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ようこそ我が家へ

「なんでなの!なんで私の同居人はカマドウマなのお?!」

絶叫する少女は大して酒を飲んでもいないのに、すでに最高にたちが悪い酔っ払いになっていた。

だからいい加減友人達もうんざりしていたのだろう。

「だったら、私が住みましょうか」

突然一人の美少女が言い出すと、あれよあれよというまに周囲によって丸め込まれ・・・

「なんで?ほんと、なんでなの?」

少女の同居人はこの日からもう一人増えた。


ほかほか炊きたての、ご飯の匂い。

味噌汁の出汁の香りがして、とんとんとリズミカルな包丁の音がして。

「直さん、ご飯ですよ」

ああ、こんな朝っていいよね、と夢うつつで布団を被っていた直は、ふと違和感を感じて目を開けた。

「直さん、おはようございます」

美しい黒髪の少女がそこにいる。

――この人は、誰。

直は、ぼんやりとその人物を眺め、それから勢いよく起き上がった。

「お、おはようございます!」

「はい、おはようございます」

少女はにっこり微笑むと、着替えたら茶の間に来てくださいね、と言い置いて出て行く。

その楚々とした美しい所作と言ったら、同じ女である直でもほれぼれと眺めてしまうほど。

「…あ、よだれ、垂れてたかも」

寝起きの顔をこすって、しみじみ女どうしで良かったと思う直だった。

彼女は、昨日の飲み会で一緒になった薫さん。酔いつぶれた自分を送ってくれたんだ、と思い出す。

パジャマ代わりのTシャツから大して変わりはないものの一応別のTシャツへと適当に着替えて顔を洗い、茶の間に入る。普段ならこの適当な着替えさえ家の中では省略するのだから、一応これでも気を遣っている。

「うわ、すごい。うちにこんなに食材あったっけ?」

「戸棚の乾物、勝手に使わせてもらっちゃいました」

よかったですかと言われるが、良かったも何もあることすらよく分かっていなかったのだから文句があるはずもない。

「本当ありがとう薫さん。ええと、いただいてもいいかな?」

「冷めないうちにどうぞ」

向かい合って両手を合わせれば、あとは食欲のままに箸がすすむ。

味噌汁の具はわかめと麩だった。出汁がよく効いた汁に、久々に身体がゆるむ。

実家を離れたこの街で独り暮らしを始めてからというもの、コンビニとレトルト食品のお世話になるばかりだった。

「おいしい!感動的!」

絶賛すれば、美少女はやや照れた顔をして、

「味噌がおいしいからですよ」

と言った。

「お味噌?あれ、あの樽の中の?」

はいと言われて直は驚く。この家に来て一週間、使わずかといって捨てもせず、放置していた物体がこの見事な料理に変化したことに。料理など目玉焼きくらいしかできない直にはそれはただ暗闇で足をぶつける邪魔な置物でしかなかったのに。

「捨てなくて、よかったあ」

他の料理もおいしかった。切り干し大根と干し椎茸の煮物に、唯一直が買って冷蔵庫に入れておいた卵で作ったのであろう卵焼き。ご飯に添えられた梅干しは、台所の床下で見つけたという。

