第七十四話 予想を裏切る女 前編
中へと足を踏み入れる。そこは、竹が密集して壁を作っており、壁以外の部分には竹が生えていないこと以外は竹林のようだった。
外からは分からなかったが、壁となっている竹は、庵の内側だけ枝葉が残されており、光がスポット状に降り注いでいた。
先ほどの通路ほどではないが、やや薄暗い。
そして、正面には、黒い石の上に胡坐をかいている女性が居た。顔は見えないが、髪は肩にかかるほど長いストレートの黒髪。座っているにも関わらず、圧倒感があり、背は高そうである。服装のため、体系はあまりしっかりと把握できないが、かなりがっちりとしていることは間違いないだろう。胸部の膨らみは体系を把握させないその服装の上からもしっかりと確認できるため、少年は目の前の相手が女性であると判断した。
突如、風が吹く。四方が壁に囲まれているにも関わらず。女性の後ろから吹いてきたように見える。天井から降る光が揺らぎ、女性の髪が揺らぐ。
甘美で品のある香り、喩えるなら、梅のような香り。それが、少年の鼻腔へと漂ってきた。その女性は、白磁のような真っ白な肌をしており、一切の瑕疵は見られなかった。
そのような表現をするのは、女性があまりにも人間離れしており、まるで、人形のように見えたからだ。胡坐をかいて、頬杖をついているにも関わらず。顔の各部位の大きさとバランスが神懸かっているのだ。西洋の表現でいうと、黄金比。
人の顔に黄金比というものが存在するのならば、彼女のような顔のことをいうのだろうと少年は息を呑む。
特に、目が大きいとか、鼻が高いとか、そういった印象は受けはしない。最初に浮かんだ印象が、整っている、だったのだから。そうとしか言い様がなかった。
顔の各部位に特徴が感じられないにも関わらず、美しく感じてしまうのだ。疑いようもなく。他の誰が見ても同じように口を揃えて、美しいと言うだろうと、少年は雰囲気に飲まれていた。
彼女が着ていた服もその印象を強固なものへとしていた。真っ白な、布。数枚の、透けるほど薄い長方形の布を、体の上から幾重に羽織っているように見えるのだ。服というにも語弊がある。外套といえばいいのか。それを何枚も重ねていると。
だが、それでも十全に言い表せているとはいえない。無秩序に重ねた布。それを、首元と腰元の二箇所、真っ白な帯で覆っていることから、かろうじて、服と判断しているに過ぎない。
何か分からないが、抵当する服を少年は見たことがない。ただ、西洋寄りではなく、東洋の、日本の何か、といった印象を受けるのは、その青みがかった長い黒髪と、真っ白で他に色のない布のせいなのだろうか。
梅の香りを放つ、幽玄の美を持つ、どこか人間離れした印象を与える女性。だがその印象は次の瞬間、脆く崩れ去ることとなる。
「やぁぁ、よく来たね! 君のことはよぉ~く知ってるよ。まあ、手紙で聞いただけなんだけどね。」
少年は絶句した。彼女から受けていた印象からは想像できなかった口調に、声に。先ほどまでの人形っぽさはなりを潜め、人間らしさ、俗っぽさが溢れている。
声は低い。神秘的でもない。若干ハスキーがかっていて、あまり綺麗ではない声。見かけのせいか、少々汚くも感じられてしまう。
それどころか、女性っぽさも、無い。胡坐を組んだ足を下ろし、大きく開いて地面につけたとき、その奥が見えそうになった。裾がかなり深かったため、見えることはなかったが。
足はすらっと長い。細すぎず、適度な太さ。人間が理想とするものをそのまま形にしたような足だ。酷いギャップに少年は戸惑う。
「……。」
少年は言葉が出なかった。どう反応すれば、何を口にすればいいか全く思いつかないのだ。初対面でも怖気づかない少年が、口を開くことができなかったのだ。それは当然、少年にとって、初めての経験だった。考え込みすぎて、思考の渦の中に引き込まれていく。
「狐につままれたような顔をして、どうしたんだい? 君、普段そういう反応しないんじゃないの? かぁ、だめだね、こりゃ。おい、ゴブリンさんや、何とかして~。」
少年の横で存在感を消して風景にすっかり溶け込んでいた小鬼は、固まって微動だにしない少年の顔を覗きこみ、両肩を持つ。そして、思いっきり少年を揺すった。ただひたすら、揺すり続けた。
やがて、少年は我にかえり、
「な、何するんやあああっ!」
と、小鬼の両手を掴み、どちらが鬼か分からないような険しい顔をしていた。
「お、正気に戻られましたか。」
「ああ、すっかりなあ!」
小鬼は少年の方ではなく、女性の方を向き、
「悪戯が過ぎますよ。こんな子供で遊ぶとは何事ですか。」
と、にやにやしながら言った。
「あいつから、子供らしからぬ子供、子供の形をした何かって聞いていたもんでね。いろいろ試したくなったのさ。」
悪びれることなく、笑顔で女性は小鬼に答えを返す。少年には目もくれない。
「ははは。いつものことじゃないですか。私も、貴方も。これだから辞められないんでしょう、ね。」
そう言い残して、踵を翻し、小鬼はその空間から出ていった。倒れた竹を壁に嵌めなおして。そこは自動ではないのである。




