救世と犠牲
空間転移特有の金色の光が、機体とその中にいる者たちを包み込んだ。
光が収まる頃には、空間転移輸送機は目標座標に到着していた。
「到着しました」
「ご苦労」
目的地に到着したことをパイロットに告げられ、ダイタス=ヴォーガンは空間転移輸送機から降り立った。彼に従う三十名の部下が、後からそれに続く。
「ふむ……変わらんな、ここも」
輸送機から降りたダイタスを出迎えたのは、青いテントと白い建造物で構成された陰鬱な光景だった。
数年ぶりに訪れたノースエルトの姿は、以前とまるで変わっていない。そのことに安堵するやら呆れるやら複雑な思いを抱きつつ、ダイタスは歩を進める。
一機目の空間転移輸送機に乗った部下たちは先にノースエルトに到着し、既に活動を行っているはずだ。予定通りのスケジュールで進めば、深夜までには『アレ』を確保できるはず。
だがしかし、歩を進めた先で見た光景は、彼の予想を完全に否定していた。
「医療班はまだか! 破壊された輸送機の破片が胸に突き刺さって死にそうな奴がいるんだ、早く来てくれ!」
「第二分隊、応答せよ! 応答せよ!」
「第三、第五分隊に一部死傷者! 至急手当を頼む!」
飛び交う怒声と踏み鳴らされる軍靴の音。静かな街を包む、一触即発の雰囲気。
「……一体、どうなっている?」
指揮系統が狂ったかのようにてんでバラバラに行動する部下たち。かろうじてまともな判断力を保つ者でさえ、怒り狂う街の住民に対応するので精一杯なようだった。
状況がまるで把握できない。眼前で繰り広げられている混沌とした光景に、ダイタスは唸った。
……軍曹から一度状況報告を受けた方が良いな。
周囲を見渡してから、彼は各分隊を指揮する人物に近寄って肩を叩いた。
「軍曹、状況はどうなっている?」
「はっ、ダイタス少佐! いえ、これにはわけが……」
画一化された軍隊で一際目立つ豪奢な制服に身を包むノルグ=マイナーツ軍曹はもごもごと口を動かすが、それ以上は混乱と緊張のせいで上手く喋れないようだった。
「落ち着け。この様子を見ると、何かあったようだな。話してみろ」
部下まで混乱の渦中に叩き込まれているような状況では、統率者は必要以上に冷静に対処しなければならない。
そう、ダイタスはこの『軍』の統率者だ。『軍』では、宇宙統合政府に所属していたときの階級をそのまま用いている。その中でダイタスは、階級こそ少佐に過ぎないが、実質的には『軍』全体を取り仕切る統率者だった。
――統率者たる者、常に冷静にあらねばらない。それは統合政府の理念に心酔する母がいつも言っていた言葉でもある。
ダイタスの母は、統合政府の高官だった。だが、統合政府高官としての仕事に追われる母とは、ろくに顔も合わせる機会が無かったのをダイタスは覚えている。
母の顔も知らずただただ惰性に任せて過ごす毎日。統合政府高官の息子としての生活に不自由は無かったが、どこか寂しさも覚えていた。そんな、ある日のことだった。ダイタスが、初めて母と会ったのは。
初めて会ったとき、母は、まだ幼かった頃のダイタスにこう告げた。
「――兵器を地中に埋めよ。殺戮のための道具に過ぎぬ兵器をこの世より根絶することこそが、唯一世界を救う行為となる」
衝撃的だった。
幼い頃のダイタスはその言葉に感銘を受け、以来、母と統合政府の理念を信奉するようになった。今となっては懐かしい話だが、今でもダイタスはその理念を強く信じている。
「……ダイタス少佐? どうしました?」
ふと我に返ると、軍曹が心配そうにこちらの顔を見ていた。
「いや、少し思い出すものがあってな……すまんな、続きを頼む」
「ええ。ダイタス少佐が到着する十数分ほど前、私が指揮する分隊が攻撃されました。攻撃者は、この街の住民と思しき若者。即座に取り押さえましたが、その後立て続けに起こった事象圧縮弾の攻撃と街の混乱により行方不明に。空間転移輸送機は、事象圧縮弾により破壊。部隊が被った被害の全容は不明。攻撃者の行方はおろか、事象圧縮弾の発射点も未だ測定されていません。また、一人の一般兵より興味深い報告も入っておりますが……」
ダイタスの冷静さを見て我を取り戻した軍曹が、報告を述べる。
「ひとまずは少佐、今はこいつらをどうするかの方が先決だと思われます」
言われるがまま軍曹の視線の先に目を向けると、大勢の人々が軍に詰め寄ろうとしていた。
さてこの状況はどう収拾したものか……と考えていると、人だかりの中からこちらへ歩み寄る老人の姿があった。
「何者だ、貴様ッ!」
「良い。下がれ」
神経質になっている部下を諌め、ダイタスは老人に敬礼する。
「久しぶりです、ダルティ老師。通信モニター越しではなくこうして実際に会うのは、三年ぶりですかな?」