「薫さんって…」

驚愕に言葉を失う直に、薫は慌てたように

「ごめんなさい、いろいろ勝手に」

と謝る。しかし直の耳には全く入らない。

「凄すぎ。同じ女でもこれだけ違うと嫉妬すら湧かない。尊敬する」

興奮し箸を握りしめて直がそう言うと、薫は拍子抜けしたような顔をした。

それから

「直さんて…いえ、食べちゃいましょうか」

何事か言いかけたものの、未だ興奮していた直がそれに気付くことはなく、二人は食事を再開した。


食事が終わると、薫は当たり前のように食器を片付けにいく。慌てて直はその背中を追いかけた。

「片付けくらい、任せて」

腕まくりをして言うと、薫は少し目を見開いた。

そうすると楚々とした美少女然とした顔にあどけなさが加わり、直は思わず見とれた。

「じゃあ、お洗濯の方を御願いしていいですか」

「え?洗濯?!」

「ええ。差し出がましいとは思ったんですけど、昨日直さん、吐いてしまったので…」

言いづらそうに自分の失態を明かされ、直は平身低頭した。


結局、洗濯を干そうとしたものの棹を落としたりともたもたしている間に薫が来て、二人で干すことになった。

薫は手早く物干し棹を拭いて、そこに洗濯物を干していく。大きなシーツは、昨夜直が汚したのを薫が取り替えてくれたものだ。

言われるままに両端に洗濯ばさみを止めながら、直は感心してつぶやいた。

「うまいねえ」

どちらかというと、薫が主体で、直はそのお手伝いだ。実家ではこんなことも母親に任せきりで、そのことに気付いてもいなかったのだと、彼女はここ数日で思い知っていた。

「薫さん、一人暮らし長いの?」

「いえ。実家暮らしですよ」

家族に甘えず身の回りのことをできるとは、なんと自立した人だ、と直は感嘆した。

「へええ。お料理も洗濯も上手だから、てっきり一人暮らしだと思った」

自分を基準にそう言った直に、薫は少し困ったように笑って、タオルの皺を伸ばす。

「窮屈だし理由もなくなったし、先立つものが出来次第家を出ようと思っているんですけどね。」

ふっときれいな横顔に寂しげな色が浮かんで消えた。直は、見いっていた自分に気付いて慌てて話を継ぐ。

「…ああえっと、そうだよね、確かに家賃に生活費に、結構かかるもんねえ」

言いながら宙を見上げて、コンビニ弁当とここへ来てからの日数を掛け算した。さすがに、高品質をうたう某コンビニのお味にも三日で飽きた。

顔を居間へ戻せば、そこには先程まで茶色が目立つながらも出汁と栄養たっぷりの温かい家庭の味がのっていたことが思い出される。

ああ、薫のおかげであんな素晴らしいご飯を食べられたのは、なんと運の良いことだったろう。願わくば毎日たべたい、と直は切実に望んだ。

恋をした胸のときめきよろしくきゅっと鳴った胃袋を押さえていると、薫がこちらを向いた。

「直さんは仕送りですか?」

「うん。ここの片付けと管理を条件に。もうちょっと慣れたらバイトも探すつもり。薫さんはバイトしてる?」

「私は家庭教師を。でも、もうひとつ考えているところです」

一人暮らしするには掛け持ちしないと無理なのだろう、と直は思った。

「そっか。どんなのを考えてるの?」

「短期で稼げるとなると、自信はないけど肉体労働なんですよね」

「ええ!」

思わず叫ぶと、薫がしまったというように口を閉じた。直に聞かれて日頃から考えていたことを思わずぽろりと答えてしまったのだろう。そのことを恥じているようだった。少し耳の辺りを赤らめて、不安げに伺ってくる。そのなんと可憐なことか。

肉体労働、と直は脳内で反復した。工事現場か、それとも、ある意味もっと過酷な夜間の…。頭をふって浮かんだピンクの世界を追い払う。

どちらにしても、彼女のような人にそんなことをさせられない、と直は思った。酔っ払いの介抱から洗濯までしてくれて、和食も作れる正統派美人だ。今時珍しい絶滅危惧の大和撫子だ。断固、反対。断固、保護だ。

「ねえ、昨日の」

気付いたときには、もう半分口にしていた。

こちらを見た薫の黒々とした瞳をじっと見つめて、直は結局続きも言ってしまう。

「本当に、住んじゃう?」

薫の目がぱちりと瞬く。

驚いたんだろうとそれを確認しつつ、でもせっかくここまで言ったんだから、とばかり、直は続ける。

「うち、このとおり古いけど、部屋数は余ってるし家賃はいらないよ。私、ずぼらだからたまにお掃除とか、ほんのたま~にお料理とか、してくれると、うれしいなって」

それならば直はまたあの美味しいご飯を食べられるし、薫も家賃が浮く分楽なはずだ。バイトの掛け持ちをするにしても、もう少しソフトな労働を選べるだろう。

ぱちり、ぱちりとまた、薫がまばたきをした。長いまつげが、そのたび頬に影を落とす。

直は明るい声を出した。

「なんかね、薫さんとならうまくやれそうな気がするの。私、とろいけど、こういう勘というか、人との運?そういうのだけはいいんだ」

これは本当だ。何しろ今まで、友人はその場の流れで縁を結んできたが、みな大当たりだ。あとは、食の好み。これが合うのは、一緒にいて楽な人だと言うのが直の持論なのだ。

「古い家とトロい私に我慢出来そうなら、取り敢えずお試しで、住んでみない?」

直の力説に、やがて薫も笑った。

「…直さんがそう言ってくれるなら、お言葉に甘えようかな」


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