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思い出


 辺りを包み込むのは白く暖かな光。

 自分以外誰一人いない空間で、アイヴァンはぼんやりと頭上を見上げていた。

「俺は……」

 今まで戦ってきた。理不尽がまかり通るこの世界と、ずっと戦ってきた。

 全ては、この世界の仕組みを変えてみせるため。だが、最早その決意と覚悟は揺れ動いていた。

「どうしたらいいんだろうな。色々なものを見ている内に、何をすればいいのか分からなくなっちまった。……まあ、死んじまってるから別に悩む必要なんて無いんだけどよ」

 そうだ。今の自分は死んでいる。ダイタスという名の軍の統率者に撃たれ、死んだ。

「なんつーか、この三日間で二度も死ぬ羽目になるとは……普通の人間が体験する一生分のイベントを楽にこなしてるな、俺」

 体温が無い。呼吸が無い。血が無い。体が無い。今の自分は、純粋に思考しているだけの存在だ。

 さてどうしたものか、と思っていると、白い光の向こうから誰かがやってくるのが見えた。

 白衣姿のファリナだった。

「アイヴァンか。奇遇だな、こんなところでまた会うとは」

「……おい。なんでお前がここにいるんだよ。つーか、そもそもここってどこだよ」

 わけが分からないままに尋ねると、ファリナは簡単に説明してみせた。

「簡単に言うと、ここは、お前の脳の中だ。そして私がここにいるのも簡単で、あんたの脳の中に存在する『ファリナ』という個人の断片的な情報が組み合わさって、ここに『ファリナ』がいると一時的に錯覚させているのだろう。あんたがこう言えば『ファリナ』はこう言い、あんたがこう動けば『ファリナ』はこう動く……そういう人格的な情報を脳が勝手にアルゴリズム化して投影しているに違いない。人間というのは面白いものでな……生死の境を彷徨っている最中は脳内分泌物や神経パルスのバランスが狂うのか、こういうことが起きる場合もあるのだ。臨死体験とよく似た現象、と言った方が分かりやすいかな?」

「つまり、死んだはずの俺とお前が喋っているのは、俺の脳が見せている一人芝居っていうわけか」

「無味乾燥な話だが、要はそういうことだと私は思う。もしくは、活性化したリオーガナイザーが私とあんたの心を繋いで……いや、それは考えすぎだな。まあ、こんなのはよくあることだから気にするまでもないさ」

 そう言ってファリナは肩をすくめる。

 アイヴァンは、彼女に悩みを打ち明けることにした。

「なあ、ファリナ。俺はますます分からなくなっちまったよ。俺は、一体どうしたらいいのか……全然分からないんだ」

 ファリナは、目を細めてこちらの顔を覗く。

「あんた、なんでそこまで悩んでるんだ?」

「なんでって……自分でも分からねぇよ。だから、悩んでるんだろ」

 ファリナは、ふう、と嘆息した。

「あんたは、根本的に大きな勘違いをしている」

「勘違いだと?」

「私には私の価値観があり、あんたにはあんたの価値観がある。別に、無理して他人の価値観や理想に合わせる必要は無い。この世に無数の道があるということは、つまりそういうことじゃないのか?」

「――あ」

 指摘されて、初めて気づいた。

 ……そうだよな。無理して他人に合わせる必要なんざ、これっぽっちも無いんだ。

「結論的に言って、あんたは周囲の他人に気を遣いすぎなんだ。そんなんだから、自分のスタンスが分からなくなる。考え方や価値観などというものは強制されるものではなく、自分で見出すものなのだからな」

「……お前の言う通りだな。俺はきっと、他人に合わせられなくて爪弾きになるのが怖かったんだろうよ。俺はノースエルトで色々なことを学んだと思っていたけど、今考えてみると、それはただの思い込みに過ぎなかった気がする。馬鹿馬鹿しいにも程があるぜ……俺はただ単に、他人の価値観に合わせて生きていただけだったんだな」

「……馬鹿馬鹿しいことではないさ。人を強くするのは、そういう経験だ。考えることだ、アイヴァン。そして思い出すことだ。あんたが本当にしたかったことを。そうすれば、自然と全てが分かってくる」

「本当に、したかったこと……」

 そんなこと、考えなくても答えは出ている。

 アイヴァンは、顔を上げた。

「俺の望みは――この世界の仕組みを変えてみせることだ。そうだ、それが俺の望みだ、ファリナ。俺は、誰もが各々の望みに向かって歩んでいける、そんな世界を作りたい……!」

