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月の影   作者: 煉
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第一章 闇

    

         第一章


自分が生まれ育った環境は、ごくごく普通で人並み以上でも以下でもなく

世間一般の普通の家庭だった。

普通の両親に普通の姉が一人。

そんな中で何故狂気的な自分が存在して行くのかを誰も知るよしもない。


普通の幸せな家族と世間から見られていても自分自身の中では完全に違った。

普通の家庭なのに、やたらと躾けが厳し過ぎる。


いつも、この親何処を目指してるんだ?

  と思う程に仕付けを徹底させられる。

子供ながらに

  「身分相応でいいじゃないか!」と心で叫ぶ。

6歳頃から

靴の脱ぎ方揃え方。

ご飯の食べ方に配膳の仕方。

後片付けの時の洗い方、拭き方に直し方。

テーブルの拭き方に布巾の洗い方干し方。

服の脱ぎ方に揃え方に直し方。

お風呂などの掃除の仕方に

片づけの配置などなど

   書いてたら切りがない。

これだけで一冊の本が出来る位に、まあ~なんと言っても細かい!

細かすぎて五月蠅せ!

殆ど躾けと言う名目で、ただ自分の思うようにさせたいだけじゃん!

自分の満足する、やり方、方法をさせてるだけの厳しさ。

 そんなもんだから息苦しい苦しい日々。


それでも褒めてさえしてくれれば嬉しいし希望も見いだせるのに

なんせ、自己満足の世界に子供を押し付けるのだから母も満足する訳がない!

だって母親のように出来る訳が無いでしょ。

まして相手は子供だよ!


一番苦しかったのは、親達と食事をする時

父親も超厳しいと言うか

この親も少々狂気的な要素がある感じのタイプで怒ると切れる 

6、7歳ぐらいの子相手に

まじキレで殺人者の様な目で睨み利かせて、打つ、怒鳴る。


そんな環境なもんだから褒められる所か

なんでもかんでも怒られっぱなしで褒められた経験無し!

 

それに2人して一緒に怒るもんだから逃げ場所も無い。

そんな場での食事は一番緊張する時間。


もしも、おそそをして溢したりしたら大変!

本当は?世間には楽しい食卓時間が修羅場化する。

まだ小さい子は、そんな緊張で、まともに食事出来るはずがない。

緊張で食器を落としたり

ご飯をこぼしたりが酷くなると

今度は、わざとしてるように思われる。


歯磨きタイムでも

歯磨き粉の量が少しでも多いと怒鳴られるから

緊張して、よけいに多く出るし

それを見つけられると緊張と怖さで

歯ブラシに乗っけた歯磨き粉が洗面台に落ちて怒鳴られる。

「拾って明日使え!」と頭を打つ。


食器の片づけでも拭き方に洗い方でも悪いと怒られ

もう一度させられるが母が結局やり直す。

「それなら初めっから自分でしろよ!」

「そっちの方が水の無駄遣いだろ!」

   っと何度も心で叫ぶ小学生。

そんなもんだから、だんだん手伝いもしなくなる


「何をしても喜んでもらえないし、怒られるだけなら

    しないで怒られる方が、まだましじゃん!」と

心で自問自答する


「だってねぇ、動力使って

   しんどい思いして怒られるなら

   楽して怒られる方が、まだましだし

    そっちの方が怒られても、まだ我慢出来るだろぅ?」

        と自分の中で納得させる。

 

それから、どんなに怒られようが

手伝いに自分の身の回りの片づけも殆どしなくなり

母は益々怒りっぽくなって

父に私の不満や出来事を告げ口するようになり

それを聞いた父が今度は私を怒りに来る。


初めは泣いて「ごめんなさい」と可愛く謝る。

しかし直さない私に益々父が切れ、今度は手を挙げて打つ

そんな日々の繰り返しの中

気が付いたら自分は小学3・4年生頃になっていて

少しずつ父にも口答え出来る反抗期に入っていった。


この頃になると女の子は口が立つようになるから父は益々私を打つ。

私は父を益々ののしる。


そしていつも父が頭にきて趣味でしていた居合の真剣を取り出して

刃先を私の喉に突き刺し脅す。


今なら完全に虐待だし、真実な事と解ってもらえそうだけれど

この当時は、そんな事を他人や学校の先生に言っても

「あなたが悪い事したのでしょ」とか

「大袈裟に言って」

  とか私の方が変な事言う子供だと変な眼差しで見られた。


世間から見た両親は本当に普通で

真面目で温厚で上品は夫婦に見えていたからね。

ほんと家の中の事は家族にしか解らないよね。

今なら理解して貰える時代だけど。

あ、ずーっと後で解ったんだけれども真剣と思っていたのは

本当は摸擬刀だったらしい。

でもその当時は、そんな事解らないし、そんな問題じゃないしね。

 

そして家庭が少しづつ崩壊して行くには、そんなに時間は掛からなかった。

 

その前に、何故自分が狂気的になって行ったか

色んな理由があるが

第1の理由が、学校での生活。


家で異常な程厳しく躾けされ言葉づかいや態度も叩き込まれてるものだから

同級生の中で浮いてる訳です。

 

