我が家の隅の闇
改稿しました。全体的に加筆しましたが、筋に変更はありません。
夕食前、薫は仏壇に向かっていた。珍しく、お膳に肉が載っている。
そして、しばらく直が見ていることにも気付かずに写真を見つめていた。それは、あの、薫に似た子どもが映っている写真だった。
そういえば、彼女はいつも、直よりも熱心に仏壇の世話をしていた。あの子どものためだったんだろうか。薫はあの子どもを知っているんだろうか。あの子は、そして薫は、誰なんだろうか。
直は思い切って、たずねることにした。
何でも、聞いて嫌な雰囲気になるのを怖がって聞かないできたから、こんなによく分からないことになっているんだ、と自分を励ます。聞いてしまえば、案外全て、なんだそんなことだったのかと笑いとばせるかもしれない。そこに一縷の望みをかけて、声を出した。
「この写真、どうして見ていたの?」
明るくさりげなく言ったつもりだったのに、出てきたのはひっくり返る寸前のかすれ声だった。
振り返った薫は、一瞬、壊した花瓶を見つかった子どものような顔をしていた。その顔はすぐに消え去ったが、直は、やはり何かある、と思った。それで、もう一言、押してみた。
「もしかして、知ってる子?」
「…気になるの?」
「少し」
薫はゆっくりと、庭へと目をやった。直はその視線をたどって、庭の隅、紫陽花の根元にたどり着く。この前の。
「…埋まってるの」
「埋まって、いる…?何が…?」
「骨?かな」
くすりと、面白いことでも言ったというように薫が笑みをこぼした。
「え?…まさか、その女の子の、とか言わないよね」
けらけらと薫が笑い出した。
――この人は、誰。
直は声も出せずにそれを見守った。
薫の笑い声は止まらない。
「ごめんなさい、びっくりした?」
薫はくくっと笑いを堪えて、ようやく言った。
けれどその笑い方は、楚々とした彼女に不似合いなものだった。まるで、そう、彼女の中身が何かに入れ替わってしまったような。
直は混乱した。
本当に薫はいないのか。
薫が大学にいる人間ではないなら、どこで、どうしてこの家に来ることになったのか。
誘ったのは自分だ、けれどそもそもなぜ、面識もない彼女が酔いつぶれた自分を送ってきたのか。
計画的な泥棒か。それなら今まで何度でも機会はあったはずだ。一月以上ここで暮らす意味がない。
それとも。まさか、とは思うが。
全てはそれもこれも夢で、薫は物の怪なのではないか。
それも、この家で死んだ。この家に埋まっている。骨。
まさかと思いつつも、泥棒と考えるよりもよほどしっくりくることに、直は震えた。ぞわぞわと、さっきまで汗ばんでいたはずの全身に寒気が広がっていく。それを振り払いたくて声を絞った。
「おかしな冗談、やめて」
起こった声を出した直に、薫は少し眉をあげた。
「冗談?」
意外なことを言われたというように聞き返されて、直の声は自然に一段と低くなった。
「骨が埋まっているだとか、…悪趣味だよ」
直は薫を睨んでみせた。
これで、ごめんと薫が謝れば、丸く収まる。そうして少しまだ怒ったふりをしながら、薫の秘密主義を糾弾して、薫が答えてくれれば、万事解決するかもしれない。直は、そうなればいいと胸の奥で願っていた。
祈るように見つめる直の前で、薫の美しい唇が薄く開いた。
「…ごめん」
聞きたかった言葉を聞いて直はほっとした。
ところがその後薫が言ったのは、思いもよらないことだった。
「それは冗談でも嘘でもないよ」
冗談ではない、嘘でもない、ということは。
直は記憶を反芻する。
何についての話だったか。そう、庭に埋まっている、と薫が言って、それは何かと自分が尋ねて。答えた馨は。
そこまできて、直は息をのんだ。
とうとう、寒気に捕まった。
足の裏から、畳の下から、土の中から、這い上がってきた冷たいものが一瞬で熱を奪い、直の全身はかたい氷になったようにぴくりとも動かせなくなった。
目を見開いたまま立ちつくした直を少し悲しげに見ると、薫は仏壇の前から立ちあがった。
長い足で、一歩直へ近づく。
「ねえ、最後に一つだけ、お願いがあるんだけど」
「…お願い?」
言ったつもりの言葉は、口から出なかったかもしれない。
目も、舌も、凍り付いたまま。意識は薫から離せない。
涼しげな瞳、整った鼻梁は、美人薄命という言葉を連想させる。人間離れした綺麗な顔は、今、真っ直ぐに直に向けられている。
その薫が、言った。
「あそこ」
長い指が、つ、と庭の隅を指差す。
「掘り返しても、いい?」