「ああ、そうだ。それでいいんだ」

 ファリナは微笑む。

 粉雪のように、光の粒子が天上より降ってきた。何とはなしに舞う光に手を伸ばした、その瞬間。

 ――リオーガナイザー活性化完了。所有者との神経リンク確立。形態変化機能、損傷修復機能、能力リミッター機能、正常作動中。

 突如として脳内を駆け巡った情報に、アイヴァンはうめく。

「こいつは、一体……」

「あんたがいつも持ち歩いている銃、あるだろう。時間が無いので詳しくは話せないが、そいつはロストテクノロジー兵器だ。で、その銃を活性化させて真の機能を発揮させたのは、ティリアだ。ティリアに感謝しろよ」

「ティリア……そうだ、あいつは今どうしている?」

「軍に連れ去られたよ。あんたがこれからどうするかは、あんたの選択次第だ」

 アイヴァンは、ぎゅっと拳を握る。

 選択肢など、決まっている。軍に乗り込んでティリアを助ける。そして、彼女と一緒に旅をするのだ。それが、自分の選んだ道だ。

「あんたのやり方でやってみろ。それがあんたにとって一番だ。人生には、色々な道がある……どの道を選ぶのも、あんたの自由だ」

「自由、か。なあ……お前は、五年前のあの事件のこと、どこまで知っている? 俺たちは過去に縛られすぎている。いい加減、一体何が起こったのか、真実を知ってもいい時期なんじゃないか……?」

「……詳しくは私とて知らない。真実を知っているのは、恐らくはダイタスだろう」

「ダイタス……軍を統轄しているあいつのことか」

「ああ。ダイタスは、アーネイの住民、特にあんたの母親と関係のある奴だ。あやつに聞くのが、一番だろう」

「俺のお袋を……? なぜだ、軍の統括者がなぜお袋と関係がある?」

「それは、お前自身が奴と直接会って確かめることだ。さあ、行くんだ。ティリアは……お前の帰還を、待っている」

 穏やかな光が、視界を包み込んだ。

 光に誘われ、意識を現実へ。

 目覚めの時を、迎える。

「――……つっ……」

 目が覚めた最初の瞬間にアイヴァンが感じたのは、全身にのしかかる重みだった。

「……ファリナ」

 重みの正体は、ファリナの体だった。ファリナの腹部を貫く銃創を見たアイヴァンは、彼女に何が起こったのかを知った。

 アイヴァンは丁重に彼女の体をどかすと、静かに目を閉じた。

「行ってくるぜ、ファリナ。今は墓が作れねぇけど、その内作るから……」

 瞼の裏に、アーネイで暮らした思い出が蘇る。

 幼馴染。その言葉が示す意味は、決して軽いものではない。五年前のあの日まで、彼女と自分は常に共にあったようなものだ。

 かつて、皆一緒に暮らせればいいと言った彼女は、今のファリナとなった。乱暴で口の悪い、しかし根っこは昔のままな人間になった。五年の歳月は、長い。

 いつしか、頬を伝って流れるものがあった。

 アイヴァンは涙を拭うと、頭を振り払って感傷を振り払う。

「よし、行くか。ぐずぐずなんかしていられないしな」

 アイヴァンは踵を返し、すぐ前方にあるガンズヒルの入り口に駆けていった。

 入り口の門をくぐると、すぐに凄惨な光景が広がった。石造りの家々は燃やされ、食料を保管する倉庫や馬の納屋は原形を留めぬほど破壊し尽くされている。

「……こっぴどくやられたもんだな、こりゃ」

 破壊の有様はアーネイの惨事に通じるものがあり、アイヴァンは思わず眉間に皺を寄せる。しかし街中を進むにつれ、アイヴァンはすぐにその感想を訂正した。

 あれほど軍に反抗したにも関わらず、ガンズヒルの住民は無事だった。恐らくは、軍が見逃してくれたのだろう。

「これだけ破壊しても命だけは取らない、か。軍の奴ら……一体何を考えてやがるんだか」

 何とか命だけは助かったガンズヒルの住民は、街の消火作業を急いでいるようだった。傍を通るアイヴァンに目もくれず、家々を覆う炎を消すためにバケツを持ってそこら中を駆けずり回っている。

