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我が家の客人4

かくして、悠の帰宅の伝言は、直にだけ託された。

この日も、薫はバイトだったらしい。何時に帰るのか、直はよく知らなかった。ここ数日、そんな今までなら当たり前にしていた会話さえしていなかったことに気づいて、直はひどく後悔した。

もちろん、アドレスは知っているのだから、電話なりメールなり、すればいい。けれど、何をどう書けばいいのか。

「悠ちゃんが帰りました…って」

直は打ちかけた文を消した。

3人暮らしの初日辺りなら、それで良かったかもしれない。悠に目の敵にされていた薫は、正直なところそれでほっとしただろうから。でも、もうすでに二人の関係はそれなりに良好になっている。悠は薫を認め、薫も悠との辛口のやり取りを楽しんでいるようだった。だから、今悠の帰宅を伝えても、むしろ『なんだ、つまらない』となるのではないか。

「…今日は、何時ごろ帰りますか、とか」

ふっと、自嘲が溢れる。

「なにそれ、重すぎ」

自分たちは、ただの同居人なのだ。恋人どうしでもやや重いと言われかねないメールを、恋愛感情どころか好意すらもっていない相手に送られたら、どう思うか。ただ大家で、恩人の孫だからとかけてもらっていた気遣いを、勘違いされては迷惑だろう。

そんなことを考えて、握っていたスマホを置く。


結局悠が帰ったことを伝えられないまま、夜が来た。

夕闇が迫ってくると、唐突に直は、自分の中の恐怖に気がついた。

一人だ。

急いで野菜の水やりだけ済ませて、家中の雨戸を閉めて回り、暑い中全ての窓を閉めて施錠する。薫は合鍵を持っているから、玄関の鍵も締めた。

それなのに、鼓動は収まらなかった。、

この家の窓の鍵は昔ながらの螺式で、外から引っ掻けて開けることはできない。けれど、窓を割られたら?平屋で襖ばかりの家の中で、どれ程のことができるだろう。

それなら、薫に連絡すればいい。けれど、そこでまた、堂々巡りが始まる。

「でも、住宅街だし。いざとなったら大声出せば…」

そう言って自分を鼓舞しようとしたとき、折しも、雨が降ってきた。

すぐに雨足が強まり、ざあざあと雨粒が地面を叩く音しか聞こえなくなった。

かた、と置いた麦茶のコップの音に飛び上がって、ちゃぶ台の裏に膝をぶつける。

自分がたてた音だというのに、どくとくと心臓が騒ぎ、冷や汗が首を伝う。息が上がっていた。

立ち上がったときの直は、一種のパニックを起こしていたのかもしれない。

そのまま鍵とスマホだけひっつかんで玄関に向かい、雨の中に飛び出した。

雨粒が傘で弾けて、防ぎきれずに直の肩や手を濡らす。

足元はアスファルト上にできた水溜まりで水没したも同然だ。玄関に出しっぱなしのサンダルをつっかけてきたのは、この有り様ではむしろ幸いだったかもしれない。

ばしゃばしゃとしぶきをはねあげながら、直はなかば走るようにして駅へ向かった。

とにかく人恋しかった。夕立の住宅街は人通りが少なく、傘と雨とで閉ざされた視界がさらに孤独感を増す。そういえば、この道を一人で通るのは久し振りだということを思い出す。アレ以来薫が登下校に付き合ってくれたし、その後は悠と一緒だったからだ。その二人の、一方には嫌われていると知り、もう一方にはよくない態度で呆れられてしまったのだ。

どうにか最寄り駅のささやかな駅舎が見えたときには、直は傘に両手ですがるようにしがみついていた。

しかし、改札前の屋根の下に立ち止まって、はっとする。こんなところにきて、どうするのだ。薫の帰る時間がわかっている訳でもないのに。

もちろん駅の人並みに薫の姿はなかった。

ちらりと駅の電工掲示板を見ると、時刻は7時をいくらか過ぎたところだ。今日のバイトが臨時の家庭教師なら、もしかしたらそろそろ帰ってくるかもしれないが、それ以外のバイトなら、何時になるかは分からない。

「っあ、ごめんなさい」

立ちすくんでいた直は、改札から吐き出された人にぶつかって、慌てて脇へ避けた。

切符売場の前へと動くが、普段は人の少ないそこも、夕立を避けた人で込み合っていた。

直は、自分の邪魔さ加減に悲しくなった。こういうときは、なにもかもに対して縮こまってしまう。濡れた傘を持った自分が用なくうろつくのは、傘がなくて帰れない人々に悪いとか、ぶつかって人の衣服を濡らしてしまうのでは、とか、そんなことを考えると、その場に居続けることはできなかった。


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