同級生達は、伸び伸びと自由奔放に友達と汚い言葉発したり

女の子でも男勝りに、やんちゃして暴れたり

でも小学生だから可愛いもんですよ。

正直そんな子達を見てて本当に羨ましかったな~

みんな楽しそうで生き生きして見えた。


自分もそうしたくても厳しい躾けが体に叩き込まれてるから

同じような言葉づかいが出来ない。

子供って家庭が最初の社会に出る為の練習場所みたいなものだから

家でしていない事が学校で直ぐに出来るはずもない。


少しは、やんちゃな人の真似をして言葉発しても使い方が変でバカにされたり。

また家で教えられた言葉を使うと

「なに気取ってんだ!」みたいにバカにされ・・・・

  

私はどうすればいいんだ!?といつも心で泣き叫ぶ。


そんな時、いじめが酷くなり我慢の限界がきて

普段なら、だいたいの事は家でも我慢してるから感情を抑えられるのに

この時はどうしょも無く抑えが利かなくなって

いつもの、もう一人の自分が心で叫ぶ声を発してしまった。

 「てめえら!ぶつくさぶつくさ言いやがって!黙ってたら調子に乗りやがって

  一人では、な~んも出来んくせして!

  てめーらー!言いたい事、大声で言いやがれ!しばき倒すぞ!」・・・

         言っちゃった。

言ってしまった。

みんな氷付いてた。

もともと口の悪い子が言ってたら、それ程驚かないのだろうが

もともとお行儀のいいとされてた大人しい子が発したんだからね。

 

みんなの氷付いた顔は今でも忘れないし

その発した言葉で今迄のモヤモヤが一瞬で消え

すーっとして快感だった。

 でも、益々友達がいなくなった。

そして、その頃から、家庭内暴力が始まった。


自分の場合、物を壊す破壊暴力だ

でも一つ間違えれば親を殴り殺してたと思う。

なぜそれをしなかったのか、それは自分の中に常にあった

母親が好きだと言う事と

母の優しさも知ってたし

愛しいと思う感情は子供にも勿論あるからだ。


でもその反面

私の本当の苦しみを理解しない出来ない憎しみと

母に愛して抱きしめて貰いたい想いの狭間で

唯一ギリギリの所で止まっていた。


 

母は幼少期の病気がちな私を忙しい中、いろいろケアしてくれた優しさ。

ただそれも自分が求めてた事と違ってた部分が多かった。

 

それに、遠足などのお弁当は

いつも今でいうキャラ弁を早朝から一生懸命作ってくれた。

3月なら、お雛様とお内裏様を型ちどったお弁当。

5月なら鯉のぼり弁当。

秋なら運動会や紅葉弁当。

本当に子供心にも関心する位に上手い出来栄えで

凄く嬉しいのだけれども・・・・・・


これはこれで、皆から、冷やかされたり、からかわれるのだ。

先生でさえ嫌な笑い方しながら

「先生も食べたいな」

   と言うが子供ながら嘘の言葉と察する。

母が馬鹿にされてる感じも辛かった。 

あんなに早くから必死で作って喜ぶ顔に満足げな母の顔が

暗い顔に変わるのが浮かぶのが辛かった。

だから、もうキャラ弁は作って欲しくないのに

母の喜んで作る姿を見たら言えない。

皆にからかわれてる事も言えない。

なのでその頃から嘘をつくようになる。


 母が「今日のお弁当どうだった?」

 私「皆が、お母さん凄いね!自分も作って欲しい!

     って言ってたよ。

   先生も食べたいな~って言って嬉しかった」

      と言わざる負えない。


子供ながらに母を悲しませたくなかった思いと

こう言えば母が喜ぶと解るから。


そんな優しい母の思いも、勿論感じながらも

それがまた辛く苦しく

母を喜ばせたい喜んでもらいたい

いい子だと言って欲しいし思ってもらいたかった。

そんな中で自分も苦しんでいた。


苦しみと辛さと、そして母に言えない

誰にも言えない感情が徐々に家庭内暴力に繋がるが

それはそれで自分自身も苦しんでいた

いけない事をして、母を泣かせ苦しめてる自分がまた苦しかった。

 

学校にも居場所がなく、家にも居場所場ないし

友達もいない、両親も私の本当の心を解らない。

なので小学生4、5年の頃から死にたい!

消えたい!と何度も想い

本気で死ぬ方法を考え

押し入りの洋服を吊るす棒にタオルを巻いて

首吊るが昔の棒は直ぐにズレ落ち失敗


紐で首絞めるが痛苦しいので断念


踏切に行くが恐怖で尻込み


団地に上がり身を乗り出してみるが

     高層恐怖症だと解り中止


まあ何事も臆病で勇気が無かった

    小心者だったが命拾いした。


 

そして自分には3つ違いの姉がいた。


その姉が自分とは対象的で活発で

頭もよく両親達とも上手く接していたし学級委員もしていて


友達も多く先生からも好感を持たれていて

絵に書いた様な優等生。

 

そんなもんだから

益々自分は悲観的になり性格が屈折して行く。


小学校ではいつも姉と比べられ先生が

「お姉さんは出来るのにね」とか

「お姉ちゃんは足早いね」とか、いちいち比べる。


絵を描けば書いたで

「あなたは変な色使いするね」

    と本当に失礼な子供心を全く理解しない先生だ。


話は少し逸れるが、子供の頃に唯一好きだった2つの事と2つの出来事が

また自分の暴君になる重要な要因にもなっている。

 



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