 そこから更に進んだ先で、アイヴァンは前方の瓦礫に座る一つの人影を見た。その人影は視線だけをこちらにやると、

「どうやら、生きていたようだな。悪運の強い奴だ」

 人影は、ギリアムだった。ウェスタンハットを被り、相変わらずの強い口調で物を言う。だが、彼の全身には酷い火傷の跡が広がっていた。

 彼の姿を見たアイヴァンは、思わずうめいた。

「ギリアム……お前――」

「そこから先は言うな。同情など俺は欲しくない」

「……けっ。勝手に言ってやがれ」

「文明終焉を経験した人間は、皆そういう意固地な人間になるものだ。……アイヴァン、と言ったな。反乱軍のリーダーとして、最後にお前に指令を下そう。ガンズヒルの聖堂に広がる地下空間は知っているな? あそこは、ロストテクノロジー兵器の保管庫だ。お前はそこから必要な物だけを持って、この村から去れ。お前の行動を、我々は一切関知しない。だから存分に――暴れてこい」

 彼の言葉には、有無を言わせぬ迫力があった。

 ……聖堂の地下にある兵器を好きに使って軍と戦ってこいってことか。こいつは、俺に全てを託すつもりなんだろうな。

 喋り終えたギリアムは、それっきり無言となる。だが、彼の言わんとしていることは何となく分かった。

 アイヴァンは無言で彼に礼をすると、踵を返して聖堂に向かった。

「……大賢人を祭る建造物、か。さて、どうしたもんだかな」

 それから数分して聖堂に辿り着いたアイヴァンは、どうしたものか悩む。

 ……地下に入る方法なんて、部外者の俺には分からないしなぁ。

 前に地下空間に入ったときは、ファリナの案内があった。しかし今は、その彼女もいない。

 何か方法は無いだろうか。そんなことを考えながら周囲を探っていると、聖堂の近くに開いた一つの大きな穴を見つけた。

「こいつは、前にティリアが開けた穴か? 丁度いい、こいつを使わせて貰うか……!」

 アイヴァンは、躊躇無くその穴に入った。まともに視界の効かない暗い地中を、アイヴァンは滑り落ちるようにして落下。しばらく経つと、下の方に広大な空間が見えてきた。

 地下空間に落ちてきたアイヴァンは天井部分から床に着地すると、一旦気持ちを落ち着かせた後、辺りを見渡す。

 地下空間は、部分的に破壊されていた。何者がやったのかは分からないが、住居区に至る奥の通路は粉々に粉砕されている有様だった。

「……誰だ、こんなことやったのは。ったく、ロストテクノロジー兵器を探すのが面倒になったじゃねぇか」

 ぶつぶつぼやきながら辺りを引っくり返すこと十数分。周辺を調査したアイヴァンは、地下空間の至るところに隠し扉があることを発見した。

 その数、およそ二十。発見した隠し扉のあまりの多さに、アイヴァンはげんなりとする。

「そういや、ここには至るところに隠し扉があるってファリナは言ってたっけ……まあ、どこの扉を開けても同じだよな、きっと」

 ほんの少しだけ迷ってから、アイヴァンは近くにある扉を開けて中に入った。扉の向こう側に足を踏み入れたアイヴァンの視界に広がったのは、あからさまに見てそれと分かるロストテクノロジーの山。

 電磁加速砲や荷電粒子砲を初めとして、A粒子砲や事象圧縮砲、果てはリリウス用の外部拡張端末と思しき物体まである。このロストテクノロジーを、全て自由に使っていいのだ。まさしく至れり尽くせりだ。

「それにしても、ロストテクノロジーをこうまで完全な状態で保管するとはな……」

 文明終焉を生き残った聖堂と、その地下のロストテクノロジー保管室。これらを文明終焉から回避させ現代まで遺した者たちは、一体何を考えてこんなことをやったのだろう。

「色々引っかかる部分はあるが、ひとまずは後回しだな」

 近くにある兵器を適当に手に取り、懐にしまう。

 それから次にアイヴァンの視線が向けられたのは、カプセル型の装置だった。

「……にしても、物質転送機まであるとは。ま、ありがたく使わせて貰うとするか」

 物質転送機ならば、操作方法は多少は知っている。カプセル型の装置内に乗り込むと、アイヴァンは内部端末に登録された転送地点を呼び出した。

 登録されている転送地点は――『軍本部』だった。


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