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我が家の客人

何となく、夏は日本家屋が恋しくて、アップします。細々とですが、続けさせていただいております。


「ええ?!」

大声を出した悠は、回りの注目を集めてしまったことに気付いて慌てて身を屈めると、小声で詰問した。

「本気なの!?」

「うん」

直が彼女に、薫の正体とまだ一緒に暮らす予定だということを話したのだ。

「だって、男なんでしょ?!」

「うん」

「それに、そいつ、あんたのこと騙して近づいたんだよね?」

「いや、騙すっていうか、最初に薫さんに同居を持ちかけたのは私だし」

「そんなの関係ないでしょ!普通、ちょっとでも良識があったら、その時点で自分は男だから無理ですって断るべきところでしょうが」

「そうなのかなあ。でも、薫さんいい人だよ」

「薫さん薫さんってあんたねえ!まだ同性気分でいるんじゃないわよ」

「そうは言っても、薫さん、美人だし優しいし」

「直…あんた…」

憐れむような諦めるような目で見られ、直は困った。

何故、そんな目をしているのかが分からない。

「え?あ、ごめん、もちろん悠ちゃんも美人だしやさしいよね!」

焦る直に、なおさら眉を下げて、悠は首を振った。

「もういい。私がやるから」

「え。何を?」

「飲み会以来その男に協力して口つぐんでた奴らのつるし上げと、そいつとの対決」

「悠ちゃん?!対決って」

物騒な言葉に飛び上がる直だったが、悠の表情は変わらなかった。拳をもう一方の手に叩きつけ、きりりと直を見る目には迷いがない。

「今から呼び出す」


こうして数時間後、大学の駅前、小さなロータリーを埋め尽くすようにずらりと集められた集団は、彼女がぐいっと顎で示した店へと、とぼとぼと吸い込まれていった。そして最後に残った薫を、悠は絶対零度の視線で見下す。

「ゆ、悠ちゃん」

焦って取りなそうとする直の努力もむなしく、薫は悠に平手打ちされた。

「薫さん!」

「黙って受けたってことは、罪の意識はあるってことよね。みんなの前でぶちのめされなかっただけ温情だと思え、馬鹿野郎」

「悠ちゃん落ち着いてよぉ、やだよこういうの」

自分の友人の言動にあわてふためき、薫の顔を心配して見上げる直を、薫はそっと横に避けさせた。

派手に響いた音に何事かと向けられた好奇の目から彼女を隠して、そうして自分は真っ直ぐに顔をさらした。

「直さん、大丈夫だから。俺は確かにぶたれるべきだから、直さんがぶたないなら、代わりにこの人にぶたれるよ」

「私、薫さんのこと叩きたいとか思ってないから!」

「直は黙ってて」

ぴしゃりと言われて、叩かれたように直が黙る。それを可哀想に思いながら、薫は口を開いた。

「貴方が直さんのことを大事に思う人の一人なら、俺は貴方にぶたれても何も文句はないよ。それでも、今はもうしばらくあの家に住み続けることを許して欲しい」

気の強そうな悠の顔に、さっと朱が上るのが分かった。

「信じられない!何考えてるの?!」

「直さんには絶対手を出さないって誓うから。ちゃんと全部落ち着いたら出て行くから」

「のぞき魔が危険だからって理由なら、理由にならないでしょ?家の外に犯罪者が居るよりも、中に獣がいる方が危険なんだから。それなら私が」

「聞いたと思うけど、俺はこの前まで女装してたんだ」

唐突な話の流れに、一瞬悠の言葉が途切れた。

「だから、犯人は、あの家に女2人暮らしだと思って狙ったのかもしれない。つまり、女の貴方が泊まり込んでも、直さんを守ることにはならないってことだよ」

悠が口をつぐんだ。

薫の言葉に説得されたというだけではなかっただろう。薫が、その場に手をついたからだ。

「か、薫さん!ちょっと」

地面の汚さは気にならなかった。ただ、側にしゃがみ込んだ直の手が汚れるのは嫌だなと思いながら、薫は宣言した。

「俺は、直さんを危険な目にあわせたくない。だから、何発でも殴られるけど、今はあの家を出ない。でも、誓って手を出したりしない」

ざわざわと駅前の喧噪が間に落ちた。直はきっと困り果てている。悠は、薫を見下ろしながら考え込んでいるのだろう、と薫はその喧噪を聞いていた。

やがてぼそりと放り投げるように、悠が言った。

「…証明できるの」

薫は、慎重にゆっくりと話した。

「今まで一月以上無防備な直さんに何もしなかったことと、直さんのお祖母さんは俺の大恩人だってことで、信用して欲しい」

「…ねえ、立ってよ」

「…分かった。そのかわり、今日から私も泊まる。あんたが信用できる人間か、じっくり見させてもらう」

「悠ちゃんてば」

薫は、やっと顔を上げた。困り切った直の顔を見て確認する。

「直さん、それでいい?」

直が薫の腕を力一杯引っ張った。

「もうなんでも良いから薫さん立ってよっ」

駅前の歩道の上、土下座する薫にはたくさんの視線が集まっている。ようやく薫が立ちあがって膝を払ったとき、直はどうして一番焦っているのが自分なのかとぶつぶつ言いながら泣きそうだった。

「直、行くわよ!」

悠に腕をとられて、直は薫から引き離される。

「薫さぁ~ん」

「飼い主から引き離された犬みたいな声出すんじゃないわよ!」

犬と言われた直はさすがに口を閉じたが、目は薫から離れない。ごめんなさい、大丈夫なの、あとで言おうと思っているだろう言葉が全てその情けなく涙を溜めた目からこぼれている。

