第五話 危機
「おい、起きろ、みんな起きろ。緊急事態だ。起きたやつは即甲板へ来い。やばいやばいやばいっ。」
船内に声が響き渡る。その声に反応した船員たちは急いで甲板へ出た。少年も目を覚まし、真剣な面持ちで甲板へと向かう。他の船員たちの急ぎようからして、本当に何か大変なことが起こっているようだったからだ。
しかし、少年は一つの疑問が浮かんだ。それが気になって仕方がなくなってしまった。
そして、近くにいた船員に、
「あの、船長の声が船全体に響き渡ってるみたいですが、あれ一体どういう仕組みです?」
思わず尋ねる。
「おい、お前、何言っているんだ新入り。そんなの気にしてる時じゃないだろう。まあ、でも気になるよな。ウェイブスピーカーだよ、ウェイブスピーカー。」
「モンスターフィッシュ、ナミナミオオナミアサリの殻を使って作った、音を大きくして波のようにどこまでも伝える道具だよ。ほら、さっさと外出るぞ。」
焦っているはずなのに丁寧に説明してくれたのだった。そのまま船員に引っ張られながら外に出る。少々動揺する少年。
少年の視界に飛び込んできたもの。角が丸くて四角いピンク色の枠。大きな口のようなものが迫ってくるのである。てかてか光って、踊るように跳ねるのは舌のようである。
少年はその正体に気づくが、同時に違和感を感じた。眉間に皺を寄せ、考える。
モンスターフィッシュ、センカンソシャクブナ。遭遇すると諦めるしかないと言われる、海の死神。助かるかどうかは運に委ねよと言われるとんでもない魚である。
しかしそこにはあるはずのものがなかったのだ。特徴の一つである、コケの生え茂った緑色の歯が見当たらなかったのだ。
『歯が一本も見当たらないとか……。どういうことなんや?』
他の船員たちは、ただおどおどしている。その場で座り込んで祈り出す人までいた。無理もない。この距離まで迫られていればもう逃げられないことは一目で分かるのだから。
しかし、この魚に飲み込まれて助かった例も存在していることは少年は知っていた。その者がこの魚のスケッチを残したからモンスターフィッシュ大典に載っているのである。何か手はあるはずと、少年は考える。しかし、その間も四角い枠は船へと向かってくる。
「おまえら、びびんな。やばそうだけど、これたぶん何とかなるやつだ。」
船長は叫ぶ。皆が急に安心する。それを見て、少年は更に戸惑う。
『え、安心できる根拠は? このおっさんの一言でなぜそこまで安心できるんや?』
船長の直感は当たる。そのことは乗組員全員が知っている、少年以外は。
『これ抵抗してもだめなやつだ、あの武器は今使えないし。でも、なぜかなんとかなりそうな気がする。こういうとき俺の予感必ず当たるんだよあ。』
男はそんなことを考えながら万が一に備える。
何も知らない少年は少し落ち着こうとする。
『自分から呼び出しておいて、びびらせといて、この状況で大丈夫って言えるとか……。この男はほんまとんでもないなあ……。船乗ったの早まったかなあ。』
呆れながらも、それが振り切って、かえって少し安心した少年であった。
他の船員は顔面蒼白から立ち直り、生気を取り戻している。そこで男は、指示を出した。
「おまえらああ、船内入って何かに捕まっとけ。こいつ歯がないから飲み込まれても助かるかも知れん。こいつに飲まれてもけっこう無事なこと多いらしいからなあ。」
船員たちに檄を飛ばす。強気に。不安を感じさせないように。前半は怒鳴るように険しい顔で、後半はおちょくるように、笑って。
『歯がないから、いける。無茶言ってるがなぜか説得力あるやんけ。』
自然と笑顔になった少年は辺りを見回す。船長に向かって捨てゼリフを吐きつつ、船内へと駆けていく船員たち。だが不思議とその中に男に対しての本気の恨みつらみはなかった。船長の戯言を全員本気で信じているからだ。
『でも、なぜそこまで信じられるんや? まあ、えっか。』
少年はそのことを不思議に思いつつも、船内へと戻っていった。
スィィィィィィ!!!
グィイィィ、ガタガタガタガタ
猛烈な空気の流れに吸い寄せられ、軋み出す船。そして大きく揺れだす。少年は必死に目の前の支柱に飛びつく。
ィィィィィィィィ
ドォォォォォォォォォォォン
センカンソシャクブナに船は吸い込まれていった。巨大な衝撃とともに……