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モンスターフィッシュ  作者: 鯣 肴
第一部 最終章 東京フロート
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第八十四話 リールの決断

 突然の乱入者の登場にその場のやんごとなき人々の空気は固まり、一瞬時でも止まったかのよう。誰一人声を上げず、身動き一つしない。乱入者の仮面の少年と、彼が対峙しているリール以外は。


 彼女は目の前に突如現れた異質な少年に視点を下げ、見据える。


(このわずらわしい仮面がこんなところで役に立つなんて皮肉だなぁ……。こんな顔、とても見せられないよ……)


 できる限り、心の内の発露を抑え、平静を装う彼女。だが、彼女の目元からは、化粧の滲≪にじ≫んだ赤黒い涙が流れていた。目頭に貯まり、支えきれなくなってこぼれ落ちたそれは、彼女の心の内を形容しているようだった。


 さながらそれは血涙のよう。


 その場で唯一動いている彼と彼女の世界。彼女の視野はどんどん狭まり、突如、真っ白な空間に引き込まれ、互いに向かい合っている以外には何も見えないかのように感じ始める。


(ポンちゃん……)


 花婿そっちのけで彼女は自身の商店に合わせた空間、少年と自身だけ内包する視界に没入していた。そして、表情の読み取れない、何を考えているかまるで見当も付かない、目の前の仮面の少年を見つめる。


 彼女には少年の表情は読み取れない。ただでさえ表情が薄い少年の現在の心情を読み取ることなどできるはずもない。リールが少年の心の内を読み解く鍵は、少年の行動しかない。


 だから、ただはかなげにこう願うしかないのだ。


(どうかきっとポンくんも今、私と()()()()感じてくれていますように――)


 すると、彼女の目に映る少年の姿が()()()()。彼女の心情が投影されたかのように。


 思わず彼女は目を背ける。直視できなくなって。そして心を落ち着けるために彼女は自身の手に視線を落とした。だが、それも歪んでいる。


 そして彼女は、半分夢心地のような自身の状況をようやく掴んだ。


(あ、そっか……、私泣いてるんだ)


 彼女は、視界の歪みを強めるものの正体、目から溢れて止まらない液体の滴下にようやく気づいたのだった。






 突如、静寂の時間が終わる。


 突然の乱入者。このような()の場であってはならないことだ。遅れながら、そういった不届き者の排除に動くべき者たちが動き出したのだ。


 最初に飛び出してきたのは、顔を仮面で覆った総髪の老紳士。彼の正体は、彼女の家の執事である。リールに昔から付き従う執事。燕尾服を着て、品よく纏めた服装の彼は、老人というのが憚られる、老紳士だった。


 リールを釣人旅団から離脱させるくだんの手紙を持ってリールを迎えに来たあの老人である。もっとも、今の状態では彼が誰であるかは、リールですら分からないのだが。


 彼が今、この場で最初に動き出したこと。それには彼に一切の客観的メリットをもたらすことはない。むしろその逆。デメリットだらけだろう。自らが主人と崇める存在に気付いてもらえない状況であり、今自分が動くことが、主の心に秘めた望みに反する結果を生む可能性が高いのだから。


 それが分かっていても、彼は当然とでもいうように動いたのだ。両家の多くの従僕たちの中で最初に動くことができたののだ。


 それは、彼の持つ忠義の大きさ、そして。矜持故だろう。彼にはそれで充分だった。それこそが彼のメリット、彼自身の、他からはなかなか理解されないメリットなのだから。それはこれまでも、彼の中の天秤を常に大きく左右してきたのだから。


 老紳士は、リールと少年の間に割り込み、少年に顔を向け、リールに背を向け、仁王立ちした。そして声を上げた。


「何をしているのですか! 侍従一同、勤めを果たしなさい」


 その声が周囲の膠着こうちゃくを壊し、止まっていた時間が動き出した。少し遅れて、やんごとなき人垣の中から数十人、老紳士の呼び掛けに呼応するように人垣の様々な場所に紛れて同化していた執事とメイドたちが一斉に動き出した。


 花道へと出て行った彼らは幾重の層となり、少年を囲む。そして、ゆっくりと包囲を狭めていく。


 リールはそれを見てある疑問を抱く。


(おかしいわ。遅い。百戦錬磨な一流の侍従である彼らがこんなに後手に回って行動するなんて考えられない。こういったとき、彼らは動くときは瞬時に、動かないときは瞬き一つせず、不動のはず……)


 そして、少年が侍従の輪に包囲され、いよいよというところで老紳士が何故かリールの方を見ながら、掲げた手を振り下ろそうとしている。常に迅速な老紳士が、何故か人並みの、早過ぎず遅すぎずの速度でその手を振り下ろしている最中だった。


(やっぱり、そうなんだ……。三宝≪さんぼう≫さん、酌んでくれるのね。三宝さんが出てくるタイミングが遅かったことからもう引っかかってたけど、間違いないわ。背中を押してくれるのね。・・・っ、ありがとう、三宝さん。私、やるわ!)


 三宝というのは、この老紳士の名である。三宝さんぼう 防人もりびと。それが彼の名前だった。リールにとっては、両親の名よりも先に覚えてしまったほど今まで世話になった、信頼すべき、尊敬すべき、情に厚いながらも職務にどこまでも忠実な男。


 だから、リールは心を決めることができた。


(もう、私は振り返らない!)


 老紳士はそんなリールの様子を見て、仮面の下で密かに微笑んだ。そして、若干先走りだしそうになっていた一部の侍従たちを雰囲気で牽制けんせいした。


 自身の本心を露わにする、正直に振る舞う覚悟を決めたリールは、その立ち振る舞いを崩さずに大きく息を吸い、張り詰めた空気を払う命を解き放つ。


「待ちなさい!三宝、そして、忠実な従僕たち!」

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