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我が家の仕事


遺品の整理は、母親から直に課された仕事だった。

しっかりものの母親は、独り暮らしにかかる仕送りを、その仕事の対価としたのだ。さらには進捗状況をスマートフォンで撮って、定期的に送れという徹底ぶりだった。

「まあ、バイトより割がいいのは確かだけど」

台所は今や薫の城なので、手を出しにくい。それに、あそこに眠っている干からびたミイラのように見えたものが実は美味しいご飯になるのだということを、もう直は知っている。

そんなわけで、今日は仏間の押し入れに手をつけることにした。

古新聞やチラシが綺麗に分類されて積まれているのを、運べる重さに分けて紐で縛る単純作業だ。

ところが最初は、ようやく十字に紐を回したと思ったら一度にたくさん結びすぎて持ち上げられない、という目に遭った。紐の一つも結べない自分を知って愕然とし、何度か量を間違ったり持ち上げたとたんばらばら崩したりを繰り返して、やっと満足に結べるようになった。

それから、古い端切れが大量に出てきた。きっと何かを作るつもりだったんだろう、と直は思った。

でも、何を作っていたのか、直には想像が出来ない。血のつながった祖母でありながら、それほどにしか関わりがなかったことに、一抹の寂しさを感じた。ともかく、祖母が死んでしまった以上、もうこの端切れを活かせるあてはない。直は端切れを燃えるゴミの袋に詰め込んだ。

「直さん。その端切れ、捨てるんですか?」

「うん。もう、使い道もないし」

「そう。でも、綿なら、リサイクルに出した方がいいですよ」

そう言って教えてくれるのもまた薫で、直はそっかと素直に従った。

地道に押し入れを片付けて行くうち、直は、母親が自分をここに住まわせたのは、なにも交通費云々のためばかりではないのではないかと思い始めた。ご飯の支度も自分でできない娘。洗濯機は回せても、物干し竿を拭いたことはなかった娘。古新聞の結びかたもゴミの分別も満足でないまま二十歳まで来てしまった娘に、現実を把握させねばという母の荒療治だったのではないか。

あり得る、と一人頷く。

「あの人、やることが極端なんだからなぁ」

偶然にも薫という同居人を得たから良かったものの、そうでなければ直は栄養不足で土のような顔色をして、端切れの山も台所の乾物達も全て燃えるゴミにしていただろう。

そう考えるにつけても、自分はなんとついているのだろう。直はまたひとつ、うんと頷いた。


この家に住み始めた一日目、何の気無しに庭の木に触ってそこにたかる毛虫に悲鳴を上げて以来、直はほとんど庭に出たことがなかった。

薫と約束したニラの収穫のために、この日は久々に庭に足を踏み入れる。

「毛虫、いないといいなあ」

「大体毛虫のいる木と季節は決まってるから、覚えてしまえば大丈夫」

薫の言葉には説得力があった。それに励まされて、直はスニーカーに足を入れた。

玄関から出ると、庭と門から続く短いアプローチを仕切るように、丸く刈り込まれた植木がいくつか並んでいる。アプローチの塀側が小さな花壇で、その上にかかるかどうかというところまで一本の紅葉が枝を伸ばしている。

「紅葉は?大丈夫?」

「…大丈夫」

「何?今の間は何?」

言っているそばから小さな虫がぷらりと上から垂れてきて、直は悲鳴を上げて薫にしがみついた。

「直さん、落ち着いて」

「だってだって毛虫が!」

「これは刺さない虫だから。動きも鈍いし、垂れ下がってくるくらいで害はないから」

恐る恐る見ると、薫は側にあった枝で虫のぶら下がっている糸をからめとり、アプローチ傍の土の上に放った。

「死んだ…?」

「殺していません。屋外は彼らの縄張りだし、害をなさないなら共存するほうがいいでしょう?」

「う、ん。そう、かも」

正直なところ、直としては恐怖の対象は一匹でも少なくなってくれたほうが嬉しいところだが、薫の言葉はもっともだと思ったので、従うことにする。

「こっちです」

歩き出してしまった薫の背中を、直は慌てて追いかけた。

庭というから縁側から見える紫陽花のあるところかと思えば、薫が案内したのは門の外、さっき眺めた花壇の裏側だった。

「え?ここ?」

敷地外ではないのか、と混乱する直に、薫がにっこり笑う。

「ここはまだ佐々木家の土地です。隣の方にも確認したから、大丈夫」

言われて見れば、地面に埋もれかけた低いコンクリートのラインが見える。花壇の縁があるからそこが敷地の終わりに見えていたけれど、どうやらこれが本来の敷地の境界らしい。

「意外と日当たりがいいんです」

そう言って薫の進む傍らには、支柱に沿って蔓を伸ばす何かの植物がある。さすがにこれがニラではないことは直にも分かった。ここは、ニラの他にも何種類かの野菜が植えられて、小さいながら家庭菜園のようになっているらしい。

「茗荷もここ?」

ううん、と薫が首を横に振る。

「茗荷は日陰が好きだから、お風呂場の方」

「それにしても、よく、見つけたね」

薫が立ち止まった。

「こういうの、好きなので。…ここです」

しゃがんで見れば、ぴろぴろと美味しそうな緑の葉が土から伸びている。

「本当は、春先の柔らかい時期が一番美味しいんだけど」

そう言いつつ、薫はニラの根本近くからざくっと鎌で一束刈り取った。

「やってみます?」

差し出された鎌の柄を恐る恐る握って、直は深呼吸した。青臭いようなニンニクに近いような、ニラの独特の匂いがする。冷蔵庫から取り出したニラよりも匂いが強く感じるのは、温度のせいか、切り取ったばかりの切り口から滲む緑の汁のせいか。

「そんなに緊張しなくても、大丈夫」

くすくす笑う薫だったが、直がニラを握って鎌を振り上げると、慌てて手を添えた。

「振り上げなくていいから。指を切ったら大変だから…そう、この辺に刃を当てて、ぐっと引っ張るだけで」

言われたとおり、というか、添えられた手に動かされたとおりに動いて、どうにかニラを刈り取った。

直ははあっと大きく息を吐き出した。知らず知らずのうちに呼吸を止めていたのだ。

「できたぁ」

鎌を使うのは小学校の草刈り以来、それもよく分からずに土を掘るのに使っていたというレベルの直にとっては、ニラ一束の収穫も大事業だった。

「私、鎌使ったよね、薫さん。もう、今度からニラの収穫は任せて」

たった一束、たった一振りの作業だが、直は大満足だった。そして、薫もそれを嗤うことはなかった。

「今日は、ニラ玉にしましょうか」

「賛成。卵、割ってもいい?」

「殻を入れたら、ちゃんと拾ってくださいね」

4月以降の更新予約をしてとりあえず1、2話を保存したつもりが、操作ミスで投稿していました。こんな半端な状態だったのにすでに評価してくださった方までいらして、ありがたさでいっはいです。

大まかな話は完成しているので、続きもなるべくお待たせしないで投稿しようと思います。よろしくお願いいたします。


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