第八十九話 素言露出、狂い咲き
花婿という立場に男は先ほどまで、あれでも縛られていたのだ。男はかろうじて外向けの自分という仮面を被っていたのだから。
だがそれは内から湧き出る本性によって罅が入り、そしてとうとう今、それが割れた。男から醸し出される道化の雰囲気は霧散し、そこから出てきたのは、妖艶かつ、威圧的かつ、支配的な我が物顔の自由人だった。
「儀式は終わったのだ。もう構うまい。茶番はここで終わりだ。私は今から本来の目的を発表するわけだが、それには場所を移らなくてはならない。なに、直ぐ側だ。貴方方を延々と歩かせるつもりはない。」
突拍子もなく、一方的で尊大な発言。だが、その言葉にやんごとなき人垣はなぜか誰一人言い返すことなく、従う。
そうして、人々の前へと跳ね出て彼が指したのは庭の噴水。
すると、噴水の陰からマークス家の従僕の一人が姿を見せ、燕尾服を着たまま噴水へ躊躇なく入り込み、噴水の胴を抱え、そして一気に引き抜き、それを持ち上げて噴水の外に置いた。
そしてずぶ濡れのままであるのだが、洗練された、上品な深いお辞儀を人垣と主に向かって
行い、そこから迅速にはけていった。
彼は周囲の人垣を割り、庭の泉へと向かう。そして、このために予め用意しておいた物を取り出した。ふと何もないところから取り出してみせたそれは、彼のふくやかな腹回りと同程度の大きさをした巨大な貝殻だった。
まるで手品のように現れたそれ。どこから出したのか検討がついた者は皆無である。
彼は、片手で端を持っているそれを目の前の水面にすっと浮かべた。
「さて、では聞いて頂こう。――。お、どうやら少し音が大き過ぎるようだ。」
彼は、周囲のやんごとなき、優美であるはずの方々が、その大き過ぎるウェイブスピーカーからの至近距離からの大音量に耳を抑えたり、びっくりして尻餅をついたり、酷い人はこれまでの仰天行動の蓄積でぐったりしていたり倒れたりしていた。
だが、男はそんなことに構いはしない。これはただの前置きなのだ。実は、この音声はこの場にいる者たちだけに向けたものではない。
ウェイブスピーカーは、通常の大きさのものであってもそれ一つで巨大なガレオン船に音を十全に伝え余りあるのだから。
今回はウェイブスピーカー本体も、伝達の増幅の役割を果たす水量も、通常ではない、規格外。
それに加え、もう一つ。泉の水は、下水を通り、途切れなき水の導線、蜘蛛の巣のように張り巡らせられているのだ。この東京フロート全域を。
「ははははは! 聞こえているだろう、この東京フロート全域に私の声が、言葉が。」
「もっとも、諸君らがそれに対して返答してもその声は私に届きはしないが。」
「つまり、これは、私から諸君に送る演説であり、宣言である。」
「よって、聞き流してもよい。だが、できれば真剣に聞いておいたほうがいいだろう。きっとそこには、諸君の興味を惹く何かがある。」
「これは、私、シュトーレンマークスモラーから、全てに対する挑戦状であり、永きに渡って隠された秘密の暴露であり、かつてない刺激への招待であり、誰もが過去、現在、未来に渡り、現実で見る夢そのものに形を変えるかもしれないからだ。」
「前置きは終わりにして、そろそろ語らせてもらおうか」
東京フロートの、波以外の音の全てが一斉に消える。東京フロートは、そのとき、道化師の掌中に収まり、島の上の全ての存在は道化師の思惑通り、糸に掛かり、これから起こるであろう変化の予感に集中した。
そして、ふたたび男の口が開いた。




