第七話 星砂の海岸
泳ぎきった。曲線を描いて数百m。少年は、焦って飛び込んで服を脱いでいなかった。かなりきつかったようだがなんとか泳ぎきっていたのだ。少年にとっては、服を着ての遠泳は、幸い、意識を失うほどのものではなかったのだ。
『とりあえず。』
ギュー、ギチギチギチ、ギチギチギチ。
ギュー、ギチ、ギチギリ。
少年は絞った服を着て、ふらふらと歩き出した。いくら少年でもさすがに体力を消耗している。未だ平静を保っているが、体はもうげっそりしている。
砂浜。少年はそこで辿りついた。歩きながら地面を見る。そして気づくのだった。音が違う。いつもと感覚が違う。
立ち止まる、しゃがみ、掴んで握る。
『これは……』
少年は、握った手の中に残ったものを目を細めてよく見つめる。砂ではない。これは星の砂。有孔虫の死骸。
『確か、貝のご先祖様だったっけ……。』
少年が母親に教えてもらった話。星の砂。星の形をした砂。その正体はある生き物の死骸。貝のご先祖様の死骸。
『笑いながら昔みせてくれたことがあったっけ。』
足が止まる。
『先に進まんと……』
涙を流しつつ少年は進んだ。町へと。
しばらく進むと、そこには階段が。石造りの階段。白い石。形が綺麗に整えられている。
少年は力を振り絞り、そこを駆け上がっていった。
近くで見たら船で見たときよりもその綺麗さが際立つ、太陽に照らされて、眩く光る町。
『門越しで見える風景ですらこれかあ。中に入ったらもっと素晴らしいに違いないな。』
肩で息をし、興奮でさらに息が乱れた少年は、心を落ち着ける。
わざわざ少年が後一歩で町に入れる地点で足を止めて心を落ち着けた理由。それは門の向こう側にある。少年が門というそれは、トンネルのようになっていてる。それでも門と呼ぶのは、その先に門番がいたからである。
『ここを通れなければ話にならんで。』
少年は、ゆっくりとそこを進んでいく。
槍のようなものを持った、白い布を体に巻いて服のように羽織り、その上から、ベルトを腰の辺りにしている二人の男。二人は雑談でもしていたようだが、少年に気づき、振り向く。
「すみません、あの木の大きい船から来たものですが。」
少年は平静を保ち、必死の作り笑顔でそう言う。内心ではおどおどしている。それは当然であった。槍を持った二人の門番が近づいてくるのだから。笑顔で。
少年は身構える。
「おいおい、坊や、そんな身構えなくても大丈夫だよ。俺たちは何もしないって。」
二人のうち大柄な方の門番は身振りで敵意がないことを伝えようとする。槍を持ったままだったため、逆効果であったが。少年の顔は引き攣る。
「あ、おい、これだこれ。これ持ってるからびびられてんだよ。」
小柄な方の門番が幸いにもそれに気づいた。
カランカラン
カランカラン
「安心してくれ、ほんとに。俺たちはただの門番さ、この町のな。」
「あんま仕事する機会ないもんでね。びびらしてごめんよ、坊や。」
「……」
カクリ、ザッ。
少年は膝を付く。当然である。先ほどまで、肉体と精神を極限まで使って、一人、冒険していたのだから。緊張の糸が切れた。それだけだった。
「しゃあねえなあ。お前、運んでやってくれ。俺は槍持つから。」
「へいへい。しゃあねえなあ。坊や、背負うぜ。……気失ってやがる。」
少年と門番たちは町の喧騒の中へと消えていった。
「さて、そろそろあいつも気づいた頃じゃねえかな?俺たちが町に先に入ってるってことによ。」
船長は、その立場らしからぬ、しかし、彼らしい言葉を口にする。特上の笑顔で。船長以外は全員、椅子に座っている。
巨大な部屋。白い壁で囲まれた白い部屋。白い石を積み上げて作ってあるようだ。床には赤い絨毯が引いてある。たくさんの石造りの小さな椅子とそれに座る、旅団の船員たち。少年以外の全員がここにいる。
そう。これはただの悪戯。ちょっとした余興。少年を試すためのゲームだったのだ。
