熟まれ
愛すれば憎しみが熟まれ
望めば消えて逝く
何も求めなければ
感情が破壊する
幼少期の人間形成の中で一番自分自身の本質が出来たのかも
または切っ掛けだったのかもと思える事だ。
幼稚園の年中の時に腎臓病で約10か月程入院した。
当時は治るまで何か月でも入院出来た。
まだ幼い母に一番甘えたい盛りだし、親と離れる生活なんて考えも出来ない時に
一人全く解らない環境に置かれてしまう不安と恐怖で一杯だった。
昔の病院は、それこそ刑務所の様な暗い雰囲気だったから
子供にしたら完全に刑務所生活と同じ状況だった。
この1年近くの事は今でも鮮明に覚えているし
今でも思い出さない様に自分自身の中で長く封印させていた部分でもある。
子供病棟の部屋には小学生以上の、お姉さん達ばかりが5人居て自分を入れて6人部屋だ。
初めて病室に入った瞬間に感じた嫌な空気感。
母は皆に
「宜しくお願いします」と丁寧に挨拶して周る。
私は左側の真ん中のベッドから恐々と頭を下げる。
母が色々と、これから長い入院生活に備えて
ベッドの横の棚に食事セットや洗面具や着替えなど準備してから
先生と今後の話を聞く為に一旦部屋を出た。
嫌な空気が一瞬にして流れる中、何も解らない恐怖と
これからどうなるのか不安と寂しさと孤独感で一杯だった。
5人の皆は、もう長く入院しているみたいで仲良さそうに
笑いながら会話し私の様子を見ている。
一番大きい子が「あんた名前は?」と初めて言う
「れん」と小声で言うと
「れん?蓮根のれんか?」と言うと皆大笑いした。
何かを悟った瞬間だ。
母が来てしばらく側に居てくれたが
初めての夕食時間が終わり母の帰る時間になると
「また明日来るから、いい子にしてるのよ」と言う。
私は何も言わずに、ただただ泣いていた。
一番主みたいな子が母に
「大丈夫ですよ、みんな初めは泣いてるから、直ぐに慣れます」
と大人びた口調でいい
母は安心した様に
「ありがとう。何かと迷惑掛けるかも知れませんが、これから宜しくお願いしますね。」
と言う。
私は心の声で
(違うんだよん!お母さん!その子に騙されちゃ!怖いよん!その子怖い子だよん!)
と叫ぶが声に出せない。
母が帰り案の定、私の悪い感が的中する。
ここから退院迄の1年近くは壮絶な子供社会と
虐めとの闘いを体験する。
子供ながらに陰湿で汚い虐めに人間社会の過酷さをも知る。
初めての夜
消灯迄の時間は先生や看護師さんが来てくれたり
顔や歯を洗ったり明日の検査の事などの話を解る範囲で教えて貰ったりで
意外と忙しく寂しい感情が少しは薄れる時間だが21時の消灯からは
長い長い暗闇の魔の時間になる。
皆まともに寝るはずが無く
そこからの長い夜の時間は幼い私には魔の時間だ。
同室の、お姉さん達のイビリが始まる。
私だけを無視したお喋りだったり
またここでも母の上品は行動と話し方の嫌味な言い方に苦笑されたり。
私の寝てる上を前方に左右から、色んな物が飛んで来たり。
そんな日々の中で緊張と恐怖で、おもらしをしたら
「汚ね!赤ちゃんか!?」と罵られ
あげくに嫌な看護師さんにも
「また汚して!世話掛けないで!」なんて言う
そんな中で唯一
一人優しい看護師さんがいて
「大丈夫?言えなかったのよね。気にしなくていいのよ」
と言って
時間のある時は病室に来ては折り紙でお花や動物など色々折ってくれて励ましてくれた。
それが唯一の救いだった。
そんな時、母が夜は一人で寂しいだろうからと
元気な時に、おねだりしていた、大きなお人形を抱えて持って来てくれた。