眼前に立つ老人ことダルティ老師は、ダイタスの挨拶を無視して厳しい表情で問う。
「……ダイタス殿。情報は、役に立ったかの?」
「ええ。実に役に立ちました。これで、我々の目的の達成も容易になるというもの。……ところで老師、不服がありそうな顔をしていますね」
敬礼を解いて、ダイタスはダルティ老師の顔を見下ろす。老人の顔は静かな、しかし大きな怒りに支配されていた。
「……この街を蹂躙するだけでなく未来のある若者を殺しておいて、よくも抜け抜けとそんなことを。これは立派な契約違反じゃぞ。見よ、この街の有様を! お主らのせいで、今や滅茶苦茶じゃ!」
「革命には常に犠牲が伴う。それに話を聞く限りでは、その若者とやらは我々を殺すべく立ち向かってきたのです。降りかかる火の粉は、振り払う。仕方ないでしょう?」
「今までノースエルトのためと思ってお主らの蛮行を見過ごしていたが……もう我慢の限界じゃ。ダイタス! 今よりお主との契約を破棄する! ノースエルトは、お主ら軍とは手を切る!」
宣言の終わりと共に、バンッ、という音が街に鳴り響いた。時間を置かずして、人だかりから悲鳴が上がる。
「老師よ……我ら軍の理想はお分かりですな? 幾ら恩人とはいえ、新しい時代にあなたのような古き汚れを残すわけにはいかないのですよ」
目の前の老体が、ゆっくりと地面に崩れ落ちる。硝煙のたなびく拳銃を懐にしまいながら、ダイタスは静かに嘆息した。
ダルティ老師とは文明終焉以前、同じ軍に属していた頃からの長い付き合いだった。全てが変化したのは、文明終焉がきっかけだった。文明終焉後、老師は荒廃の街ノースエルトを第二の故郷と決め、対して自分はというと、散り散りになった部下たちや理想に賛同する有志を集め軍を再結成した。軍――それはすなわち、価値観を異にする者たちが同じ理想の下に結集した勢力。崇高なる理想を実現するために命を賭して戦う集団だ。
これまでダイタスは、軍の理想を実現するのに必要なロストテクノロジーが残る遺跡の情報を提供して貰う代わりに、ノースエルトには決して手を出さないと老師と契約していた。だがそれも今日、ここで終わった。
「老師。私はあなたは尊敬していました。あなたとの契約は、きっちり守ります。ノースエルトには、これ以上手を出しません」
もうすぐこの世界が迎えるであろう新しい時代には、老人の出る幕はない。
かつて世話になり共に戦ってきた恩人の亡骸に敬礼をすると、ダイタスは人だかりに向かい合い、告げた。
「あなた方の中で、我々の活動に異議のある者は?」
圧倒的な武力を前にして、まともに反応を返す者などいなかった。無言で睨みつける者、怒りを露にする者、悲しみに涙する者――ノースエルトの住民たちは、自らの無力さを噛み締めながら帰っていく。
周囲に完全に民間人がいなくなったことを確認すると、ダイタスは振り向いて部下に状況報告を求めた。
「軍曹、報告の続きを頼む」
はっ、と返事をし、軍曹が前に出る。
「一般兵が、不審な少女を見かけたという報告が入っております。その一般兵は、出会い頭に少女に認識不可の速度で殴打され、今まで昏倒していた模様。……彼の話を聞く限りでは、その少女こそが我々の探していた次世代型リリウスと思われます」
「何だと? 老師からの情報では、次世代型リリウスはまだ遺跡内部にいるはずでは――」
そこまで口にして、ダイタスは気づいた。
……そうか、そういうことか。
軍が必要としているロストテクノロジーとは、次世代型リリウスのことだ。そして、次世代型リリウスの眠る遺跡の位置や内部詳細は、今のところダルティ老師しか知らない。
つまりは、こういうことだ。老師は、次世代型リリウスが眠る遺跡の情報を誰かにリークした。そうして何者かによって発掘されたリリウスを起動し、その力を用いて軍を攻撃した……そう考えると辻褄が合う。
「なるほどな。最期の最期まで、よくやってくれる。さすがはダルティ老師……いや、ダルティ大佐とでも言うべきか。私の上司だったことはある」
次世代型リリウスを使って攻撃するとは、以前から軍の活動に疑念を抱いていた老師らしいやり口だ。だが、軍の力を以てすれば、依然として行方の知れない次世代型リリウスの捜索及び捕獲など容易い。そう、どちらにせよ次世代型リリウスは軍の手に渡ることに変わりはないのだ。
理想は、もうすぐ実現されようとしている。興奮を隠し切れないダイタスを見て、まだ年若い軍曹が破顔した。
「失礼。自分というものを押し殺してまで行動している少佐が感情を表出させているところを見ると、こちらも嬉しくなりまして」
「そういうものか? ふむ、まあいい。次の報告に移ってくれ」
