第六十八話 リールを追って 後編
そこは宿舎だった。五つの部屋が一つの階層にあり、二階建て。門番の部屋は一回の最も右側の部屋だった。
ガシャ。
「どうぞ、入って。」
「お邪魔します。」
自分は本当にこの人にとって邪魔になってるだろうなあと思いながら、少年はそこへ足を踏み入れた。六畳一間。
(俺が住んでいた部屋よりもだいぶ狭い……。)
「狭いところだけど、ゆっくりしていってね。」
男の部屋は殺風景だった。小さなテーブルが部屋の中央にあり、木製の折りたたみベットが一つあるだけ。天井に明かり用としてちょうちんが取り付けてある。
カチっ。
部屋が明るくなる。ほのかにだが。部屋の中央で蝋燭の火を明かりにするより少し弱い程度の光量しかない。
都会の中流程度の暮らしぶりであろうと、蝋燭の火が夜の明かりなのである。規模の大きな街では、モンスターフィッシュそのもの、もしくはモンスターフィッシュから採取した素材で、蝋燭以上の明るさの明かりを確保しているが、それらが個人の家全てに行き渡るまで届くことはまずない。たとえそれが一国の首都であろうとも。
少年がこれまで居た場所が異常だっただけなのだ。モンスターフィッシャーは、並の中流の生活水準を上回る。少年が身を寄せていた釣人旅団のような一流処は、貴族並みの生活レベルなのである。
少年はきちんとそういったことを把握しているため、不満は一切言わない。そもそも、あの船に乗るまでは少年の生活には文明の利器は本以外なかったのだから。
「ごめんね、僕の身分だと、これくらいが限界なんだ。」
門番はもうすっかり落ち着きを取り戻していた。やっと自分の言うとおり、はじめの言葉遣いに戻してくれて、安定したと、少年は一安心した。
「いやぁ、俺転がり込んだ身分なんやし、気にせんといて。」
「そう言ってくれるならありがたいよ。」
そして、少年は真剣な面持ちになり、本題を切り出す。門番の話に出てくる貴族というのがリールだとすれば、もう一刻の猶予もないからだ。
「で、早速やねんけど、いくつか聞きたいことがあるんやけど、大丈夫?」
「僕の分かる範囲、答えられる範囲でなら。」
少年は門番のその返答を聞いて考える。答えられる範囲で、と言っている地点で彼が少年に何もかも全てを包み隠さず話さないという防衛線を張っているからだ。
(さて、どこまで引き出せるか……。ここで何か重要な手掛かりが掴めなければ不味い。俺にはこの土地にツテはないんやから。)
「そっか。じゃあまずは、その貴族のお嬢さんの名前は分かる?」
心に生じた焦りを出さないように、平静を装って、同じ声のトーンで、先ほどまでと同じくらいの速さでそう尋ねる。
「確か、島野っていう苗字だったね。そのお嬢さんの名前は、ちょっと僕には分からないよ。……ごめんね。」
それだけ知れれば十分だった少年だが、欲をかいて更に尋ねる。
「じゃあ、リールと言う名前の女の人見たことある? 赤髪で、パイナップルみたいな髪型している人。」
「ごめん、見てないね。その名前自体聞いたことがないし。それに、そんな派手な人いたら間違いなく憶えていると思う。」
(リールさん、すんごい目立つからなぁ。まあ、一度見たら忘れないだろうし……。まあ、こんなもんかぁ。)
リミットが迫っているということは確定のようである。
「結婚式は今日から何日後? そんな高貴な家の結婚式なら、きっと派手なんやろ。日程合うなら俺も見に行きたいんやけれど。」
少年の目的は、当然結婚式をのんびり眺めることではない。リールの奪還。それが目的なのだから。だからこそ、あまりがっついている様子を見せるのはよくないのだから。
もしも彼の口から少年の存在がばれた場合、警戒を強められる可能性もあるのだから。最近きな臭いというのも少年にとって大きな逆風である。これ以上、障害を増やすわけにはいかないのだから。
「はは。パレードのことだね。お披露目のパレードが二日後、結婚式そのものは三日後らしいよ。二日目のパレードは一般公開されるから、じっくり楽しめばいいよ。まあ、三日目は関係者、つまり、お貴族様だけのパーティーらしいよ。」
「ふーん。できたら三日目の結婚式も見てみたいけどなあ。だってさあ、きっと、すんごい派手で、想像もできないような衣装とか花嫁と花婿が着るんやろ? きっと、豪華絢爛なんやろうなぁ。」
「君、豪華絢爛なんて、よくそんな言葉知ってるね。……、あ、ごめんなさい。」
少年は呆れつつも、しっかりと慰める。この男には困ったものである。割かしすぐに調子づき、軽口を叩くのだが、言った後にそれに気づき、へこむ。典型的な木っ端役人であった。
「いや、いいから。なっ。俺のこととかそんな気にせんでええねんって。」
「君、モンスターフィッシャーの頂点なんだから、もう少し偉そうにしててもいいのに……。」
不必要にへりくだる男。少年は時間がもったいないと、少しいらいらしてきた。だが、顔には全くそれを出さない。
「俺、そんなに偉いんやったら、三日目の式に紛れられへんかなあ? これ見せたらなんとかならへん?」
「今回に限ってはダメだと思うよ。それ持ってるってことは男爵以上の待遇をどこでも受けられるから普通なら余裕で許可出ると思うけど。」
「え、そんなもったいぶってどうしたんや?」
「そこは僕に噛み付いてくるところでしょ。分かってないなぁ。」
さすがに、少年であってもこれには腹が立った。
「なあ、門番さん。俺でも怒るときは怒るねんでぇ。」
影のある笑顔で門番を威嚇する。彼の口が完全に萎縮しない程度に。こういった微妙な加減の使い分けを少年はリールとずっといっしょにいたことでマスターしていた。
「いやいや、そんなにムキにならないでよね。島野家の令嬢の結婚相手はね、あのマースク家なのさ。で、これは秘密なんだけど、マークス家の現当主は、モンスターフィッシャーがとっても嫌いなんだって。そこの長男が彼女の結婚相手だそうだよ。」
(まさか、相手の情報まで引き出せるとは思わんかったなぁ。モンスターフィッシャー嫌いってのは結構デカイで。)
「ふーん、そーなんや。」
「どう、すごいでしょ! マースク家って、貨物を運ぶ船の製造世界一だからね。そんな家がモンスターフィッシャー嫌いとか、お笑い草だよね、はははははっ!」
(いや、それ、俺笑われへんねんけど……。)
門番は笑い終えると、
「もう大丈夫かい?」
と少年に尋ねる。
少し間を置いて少年は
「いや、最後に一つだけ。」
と、ここに来てからこれまでの中で最も真剣な顔である疑問を門番に投げかけた。