あやすように微笑んでみせるとやっと、大丈夫なの、が薄らいで、またその分申し訳なさそうに眉が下がった。

かわいいな、と薫は思う。

可愛くて、とろいわりに真面目で、生活力などまるでないけれど薫の教えることを楽しそうに覚えてくれて、心配になるほど裏がなく疑うことをしない。

佐々木のばあちゃんとは、全然違うけど。薫は大事な恩人の顔を思い出した。彼女は、とてもしっかりとした人だった。隙だとか心配だとかそういう言葉を寄せ付けないぴんと伸びた背中ごしに、たくさんのことを教えてくれた。家庭の味など知らず、掃除も家政婦任せの家に育った薫にとって、彼女は教師であり、家庭そのものでもあった。

その大恩人の孫だから、期待との違いに最初は戸惑いもした。何しろ、直ときたら、薫にとって愛着のあるあの家をカマドウマが出るだの旧時代だのと散々嘆いていた。さらには雨戸の扱いさえ知らず、冷蔵庫には卵と醤油以外何もなかったのだ。

それでも、それを良しと開き直っているわけではないことや、薫の暮らしを心配して同居を言いだしてくれる優しさはすぐ分かった。それからも女子大生が好みそうにない薫の節約料理を美味しい美味しいと食べ、つたない手つきで台所に並び、毛虫に悲鳴をあげながら野菜を収穫して誇らしげに見せに来る。一緒に生活していくうちに家だけでなく、直自身も好ましくなっていったのは、大きな誤算だった。

薫はそんなことを考えながら、居酒屋のトイレを出て座敷に向かった。

「あ、主犯が来た」

引き戸を開くなりとんできた悠の冷たい言葉に苦笑しながら、薫は直の姿を探す。

「薫さん」

悠の隣にいるかと思いきや、すぐ足元から声がして驚かされる。

直は何かの儀式のように、ひどく真剣な顔で両手を掲げた。

「薫さん、おしぼり」

「え?」

「手、拭いて」

それを言うために、この入口近くでわざわざ待っていたのだろうか。薫は、先にトイレの手洗い場に寄ったことはおくびにも出さずにそれを受け取った。

「ありがとう。助かる」

ほっとしたように直のほほが緩む。それを見て、薫は自分の演技に満足した。

「芹野ぉ。あいつら、仲良くなってんだし、結果オーライでいいじゃん?」

「何がいいの?私の親友が詐欺師につけこまれてほだされたことのどこがオーライなの?」

多分、周りの声も今の直には聞こえていない。彼女には、集中すると極端に視野が狭くなるところがある。その証拠に、反論もしなければ照れもしないでただ薫の手元を見守っている。

今の直の頭には、自分のことしかないだろう、と薫はわずかに優越感を覚えた。

「直さん、ちょっと詰めて」

首尾よく直の隣に座り込むと、薫はウーロン茶を頼んだ。

「矢野、飲まないの?」

「あ、分かった。お前、酔って紳士でいる自信ないんだろ」

余計なことを言う悪友を拳で黙らせる。

覗き魔騒ぎから扉を開けることさえ未だに怖がっている直に、そういう話を聞かせたくなかった。

ちらりと横を伺えば、直が小声で囁いた。

「矢野薫さんだったの?」

「うん。そういえば言ってなかったね」

「聞いてなかったね」

ひそひそと今さら過ぎておおっぴらにしたくない会話を交わしているうちに、反対側の入口からウーロン茶のジョッキが届いた。

「薫さん、はい」

直が渡してくれる。やっぱりさん付けだな、と思いながら、薫はそれを笑顔で受け取った。一度君づけしていたのが、さんに戻ったのはやっぱり男ではないものだと無意識に位置付けて安心したいのだろう。だから、あえて指摘しない。

さっと薫は席を見渡した。20人ほど、男女比は7:3ぐらいだろうか。よくまあ集めたものだと、芹野悠という人間の行動力に敬服しつつ、身を乗り出して直の隣に声をかける。

「山本、そこどいて。林さんと代わって」

「なんだよ急に」

「いいから」

ぶつぶつ言いながらも席を動いた山本に後で礼を言おうと考える。

「矢野ぉ。独占欲か~?」

遠くでいらないことを叫んだ橋本には後でたっぷり礼をしてやろうと決める。

「直さんは、俺の恩人のお孫さんなんだよ。だから、失礼なことは言うなよ」

橋本に怒鳴るふりをして、全員に聞こえるように言う。

案の定、別の女子が興味をもった。

「矢野君の恩人?なになに、どういう話?」

「俺が小さい頃から孫みたいに可愛がって飯作ったりいろいろ教えてくれたりしてた人が、直さんのお祖母さん。夏前に亡くなったんだ」

ウーロン茶を見ながら、周囲が聞いていることを確認する。

「そう言えば、薫、あの頃荒れてたなあ」

ここにいるのは薫が直に性別を偽って話しかけたときに積極的に口を合わせた人間だから、大体が薫の友人だ。彼らは薫があの飲み会で酔った直に強引に近づいたことも、その直前の薫が荒れた生活を送っていたことも知っているので、直の名誉に関わる誤解をしている可能性が高い。だから薫は、大々的に正しい関係を説明しておこうと考えた。

「それで、直さんの話を聞いてあの人の孫で俺が入り浸ってた家に住み始めたんだって知って、どうしても近づきたくなったわけ」

「てっきり俺は、薫が送り狼になる気だと思った」

遠くでいらないことを叫ぶ橋本へおしぼりを投げつけて、それを驚いた顔で見ている直に気付いて、急いで微笑んだ。

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