「はっ、事象解析機で事象圧縮弾の分析を行ったところ、以下のような結果が出ています。我々を襲った事象圧縮弾からはA粒子圧縮度九十九パーセント以上という、高度な圧縮反応が検出されました。データベースの情報によると、これほどまでに高度な圧縮は次世代型リリウス特有の物だと判明。そこから推測するに、我々を襲った事象圧縮弾はほぼ間違いなく、次世代型リリウスが放ったものだと思われます。
次世代型リリウスこそ、究極のロストテクノロジー兵器にしてこの世界の救世主……そして我らの理想を叶える者。これでようやく我らも、理想を現実の物とすることにできますな。少佐、次世代型リリウスを捕獲すべく至急手を打ちましょう!」
「落ち着け、軍曹。我々の理想の実現が眼前に迫っていることに興奮するのは分かるが、部隊を指揮する者がそれでは格好がつかんぞ」
「これは失礼。統率者たる者、常に冷静にあらねばらない――でしたな」
そう言ってまだ年若い軍曹は、はははと快活に笑う。明日への希望に満ちた笑みで、こちらもつられそうになってしまうほどだ。だがしかし、とダイタスは思う。
一つだけ、気がかりなことがあった。軍に反抗してきたという若者……その者の正体が気にかかる。
一般的に考えれば、軍を敵視し襲ってきたと思うのが妥当なところだ。が、身の程知らずのゴロツキはともかくとして、軍がロストテクノロジー兵器で武装しているところを見れば、普通は関わろうなどとは思わないはずだ。それなのに、その若者は軍に立ち向かった。しかも、たった一人で。
ダイタスはそこに疑問を覚える。それほどまでに若者を駆り立てたものは、一体何なのだろう。なぜ若者は、身を呈してまで我々の理想の前に立ち塞がろうとしたのだろう、と。
……もしかすると、五年前のあの事件の生き残りか?
思い出したくもないあの悲劇が、脳裏をよぎった。
「……少佐? どうかしましたか?」
考え事をする内に、不安が軍曹に伝わってしまったらしい。軍曹が怪訝な顔つきで注視しているのに気づくとダイタスは、
「ご苦労だったな。後のことは処理班に任せ、軍曹は部隊と合流するがいい」
了解、と敬礼をして軍曹がこの場から去っていく姿を視界の隅で捉えながら、ダイタスは思う。
……五年前の事件は、まさしく悲劇だったな。
五年前の事件。それは、ダイタスの心に深く刻まれた悲劇だ。あの事件以来、何かある度に、ダイタスはそれを五年前の悲劇と関連づけて考えるようにもなった。
「……本当に、あれは忌々しい事件だった」
自分の中に贖罪の意識がある。できることならば、あの悲劇から逃れることのできた者に会いたい。そして、罪を償いたいと考えている。
だが、今はまだそのときではない。今は、士気の下がった部下たちに朗報をもたらし、明日への希望を再び与えるときだ。ダイタスは、作業を続ける部隊へ声を投げかけた。
「伝達班のリーダーはいるか!?」
「はっ、ここに!」
そう言って前に出た兵士に、ダイタスは伝える。
「皆に報告をすることがある。現在ここに残っている者だけでいい、全員を一箇所に集めてくれ。頼んだぞ」
了解しました、と返して兵士はその場から離れ、大声で告げた。
「静まれぇっ! ダイタス少佐より、皆に報告があるそうだ!」
刹那、処理作業を続ける兵士たちの手が止まり、周囲がしんと静まった。そして慌ただしく軍靴の音が鳴り響き、部隊の全員が一箇所に揃ったことをダイタスに告げた。
夜闇は濃くなってきている。部隊の前に出たダイタスに、全員の注意を集めるためのスポットライトが当たる。
スポットライトに照らされ、精悍な顔つきが明らかとなる。強く引き結ばれた唇に、全てを貫くかのような鋭い瞳。鍛え抜かれた肉体を包む軍服は質素ながらも力強い印象を与える意匠であり、集団を統率するにふさわしい威厳さを醸し出していた。
そうして、揃った部下たちの前でダイタスは声高に宣言した。
「――統合政府高官である私の母は言った。兵器を地中に埋めよ、と。そう、我らは闘争のための闘争を行っているのではない。平和な世界を築き上げるため、仮初めの闘争を行っているのだ。……さて、本題に移ろう。もう知っている者もいるかもしれないが、報告させて貰う。我々は今日、長年の時を経て次世代型リリウスを発見することに成功した。肝心のリリウスは逃しはしたものの、ようやくその存在を発見できたのだ――我々が総力を以て当たれば彼女を捕獲するのも容易いだろう。そう、『マリアシステム』が起動する日は近いのだ。誰もが穏やかに暮らせる平和な世界を……我々の手で、今度こそ実現しようではないか!」
宣言に伴い、部隊の士気が上がっていくのを心で、肌で感じる。熱狂に包まれながら、ダイタスは思った。
世界を救う。そのためには――次世代型リリウスが必要なのだ。