「そうは言いますけどね、これはいくらなんでもやり過ぎでしょう……。船長、あなた大人ですよね、一応……。目を覚まして、船内で一人泣き叫んでたらどうするんですか……。」
茶髪の青年は、呆れ顔で、そう船長に訴える。
「おいおい、あいつ起こさずに出てきちゃったお前も同罪だろうが。なんで、あなた大人ですよね、一応とか言われないといけないのよ。」
船長への訴え、通らず。同罪なので当然である。
「私、やっぱり見て来ようか?あの子ねえ、しっかりしてるけどまだ子供よ。これはやっぱりやりすぎよ。」
パイナップル頭の女は心配を抑えられず、部屋から出て行った。船長を一目睨み付けてから。相変わらず、へらへらしている船長。
『あの透明な壁をよじ登ればすぐだろうし、放っておいてもいいだろう。しかし、驚いた。あの壁、手足めり込ませることができて、簡単に垂直方向に上り下りできるからなあ。ポーとクーでも上り下りできたんだから、あいつなら問題ないだろう。』
ポーは、フライングして少年と顔合わせした(ひたすら隠れていた)少女、金髪美少年であるクーの後ろに隠れていた少女のことである。そんな少女がこんなことを言い出す。
「あの子だけ置いていくなんてやっぱり間違ってるわ。私も行ってくる。」
「僕も付いていきます。やっぱり心配になってきました。やりすぎですよ、これ。」
二人は、心配そうな顔をして部屋を出ようとする。
「おい、ポー、クー。待っとけって。俺がうまくいくって言やあ、うまくいくんだよ。あいつは自力でここまで来るさ。それに、あいつが迎えに行ったんだから待っとけばいいだろ。どうせムダ足になるだろうけどな。」
二人に向けてそう言う船長は相変わらずふてぶてしく笑っている。
「全員揃うまで、外出はナシだ。もうじきだろうから、待とうぜ。」
船長がそう言い終わった丁度その時、扉が開いた。
「え?」
船長は、ただぽかんとしている。門番に背負われた少年。意識を失っている。
金髪の少年が不安そうに尋ねる。そこの役に立たない船長の代わりに。
「すみません、状況が飲み込めないのですが、どうなってるんです?
肩に背負われている彼は大丈夫なんですかね……」
「そこの船長さんの言うとおり、海岸から町に入ってきましたよ。私たちの前で力尽きましたが。」
二本の槍を持った小柄な方の門番がそう答えると、大柄な方の門番が少年をゆっくりと絨毯の上に降ろす。少年はまだ気を失っている。
「どうだ、俺の言った通りになっただろ。あいつなら、誰もいないからってうずくまって泣いたままなんてありえねえ。」
すぐに我に返り、誇らしげに語る船長に、船員たちは呆れ果てている。お構いなしに船長は続ける。
「絶対に、町まで出てきて情報集めしようとすると思うぞ。知恵と体力、両方あるからこそあいつは海を渡ってくるぞと。知恵だけだったら、もっと時間かけてあの壁から降りてくるだろうな。ルートも当たってただろ。」
船長はさも当然のように語る。そう、彼にとって当然なのだ。少年はパートナーなのだから。共に大物狩りをするのだから。そんな相手のことが分からなくてどうするのか、と。それほどまでに少年を買っているのだ。
「船長やるわあ、すごいわあ。」
ボーダー女はそう言う。投げやりに。
「だろ。」
全て思い通りだと、笑顔で調子よくガッツポーズする船長。しかし、その内心は違っていた。
『誰も気づかないか……。なぜ俺がこんなことをやったのか。だからこそ、あいつが来るまで、こいつらの中の誰とも俺は組めなかったんだよ。だが、あいつなら、あいつなら俺の真意が分かるはず。これくらい。俺の見込み通りだった。』
船員たちは笑う。船長が言うとおりになったと。今回の心配も杞憂だったと。
船長は、席に座り込む。口元が自然と緩む。
『待つか。もうすぐこいつも目を覚ますだろう。そうしたら、町の探検だ。』