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敗走


 真円を描く白い月が、静かな夜空にぽっかりと浮かんでいた。

 夜闇に閉ざされ誰一人として行き交う者のいない荒野を、ティリアはあてもなく歩き続ける。

 ……この近くに、何か休むところがあるといいんですが。

 ノースエルトを脱出した後、軍が包囲網を張っていそうな場所を避けて安全なルートを辿っていったその先は、不幸にも草木一本生えない不毛の荒野だった。今更ノースエルトに引き返すわけにもいかず、そんなわけでこうしてティリアは無謀にも荒野を横断している。

「計算では七時間もあれば荒野を横断できるはずだったんですけど……どうやら、甘かったようですね……」

 幾ら体力面が常人より遥かに優れているとは言え、所詮リリウスは生身の人間に過ぎない。その上、アイヴァンを抱えて歩き続けてきたのだ。最早、体力は限界を達していた。

 一応、現状を打破するための手立てがないことは、ない。リグレー内に搭載されている衛星測位システムを使用すれば、現在位置及び周辺地理を特定し、判明した近くの街に向かって最短ルートを辿ることができる。だが軍による盗聴の危険性がある以上は、通信を介するようなシステムを使うわけにはいかない。

「まさしく、八方手詰まりですね……」

 朦朧としてきた意識を繋げるべく声を出してみるが、酷使した肉体にそれは逆効果だった。超人的な努力を以て整えていた呼吸は乱れ、荒野を歩き続けてきた足は遂に止まってしまった。

 ……近隣の街に辿り着くまででいいんです。保って下さい、私の体。

 自分の体に活を入れる。全身を襲う疲労に何とか抗って前方に目を凝らすと、闇の中でぼぅっと輝く、僅かな明かりに照らされた石造りの街並みが見えた。

「あれは……街、ですか……?」

 ようやく一休みできそうな街を見つけたことで安堵して、一気に気が抜けてしまった。

 どさり、と倒れる。今まで支えてきたアイヴァンの体も、一緒に地面に崩れ落ちた。

 眼前に広がるは、果てしのない荒野。鼻腔を突くは、砂埃の乾いた匂い。体を包み込むは、夜の闇。

 もう立ち上がれない。気力も体力も使い果たしてしまった。

 ……もう、ダメです。アイヴァンさん、すみません……。

 と、身動きの取れないティリアの頭上を、一つの影が覆った。

「――おや、珍しいな。こんなところで行き倒れとは」

 意識を失う直前、ティリアの耳朶を打ったのはそんな声だった。


 あれは、いつの頃だったろうか。

 ぼんやりとアイヴァンは思い返す。

 そう、あれは五年前だったろうか。

 五年前まで、自分はアーネイという名の村に住んでいた。

 自然に囲まれた、美しい村だった。大陸最北端に位置するにしては珍しく四季の恩恵を受けていて、季節が巡る度に草木は色とりどりの姿を見せてくれた。

 両親の内、父とは早くに死別し、面影は覚えていない。親と言える親は、女手一つで自分を育ててくれた母だった。けれど、それで寂しかったわけではなかった。村に住む大人たちは皆、自分の親代わりとなり、厳しくも暖かく見守ってくれた。そして『彼女』――自分には、幼馴染がいた。

 幼馴染の少女は、よくこう言っていた。

「ラーディス君。私はね、いつもこう思うの。皆でずっと、こうして穏やかに暮らしていければいいな、って」

 自分もそう思った。平穏は、ずっと続くと思っていた。

 そんな平穏な暮らしは、突如として終焉を告げた。

 変化は突然だった。

 轟音と衝撃に驚き飛び起きた自分を待っていたのは、火の手が回り今にも崩れ去りそうな自身の部屋だった。

 考える暇はなかった。崩れ去る家を後にした自分が最初に見たのは、村が焼き滅ぼされたという『結果』だった。過程は目にしていない。それ故に眼前の悲惨な光景は現実感を伴わない悪夢のような、しかしれっきとした現実として、自分の心に刻まれた。

 村の出入り口には、見慣れない集団がいた。後に兵隊と知るその集団は、任務を遂行して揚々と引き上げていった。現実感を喪失し現実と虚構の境界を見失っていた自分は、それをただ見届けることしかできなかった。

 村は焼き尽くされ、住民は散り散りとなった。平穏を願った幼馴染の行方も知れず、自分はただ、逃げた。

 明確な怒りを覚えたのは、自分の村を襲った者たちの正体を知った後だった。

 そのときは、怒りに支配されたのを覚えている。けれど、身を焦がしかねないほどの怒りを覚えたのは、自分の生活が奪われたからではない。

 幼馴染は、平穏な暮らしを望んでいた。幼馴染だけでない。あの村の住民は、その全てが平和な生活を心の底から望んでいた。心を許し合った隣人たちと平穏な生活を送りたかったのだ。そんなささやかな願いを踏みにじった彼らが、許せなかった。

 平穏に生きるという願いさえ叶えられず、心無き略奪者たちに一方的に搾取される。そんな『理不尽』がまかり通る世界が許せなかった。

 要するに……自分から大切なものを奪っていったこの世界の仕組みを変えたかったのだ。

 村を焼き滅ぼされ絶望と虚無の渦中にある中、生き抜こうという決心をしたのは、そんな願望があったからだ。

 そして、生き抜いた。必死に生きるための努力をした。行動していなければ、自分というものが壊れそうだった。

 ……何か、とても大切なことを忘れているような気がした。


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